赦し
雲の上で…
そこは、どこまでも白く、穏やかな光に満ちた場所だった。
眼下には、かつて自分たちが生きた大地が、手のひらの模型のように広がっている。
その中に、王城が見えた。
幼い弟と二人、国の未来を語り合った遠い記憶。
フレデリックは、その記憶をどこかぼんやりと思い浮かべ、立ちつくしていた。
姿は、弟が誰よりも敬愛した、聡明で、優しかった頃の賢君そのもの。
しかし、その瞳の奥には、永遠に晴れることのない、深い哀しみの色が澱んでいた。
やがて、もう一人の人影が、ゆっくりとこちらに向かってくる。
黒い髪、逞しい体躯。しかし、その表情には、もう苦悩も、怒りも、絶望も、何一つない。ただ、静かな安らぎだけがある。
弟、ロバートだった。
二人の視線が、長い、長い時の果てに、ようやく交差する。
ロバートが何かを言うより先に、フレデリックが動いた。
王として君臨したその膝が、ゆっくりと雲の地面に折れる。そして、額が地に擦れるほど深く、深く、弟に対して頭を下げた。
言葉は、なかった。
言葉にしてしまえば、あまりにも軽くなる。彼の全ての罪と後悔が、その一礼に込められていた。
ロバートは、そんなフレデリックに静かに歩み寄る。
そして、その肩にそっと手を置いた。
「おかえりなさい…兄上」
咎めるでもなく、赦すでもない。ただ、懐かしい兄に語りかけるような、穏やかな声だった。
フレデリックは、顔を上げられない。その肩が、かすかに震えている。
「俺は、あなたを憎んだことは一度もありませんでした」
ロバートは続ける。
「ただ…哀しかった。俺が大好きだった、優しくて、誰よりも民を想っていた兄上が、いなくなってしまったことが、ただただ哀しかったんです」
その言葉に、フレデリックの肩が震えるように揺れた。
ロバートは、フレデリックの前に回り込み、その手を取って、ゆっくりと立ち上がらせる。
「もう、いいんですよ。兄上」
「…赦されると、思ってはおらぬ」
ようやく絞り出したフレデリックの声は、苦痛の色に満ちていた。
「ええ、赦す必要なんてないのかもしれません」
ロバートはそう言うと、穏やかに微笑んだ。
「だって、あなたはもう、苦しむ必要はない。俺が知っている、元の優しい兄上が帰ってきた。俺にとっては、それだけで十分なんです」
ロバートは、フレデリックの視線を眼下の大地へと促す。
そこには、戦乱の傷跡から立ち直り、ただ穏やかに営みを続ける、緑豊かなブレイグの姿があった。
「見てください、兄上。あなたの、そして俺たちの夢は、叶いましたよ。俺の親友が、叶えてくれました」
その光景を、フレデリックはただ黙って見つめていた。
やがて、その頬を、一筋の雫が静かに伝っていく。それは、狂気の王が流した血の涙ではなく、賢君フレデリックが流した、あまりにも遅すぎた、安堵の涙だった。
ふと見上げると、いつも傍らにいたジルも、第一王妃と王女も穏やかに笑っていた。
ここは、すべての罪と悲しみが癒される場所なのか……。フレデリックはそう理解した。
二人の兄弟は、言葉もなく、ただ並んで、自分たちが愛した国の、平和な未来を、祈るような気持ちで眺めた。
前置きすると、これは、ブレイグ王ではなく、ロバートのための救済です。
彼の罪は決して許されるものではありません。
どれほどの人に詫びても、救われてはいけないと思っています。それだけの事を彼はしました。
けれどロバートは、優しい兄に戻って欲しかった。
だから彼のために、壊れてしまった人の心を取り戻させました。
正気に戻れば、ブレイグ王にとってこれ以上苦しい罰はないでしょうね。




