6ある夜
たまには飲もうかと王子から誘いを受け、ジェシカは王子の私室を訪れた。
公式の場ではほとんどグラスに口をつけるだけの王子が自分から飲もうと誘うなんて珍しい事だと思いながら、扉をたたくと、部屋の中へ招かれた。
誘われた際に、どうせなら大勢で飲む方が楽しいだろうから場を設けようかと王子に提案したが、それはみんながゆっくり飲めないからと却下された。
「それに、君とならあまり気を使わないでいいし」
確かに王子が城に入る前からの付き合いの分、気心も知れているのだろう。
すすめられるまま王子の向かいのソファに座った。
王子の部屋は過度な装飾は極力控えた、趣味の良い造りで寝室と二間続きとなっている。
部屋の隅に百合をメインに白で統一された花が生けられており、花の香りが部屋にたゆたっていた。
「のんびり話したかったから、みんなもう下がるよう言っている。時間は大丈夫?」
「ええ、明日は休日だから…と言っても特に予定もないので」
「良かった。君もいつも忙しそうだからね。ああ、でも付き合わせて悪かったかな?」
そう言って王子は困ったように笑った。
王子はいつも控えめだ。
自分は臣下なのだから命令すれば従うのに。もっとも、それがわかっているからこんな顔をしているのか。
他の王族はともかく、彼の誘いなら例え王子の身分でなくとも自分は喜んで従うだろうが。
「そんな気を使わないで下さい。こんなお誘い、初めてじゃないですか。素直に嬉しいですよ。いつでも呼んで下さい」
社交辞令ではなく思ったままを口にする。
「ありがとう」
王子は柔らかく微笑み、ワインの栓を開け中身をグラスに注いだ。
深い赤の液体が勢い良く踊る。
ジェシカは王子の手慣れた様を少し意外に思った。
「…?どうかした?」
じっと見ていた為か、王子が戸惑い気味に聞いてきた。
「何だか、随分慣れている手つきだったので」
「ああ…」
王子はまた困ったように笑った。自分が思っていた事を察したらしい。
「一人で、飲み慣れているからね」
ジェシカは我にかえり赤面した。
「す…すみませんっ。…あまり飲まないのかとばかり思っていたので」
「そんな事ないよ。確かに強いほうではないだろうけどね…。酔うと口が軽くなるから、人前では極力飲まないようにしてるだけだよ」
王子は人差し指を唇にあて、いたずらっぽく微笑んだ。
「君なら大丈夫だろう?こうして二人だけで話していると昔に戻ったみたいだし、今日は何を口にしても大目に見てくれないかな」
そういうと、グラスを優雅に手に取り、ジェシカに差し出した。
「いただきます。もちろんですよ」
二人で視線を合わせ、軽くグラスを掲げる。
自分は王子に特別に気を許してもらっているらしい。
何だかそれだけでジェシカは飲む前から酔ったような気分になり、グラスをゆったりまわし、酒を口にした。
酒も会話もずいぶん進んだ。
酒瓶は数本空になっている。
夜空に登り始めていた月は、今はもう天頂近くにあった。
…いや、やはり王子は勧めるばかりであまり飲んでないような気がする…。
ジェシカはぼんやりとする頭で思ったが、あまり深く考えなかった。
「君は、いつまで僕の側にいてくれるのかな…」
王子は窓の外に見える月を見上げながらポツリと呟いた。
そう言いながら物うげな表情は、どこか遠くの誰かに想いを馳せているようだった。
その誰かは、少なくとも目の前にいる自分ではない。
そう思うと何だか無性に腹がたった。
「私達双子はここが大っ好きなんですから、ずっとお側に置いてください!」
あぁ、少し酔ってるな…。
かなり酔っ払っている彼女はそう思いながら王子に詰め寄った。
「ありがとう。光栄だよ。だけど君はそろそろ呼び戻されるんじゃないかな。いい加減年頃なんだし」
「戻りませんよ!」
即答するジェシカに、王子はクスクスと楽しそうに笑った。
「お父上は嘆いているよ。跡取りは二人とも王城にいりびたりで、まったく帰って来ない。その…縁談も片端から断って来ると、怨み事を呟いていたから」
「そんな事を王子にお話ししたんですか!?」
ジェシカは自分の親に呆れかえった。王宮に上がる直前、大怪我をした兄の穴埋めに自分を寄越したくせに、なんと都合の良い事を。
兄が全快し登城した今も居座っている彼女も、似たようなものだったが、そんな事は棚に上げて憤慨した。
「戯言です!気にしないで結構です!」
「だから、ね。直接もらってくれないかって頼まれたんだよ」
「……?何をですか?」
話の内容が頭に入ってこず、ジェシカは困惑して聞き返した。王子は真剣な表情でじっとジェシカを見つめて、答える。
「君を」
「………………………は?」
頭に入らないながら、じわじわ、とんでもない事を言われた気が…………。
「縁談の相手は僕って事。君、ろくに話も聞かなかったろう?」
縁談?縁談……。縁談!?
