赤ちゃんが来るまでに
神(作者)はジェシカに更なる試練を与えます。
「えええ!双子!?」
妊娠が確定したあと三月も経った頃、医師は心音が二つ聞こえる事をジェシカに告げた。
自分自身も双子なので、それはあり得ることだとわかってはいるものの……やはり不安になる。
双子告知に、グレンは意外に落ち着いていた。
「子育ても満足にできるか怪しいのに、一度に二人もなんて……。不安です……」
ジェシカは妊娠以降、情緒不安気味だった。最近は悪阻も大分良くなってきたが、その分色々と考えてしまう。
「大変だろうけど、僕は一人っ子だったから、小さい頃は兄弟が羨ましかったんだ。一度に二人も子どもを授かるなんて、嬉しいよ。一緒に頑張ろう?」
グレンはジェシカの肩を抱き寄せ、膨らんできたお腹を優しく撫でた。
その仕草は愛おしい気持ちがにじみ出ていて、ジェシカの不安も少し和らぐ。
「そう…ですね。確かに兄妹でいると、いつもにぎやかでした」
アンソニーとジェシカは、それはヤンチャだったので、きっと周りは大変だったろうと今更ながら思う。
でも、とても楽しかった。
ジェシカはグレンの肩に頭を預けて、ため息をついた。
妊娠初期の壮絶な悪阻は峠を越したようで、最近はずいぶんと楽になった。
医師によると、安定期に入ったと言うことだった。
無理のない範囲で運動した方がお産が楽だと言われたので、剣の訓練をしようとしたらグレンに慌てて咎められた。
改めて医師から、散歩や体操などをするよう言われ、くれぐれも腹部に気をつけ、転ばないように細かく説明された。
細かく指示しないと何をするか分からないと思われたらしい。
産まれるまでにはまだ4〜5ヶ月ぐらいあるようで、他に何をしたらいいのか途方に暮れた。
育児書を見ると、ますますちゃんとできるか不安を覚えた。
そもそも、赤ん坊が周りにいたことが無いので、未知の存在だった。
編み物や縫い物などを勧められたが、その方面は壊滅的に不器用なのである。
「こんな事で母親がきちんと務まるでしょうか?適性がまるでありません。母も早くに亡くなりましたし…どうやったらうまくいくのか、まったくわかりません…」
ため息とともに涙が滲む。最近やたらと涙もろい。
「ジェシカ、最初はみんな出来なくて当たり前なんだから。今から心配しなくて良いんだよ。考え過ぎると身体に良くないから」
グレンはジェシカの背中をポンポンとたたき慰めてくれた。彼は叔父の赤ん坊の世話をした事もあるので、ある程度の勝手はわかるそうだ。
だけど、侯爵家で母も弟妹も無く過ごしてきたジェシカには、子育ての壁がひたすら高く感じられた。
「乳母も探しているから…。どうしたら安心できるかな…」
グレンはそう言いながら瞼のフチに口づけをした。
チュッチュッと音を立てながら、額に頬に髪にと次々に口づけされて、くすぐったい。
それとともに自然と口の端が上がり、気持ちも軽くなってきた。
「私は…こんなに大切にしてもらって、幸せですね。二人とも、優しい父様で、良かったね」
ジェシカは、おなかに向かい話しかけた。
だがそれからもグレンは仕事に追われていて、食事と寝るときぐらいしか顔を合わせる機会が無かった。そして、眠気に逆らえず朝起きたらすでにグレンはいない事も多かった。
補佐官として手伝おうとしたら、のめり込んでストレスになり万一の事があれば大変だからと、丁重に断られた。
確かに今ブレイグで処理すべき案件は、どれも難題が多そうで、下手に手を出すのも気が引けた。
もうすぐ冬を迎えるため、餓死者が出ないよう冬越しの備えを手配しなくてはならない。
各地からの要望も優先順位をつけ必要最低限しか対応できないが、内容に目を通すだけで一苦労だろう。
忙しいのはよく分かっているが、何だかとても寂しかった。
ブレイクの秋の訪れは早く、窓の外はすでに紅葉で赤や黄色に染まっていた。
寒暖差が激しいせいか、色彩が鮮やかだ。
美しい色彩ももうじき枯れ落ちると思うと無性に物悲しくなり、窓辺のロッキングチェアに揺れながらポロポロ涙をこぼした。
控えていた侍女はその様子におろおろしたかと思うと、慌てて部屋を出ていった。
一人になるといよいよ涙が止まらなくなり嗚咽がこみ上げてきた。
一人で王都リバースに来て登城したときすら、こんなに寂しくは無かった。あの頃はまだまだ子どもだったのに。
「アンソニー、キャロル。会いたいよ…。僕はなんでこんなに弱くなっちゃたんだろう…うわぁああっ……」
そうしておいおい泣いてるうちに、バタバタ廊下を走る音が聞こえ、グレンが部屋へ飛び込んできた。髪は乱れ、肩で息をしている。先ほどの侍女が心配そうにこちらを見ていたが、グレンは二人で話すと言い、下がるよううながした。