「え?え?あの…、王子と…私が!?」
驚きのあまり声が上ずっていた。そして酒のせいでうまく頭が働かず、必死で思考を振り絞る。
これはつまり…。
「僕の側に、元の君の姿で来るつもりはある?」
……。
…………。
………………求、婚?
王子は頬杖をつき目を細めながら、ジェシカをまっすぐ見つめていた。
「もちろん、そのつもりがないなら断って構わない。忠誠心だけで引き受ける必要はないんだ。君が望むならこのまま城仕えを続けてもらっていいんだ…」
いつもに輪をかけて困った顔で微笑んでいるのは、どういう意味だろう?
「王子、あんまりです!こんな、こんな酔っ払ってるときにそんな話…」
ジェシカは王子の語尾を遮り涙を浮かべテーブルを叩いた。
「あ…ああ、だけど事前に二人きりで話さないと、君の立場じゃ断れないだろう?だから…」
その勢いに王子は狼狽しながら、答えた。
だがその言葉も遮り、ジェシカは叫んだ。
「しかも断る前提!?あんまりです!あああ、こんな求婚あんまりです!」
「………は?」
思ってもない反論だったのか、王子の目は点になった。
「いくら私が世間知らずでガサツで男の格好してるからって、酷すぎませんか!?しかも、もらってくれと頼まれた!?なんなんですか!?」
「いや、えーっと…?」
王子は本気で困ってしまったようだ。
酔った勢いもあり、細かくダメ出ししてしまった。
本来なら、家長が決めれば成立する話。
事前に意向を確認し、断る余地があるのは、破格の待遇なのだろう。だか。
「私は!本当に王子が好きなんです!忠誠だけじゃありません!王子が他の誰かを思っていると思っただけで嫌な気持ちになりますっ。そんな心の狭い人間なんです!」
そうまくしたて、ジェシカは突っ伏した。
王子は唖然と泣き崩れたジェシカを見つめている。
「………………あの、他の誰かって…?」
「でも!」
恐る恐るという王子のつぶやきを、遮ぎり叫ぶ。
「いくら大好きな相手にでも、そんな義務のように求婚されるなんて嫌ですっ。しかも親に押し付けられてなんて…」
「うん…」
王子は神妙に頷いた。
「私だって、いつかは誰かと誓いを交わす日が来るかもって考えた事はあります!でも、こんな性格だし、普通の娘のように大人しく屋敷に籠るなんて今さらしたくないし…絶対無理だろうと思っていました!」
「うん」
王子の肩が小刻みに震えだした。
「ドレスだって何年も着てないし、裁縫やお茶を淹れるのだって苦手だし」
「うん」
他にも、他にもとだんだん愚痴になってきた。今まで意識していなかった劣等感が溢れて止まらなかった。
「いっそ本当に男だったらこんなに悩まずにすんだんのにっ」
ジェシカは再び泣き伏した。
「いや、そりゃ困るよ」
王子はついに、声を出して笑いだした。
「なんで笑うんですか!」
ジェシカは笑われた事にむっとしながら、王子を睨んだ。真剣に訴えているのに笑うなんてあんまりだ。
だが、王子はとても楽しそうに涙すら浮かべ爆笑していた。
「意外な一面を見せてもらったなぁ。いや、可愛いね」
「かわ…っ…っ!」
思ってもいなかった単語が出て、またしてもジェシカは赤面した。
可愛い?
自分が?
「義務なんかじゃないよ」
王子はソファから立ち上がって横に立つと、優しいまなざしでジェシカを見つめてきた。
「昔から君の事が好きだった。だからオニクセル侯爵からの話、僕はとても嬉しかったんだ。だけど返事は、君の気持ちを確かめてからと思って…ね」
王子はジェシカの手を取りソファから立たせた。
「かえって嫌な思いをさせるなんて、思わなかった。ごめん」
触れた手に、息がとまりそうになる。
「だけど、今のはもっと嬉しかったな。そこまで思ってもらっていたなんて」
頬に手が添えられる。
顔が、近い。
「君の気持ちに応えるよう、情熱的にいって、いいのかな?」
ジェシカの頬を優しく撫でながら、王子は囁いた。
「え…あの…王子?」
今までの勢いはどこへやら。
しどろもどろ、ジェシカは呟く。
顔が、近い…。
「ずっと、僕の側にいて欲しい。…愛してるから」
そういうと王子はジェシカに口づけをした。
はじめは軽く、すぐにもう一度。そしてもまた、めまいがするほど情熱的に長い、長い口づけを。
力が抜けソファヘタリ込むジェシカを押し付け、何度も何度も口づけを受ける。
「ん、んん…っ」
初めての口づけにしては刺激が強すぎて、ジェシカは硬直するばかりだった。
「王子…苦し…」
はぁはぁと、息も絶え絶えにジェシカは王子に訴えた。
ようやく王子は唇を離してくれたが、頬や腰に添えた手はそのままに、ソファと王子に挟まれた格好だった。
酔いも手伝い、からだに力が入らない…。
頬から顎に王子の指が動き、ジェシカはビクンと身をすくめた。
王子はその様子に苦笑しそっと髪を撫でた。
「送って行くから、もうお帰り。今日の話は、また改めて正式にさせてもらうから、しばらく忘れてて構わない、よ。今度は君のご期待に添えるよう、頑張るから」
ジェシカは解放されほっと息をつきながら、それでも反論した。
「忘れられるわけ、ないじゃないですか…」
そう、酔っているとはいえこんな夜、忘れるものか。
「そう?今日のは少し情けないから、忘れてくれていいんだけどな…」
王子は独り言のように小声で呟き、また傾きかけた月を見上げた。
忘れる、わけが…。
ほっとしたら急に意識が遠のく。
王子が少し目を離した隙に、ジェシカは眠りに落ちてしまった。
オニクセル侯爵の子息は、酒は強くどんどん飲むが、飲みすぎると、翌朝には記憶が飛んでしまう話は有名だった。
王子は、ジェシカの気持を聞くためにわざと酒を飲ませた。
楽しげに飲むジェシカに勧めるばかりで自分はほとんど飲んでなかったのだった。
彼女が本心から自分を選んでくれるか、自信がなかった。ただ、忠誠の気持ちだけならこの話はうまく忘れてくれれば、お互い無用な気遣いをする必要はない…と。
我ながら、姑息な事をしたと思わずにはいられない。
どんな形でも、ジェシカを失いたくなかったのだ。彼女のためではなく、自分の為だった事に今更ながら気がついた。
だがまわりくどい事をして彼女を傷付けてしまったようだ。
王子は、スヤスヤ寝息をたてるジェシカを、暖かい眼差しで見つめた。
しかし、いつもこの調子で飲んでいるのかと思うと…
「無防備、だよなぁ」
彼女を抱き上げ、もう一度、軽く口づけをする。
せっかく気分が盛り上がっていたので、ここで帰すのは少々惜しかったが、これ以上は後でなんと責められるかわかったものではない。
「おまえには、情けないと笑われそうだな…」
王子はまた月を見上げ、異国の空の下にいる友に想いをはせた。
翌日、日もかなり高くなった頃、ジェシカは城に与えられた自室のソファで目を覚ました。
……頭が重い。
また飲みすぎたのか、とジェシカはノロノロと考えた。
昨日は珍しく王子と飲んでいた。
しかしどうやって部屋に帰ってきたのか、まったく覚えていない。
服のまま寝ているあたり、部屋に帰りつくなり寝てしまったのか。
一つ一つ、順番に思い出す。
そう、またついつい飲みすぎて…。
…。
……。
何だっけか…。
何かずいぶんびっくりしたよう、な…。
………。
「あ…!そうだ、滅多に手に入らないって言う銘酒が出てきて、飲みすぎたんだ」
王子との会話も弾み羽目をはずし過ぎたか。
王子…?