「ジェシカ、どうしたの!?そんなに泣いて!どこか辛いの!?」
グレンはロッキングチェアからジェシカを立ち上がらせ、抱きしめる。
「ううっ、グレン、グレン!」
ジェシカはグレンにしがみついて泣きじゃくる。
「何がそんなに悲しいの?なんでも言って?」
グレンはジェシカの頭をなでながら、優しく話しかけた。
「…っ、ごめんなさっ…。私、すっと変で…。何で…何がこんなに悲しいのか…!昔は一人で登城したときだって、寂しくも何ともなかったのに…あなたの赤ちゃんもいて、あなたも優しくて。幸せな気分でいて良いはずなのにどうして………!」
「寂しかったの?」
しばらく間を置いて、ジェシカは嗚咽しながら頷く。
「ごめんなさい……。忙しいあなたにこんな事で……っ」
「謝らなくていいよ。もっと甘えて?不安なのにいつも一人にさせてごめん…。ずっと忙しく働いていた君がじっとしてないといけないのは、辛くて当たり前だと思う
よ?」
グレンはジェシカに優しく語りかけた。
「当たり前…なんですか…?」
「うん。母もね、倒れたあとは身体がしんどくて寝てばかりは辛いってよく言ってた。じっとしてると気が落ち込むってね」
ジェシカの額に優しい口づけが降りてくる。
「今日はここにいるから」
「でも、政務が……」
「僕に、君より大事な物は無いよ?それに辺境地区の備えは終わってるんだ。次の積み荷が届けば、冬の備えはほぼ整う。あとは先の長い話だから、冬は城の皆に休んでもらおうと思ってるんだ。だから…」
グレンはジェシカの額の髪を優しくすきながら微笑む。
「冬は、今よりもっと一緒にいられるよ」
「本当に?」
「うん。約束する」
「嬉しい…」
ジェシカは心の底から安堵がこみ上げてくるのを感じ、泣き笑いの顔になる。
「さあ、今日は何をしたい?散歩くらいなら外に出てもいいよ。紅葉がきれいだし。それとも甘いものでも食べる?あとは…」
「あの、ここで誰にも邪魔されず、ゆっくり二人で過ごしたい…だめですか?」
グレンを潤んだ目で見上げ、そう告げる。
「もちろん。邪魔されずに二人きり、いいね」
髪をすいていた手が頬に降りてくる。ジェシカはその手に自分の手を重ねる。そして、優しく唇が重なる。
はじめは触れるだけの口づけが、深く蕩けるようなものになる。ジェシカの背にまわった指が優しく背中をなぞる。
ジェシカがグレンの首に腕を絡め身体が密着したところでグレンがハッと身体をはなした。
「ごめん、赤ちゃんたちがお腹にいるのについ…」
バツが悪そうにグレンは鼻の頭をかく。
「お腹を圧迫したり、激しすぎなければ、その…、よ、夜伽もいいって、先生が…」
唇を離すと、名残惜しそうにしたジェシカは赤くなって俯き、つぶやいた。
「先生、そんなことまで…。ジェシカはいいの?」
グレンは意外そうに尋ねる。
「優しくしてくれるなら…もっと触れ合いたい…」
「はは、生殺し…」
「え?」
ジェシカは意味が分からず聞き返す。
「いや、努力するよ。愛する奥様のお願いだからね」
グレンはジェシカの腰に手を回し寝室に促す。
「ふふ、嬉しい、愛しの旦那様」
グレンの言葉に応じるように、ジェシカが返す。
グレンは一瞬ポカンとしたあと赤くなり、顔を押さえる。
「愛しの旦那様…。まずい。感動しすぎて鼻血吹いた」
ほんとに吹いてる…。
ジェシカは慌ててハンカチを出した。
「もう、雰囲気ぶち壊し」
苦笑しながらグレンの鼻を押さえる。
「ようやく、夫婦らしくなって来たんだなぁって実感して…。はじめは僕の一方通行だったからね」
ただ言葉で伝えるだけで、これほど嬉しく思ってもらえるものなんだとジェシカも実感する。
あの戦場で、もっと気持ちを伝えれば良かったと後悔したことを思い出した。
グレンの右頬にそっと手を伸ばす。
「一方通行じゃあなく、僕もずっと好きだったよ。グレン。湖で助けて貰ったときから…もしかしたら、初めて会ったときから」
素直に気持ちを伝える。昔の口調で。
グレンの目がウルウルしている。
その夜は甘く、柔らかく触れ合う優しい時間を過ごした……。
雪も深まった頃にはジェシカのお腹はち切れんばかりに膨らんでいき、動くのも大変になった。
お腹の中からは、ぽこぼこ蹴られて痛いぐらいだ。
自分の中で本当に命が育まれてると思うと不思議で愛おしくてたまらない。
男の子だろうか?女の子だろうか?それとも自分たちのように男女の双子?
無事に産まれてくれれば、それでいい。
ジェシカは不安だったのが嘘のように、ゆったりとした気持ちで出産を待った。
いわゆるマタニティブルーですね。
もともと強い性格とか関係ないのです。
強い自信を持っていたからこそ、脆くなったり弱くなっていくことに動揺するのです。
グレンは鼻血吹くほど嬉しかったようです。良かったね。