あれ?
何か引っかかる、ような…。
しかし、頭がガンガンして、何も、思い出せなかった。
…まあいい。いつもの事だ。
何か、失礼な事をしていないかが気がかりだが、後で王子に侘びに行こう。
さすがにこの状態では食欲もなかったので、食堂に珈琲をもらいに行った。
食堂から引き返す途中、王子にばったりとあったので、昨日は何か失礼な事をしなかったか尋ねた。
「本当に、全然覚えてないの?」
王子は驚きを隠せない様子だった。
だいぶ醜態を晒してしまったようだ。
「ぷぷっ、…っは、あははははっ!」
と、王子はプルプル肩を震わせたかと思うと腹を抱えて大爆笑を始めた。
普段、感情の起伏がほとんど見られない王子が大声で笑う様に、聞き付けた者はわざわざ駆け付けてきたほどだ。
本当に珍しい事だった。
「いや、悪い、みんな、なんでもないから下がってくれ…っ」
王子は笑いを堪えながら野次馬たちに命じた。
「あの…私はいったい何を…。気になります。」
ジェシカは不安げに王子に聞いた。
「大丈夫、何もしてないよ。ただ、ずいぶん綺麗さっぱり、忘れているものだから」
何もないと言いながら、王子は目を合わせようとしない。
「教えてください!」
ジェシカはやや声を荒げ、王子を問いつめた。
「何も…ないって」
王子の目は、完全に泳いでいる。
気まずい空気が30秒ほど続いただろうか。
「そうですか。王子、そんな方だったんですね」
ジェシカは声のトーンを落とし、王子を睨みつけた。こんなに怒るのはジェシカにしては珍しいことだった。流石に怒っている気配を感じたのか、王子はうろたえている。
「まいったなあ…。あのね、君が何かしたと言うよりも、僕がしたことを忘れているんだよ。どちらかと言うと、僕は、忘れてくれてるほうがありがたいんだけど」
「………そう、なんですか?」
意外な答えに、ジェシカは戸惑った。
「うん。大笑いした僕が悪いんだけど、これ以上は追求しないで欲しいんだけど…だめ?」
…こうお願いされては引き下がるしかなかった。
ジェシカは、その日の午後を釈然としないまま過ごす事になった。
夕方に近くなった頃には頭痛もおさまっていたが、気分はまったく晴れなかった。
自分は何を忘れたのだろうか。
王子が忘れて欲しい事なんて…。
昨日は気を許してもらっていると喜んでいたのに、ばかみたいだった。
…ふいに部屋の扉が叩かれた。
「あらあら、元気ないのね」
入ってきたのはオニクセル侯爵のもう一つの悩みの種。ジェシカの双子の兄、アンソニーだ。
アンソニーは公の場での発言ではさすがに控えているものの、普段はすっかりこの調子だった。
今では周囲もすっかり慣れているが、彼が登城したとき、ジェシカも含め、皆、驚いたものだった。ジェシカがオニクセルにいた頃は普通だったのに。
中性的な風貌も相まって、彼を女性と間違える者もいたほどだ。
ジェシカは怪我をしたこの兄に代わり王城に上がったが、しばらくして王子にその事が露見してしまい、兄が回復した後もそのまま残る事を許されていた。
ただ、男装はしたままなので、彼女が女性と知っている者はあまりいないようだった。
名前もジェスと呼んでもらっていた。
神様は性別を取り違えられた、と嘆くのはオニクセル侯爵だ。
「なんだか、王子がばか笑いしてたってみんなが話してたんだけど、明日は雨降りかしらねぇ?あなた、知ってる?」
アンソニーは実にどうでも良さげに、今ジェシカが一番気になっている話題を振ってきた。
「うん、さっき目の前で。昨日王子と飲んだ後、何か失礼な事しなかったかと聞いたら、覚えてないの?って爆笑されたんだよ。でもまた飲みすぎで何があったか思い出せないんだ…」
アンソニーはおやおやという顔で反応した。
「昨日は王子と飲んだの?珍しい事!しかもあなたまた…、記憶を無くすほどって、どれだけ飲んだのよ?」
「酒瓶5~6本までは覚えているけど…」
「もう、あなた、中身は一応女の子なんだから気をつけなさいよ!」
「性別は別に関係ないじゃないか。でもそうだなぁ。王子はあまり飲まないと思い込んでペースを崩したかも」
「まぁ、あなた、無防備にもほどがあるわ!王子になにもされなかったでしょうね!」
アンソニーは何やら興奮気味に叫んだ。
思考はしっかり男だ。
「だから覚えてないんだってば。だって王子だよ?何をされるっていうんだよ…、え…」
あれ?王子は何て言ったっけ?
「『…僕がした事を忘れてほしい』って…」
「何よそれ」
「王子がそう言ったんだ、笑い出して、それから、何があったのか教えてほしいって言ったら…」
「まあぁ!何て都合の良いことを!」
「あの…アンソニー、王子は何を…」
「男が誤魔化す事なんて決まってるでしょう、酔った勢いで襲いかかったのよ!」
恐る恐る聞くジェシカにアンソニーは容赦なく切り返した。
「え、え、…ええ!?だって、あの、王子に限って、そんなまさか!」
「甘いわ!酔って自制心が無くなれば、男なんてみんな一緒よ!!」
…自分の経験から言っているのだろうか、アンソニーは自信たっぷりだった…。
自分が王子と?信じられない…。
想像しただけで、顔から火が出そうだ。
「まぁでも、流石にやっちゃったら、わかるわよねぇ」
人を不安に突き落としながら、サラッとアンソニーが呟いたが、ジェシカは上の空で聞いていた。
その後、アンソニーはあれこれ言っていたが、衝撃でほとんど頭に入らず、二日酔いで休みたいからと言って、帰ってもらった。
自分が王子と、一夜を共にしたというのか?
でも、きちんと部屋には帰って来ていた。どうやって帰ってきたのかまるで思い出せないが。
あぁ、二日酔いで目が回る…。
………あれ?
ジェシカは目が回ると思った途端、何か記憶の隅に引っかかった。
柔らかくて熱い、何か。
無意識に指を唇に持っていき、不意に脳裏に閃いたのは、王子の口づけだった。
そんなバカなと思いながらも思い出した感触がやたらリアルで、一気に身体が熱くなった。
あり得ない。
本当に一線を越えてしまったというのか。
しかもそれを王子は忘れて欲しい、と?
そう思うとジェシカはとても悲しくなった。そして、今まで形にはなかった思いが明確にくっきりと浮き出した。
「ああ…。僕は王子の事、好きなんだ…」
そしてポロポロと涙がこぼれ落ちた。
自覚した途端失恋確定とは泣けてくる。
「どうして、うっかりそんな流れになったのかなぁ」
ぜんぜん思い出せない。だけど。
「それならせめて、しっかり覚えておきたい」
この恋心をそっとしまうために。
ジェシカは王子に会う決心をした。
酒に酔わせて本心聞こうとするなんて、ほんと、姑息です。
グレンは自己肯定感ゼロなんですよ。
いつも「僕なんて…」と内心思ってます。
王子の仮面を被って、理論武装して日々生きてますが、中身はブレイグを出た時のままなのです。