幕間 3度目の求婚
性的描写あり。苦手な人はご注意下さい。
市場デートと婚約の間のお話です。
王子と交際しだして3カ月ほど過ぎた。
私的に二人きりになる機会もあり、幾度か、肌も合わせた。仲は深まったと感じる。
けれど、自分に王子妃の役目が務まるとはどうしても思えなかった。このままずるずると、この腕の中にいてはいけないと、分かっているのに。
珍しく王子よりも先に目を覚まし、寝顔を見つめながらジェシカは思った。
寝ている王子の顔はまだあどけなさが残っている。
こうして見ている分には穏やかだが、肌を合わせるときは一変する。今日もしつこい程求められた。
しかも回を重ねる毎に激しくなってる気がする…。自分の身体も、指先や唇が軽く肌に触れるだけで甘い疼きすら感じるようになってしまった。
与えられる快楽はいつも想像を軽く超えてきて、このまま堕落するのではないかと不安すら覚える。
では…今更王子を忘れられるのか?
彼は世継ぎの王子だ。
いつかは妃を迎えなければならないだろう。それは………想像するだけで不快な気持ちになった。
結局何も選べないまま時間だけが過ぎていく。
ジェシカは再び目を伏せた。
春風が優しく吹き、一斉に花が咲きだす命の芽吹く季節が巡ってきた。
隣国クーイの王女が輿入れしてくる事になり、今日、婚姻の儀が行われた。
蜂蜜色の流れる髪。青空を映したような水色の瞳。王子とお似合いの美しい姫だった。
姫は精緻な刺繍を施した婚礼の衣装に身を包んでいる。
対を成すように美しい王子が差し出す手に、そっとその手を重ねた姫は愛らしく微笑み、国中から熱狂的に迎えられた。
王子と王女が視線を交わし、幸せそうに歓声に答えている。
それが、どこか遠く聞こえた。
王子の馬車の後ろを ルーフェに乗ったジェシカと、シルビィに乗ったアンソニーが続く。今日は二人とも騎士団の正礼装に身を包んでいた。
シルビィは王子の馬だがこの晴れ舞台をシルビィにも見せたいとの配慮だった。
馬車に乗る初々しい二人が微笑ましい。
その時。
「あれ、雨かな…?」
ぽとりと手綱を握る手袋に雫が落ち、濡れジミが広がった。
そして、頬に水滴が流れ落ちた。何度も。何度も。
涙?
その水滴を拭いぼんやりと眺める。
「やあねえジェス。感動しちゃった?」
アンソニーがシルビィの馬上から声をかけた。
「……ああ、そっか。うん。感動した。僕たちの王子が幸せそうで、本当に良かったね」
……ああ、そうだよな。嬉しいんだ。
王子はあんなに幸せそうだ。
今まで苦労したんだもの。
…やっと、報われるんだね。おめでとう。グレン。
心の中で、出会った頃の少年に話しかける。
けれど心はひどく切なかった。
初めて出会ったとき、二人でルーフェに乗り、オニクセルの街を眺めたっけ。
楽しかったなぁ。
あの小さな少年が、今は遠く旅立ってしまった。
どうか、幸せになってほしい。
ジェシカは青い空を見上げる。
「幸せに…」
そう、心に言い聞かせた。
ふっと目を開けると、柔らかい温もりと感触。
それは先程から何一つ変わっていないというのに。
「うっ…あぁ…」
ジェシカは両手を顔で覆い、声を殺して泣いた。
指の間から次々と涙が溢れ、こぼれ落ちる。
胸が、締め付けられた。
今まで自分のものだった温もりが、別の誰かのものになるなんて…。
「嫌だ…嫌だ!いかないで!」
顔を覆ったまま知らず言葉が漏れ出す。
「……ん……?ジェシカ?どうしたの?」
横で眠っていた王子が目を覚ましたようで、泣きじゃくるジェシカを戸惑いながらも優しく抱きしめた。
「どうしたの?怖い夢でもみた?僕はここにいるよ?」
優しく髪を撫でる仕草に、その温もりに、ジェシカはさらに気持ちが高ぶる。
「お…王子が…!隣国の姫を王子妃に迎えて…」
グレンは一瞬ポカンとして、そして苦笑しながらなぜか嬉しそうにジェシカの前髪をかきあげ、額に口づけを落とした。背中をポンポンとたたき、落ち着かせてくれる。
「大丈夫。夢だよ。そんな事あるわけ無いだろう?それで悲しくなって泣いていたの?」
昔よりも少し低い、心地よい響きの声が優しく降り注ぐ。
その温かさに、ジェシカはいっそう切なくなった。
僕は、何を迷っていたのだろうか。
この温かさがあるのは、当たり前のことじゃ無いのに。
この温かさを失って、平気なわけ無いのに。
ジェシカは深く重苦しい息をついた。
「王子…」
ジェシカは顔を上げ、王子の紫色の瞳を見上げる。
「何だい?」
「僕は…あなたがいないともう駄目みたいだ…」
混乱し、素の口調のまま呟いてしまった。王子がわずかに目を見開く。
「お願いします。王子妃にして下さい!私を、お側に置いて下さい!」
それは求婚の返事ではなく…ジェシカからの求婚だった。
「え…っ」
王子の動きが、ぴたりと止まった。
鳩が豆鉄砲を食ったように、一瞬、時が止まったかのように固まっている。
そして、その驚きの表情が、じわじわ顔が赤く染まっていった。抱きしめられた腕の力が強くなる。
堪えきれずふっと息を漏らすように笑い、最後には顔を手で覆った。
「…まったく、君には敵わないな。僕は振り回されてばかりだ」
幸せを噛みしめるように呟いた。
少し落ち着きを取り戻したあと、王子とジェシカは城壁に登った。
辺りはしんと静寂が包み、星空を映す湖が見える。
水面には、満天の星が鏡のように映り込み、どこからが空で、どこからが湖なのか、境界線も曖昧になるほどの幻想的な光景が広がっていた。
王子と湖で再会したあの日が酷く懐かしい。
いま思えば、あの頃から王子に向かう気持ちは芽吹いていたのだ。
もうすぐ夜明けだろうか。逆三日月が地上すれすれに見える。
「3度目の求婚は色々考えていたのに、まさか君から言われるとはね…」
そう王子に苦笑された。
それは壮大な計画を色々と立てていたそうだ。
計画が台無しになったのに、どこか吹っ切れたような清々しい顔をしている。
「もう、離してあげないからね?」
グレンは優しくジェシカの肩を抱き寄せる。
昔もここで星空を眺めた。あの時そっと触れあった手は、今、しっかりと繋がれている。
「はい…。離さないで…」
ジェシカはそっと目を閉じた。
そうしたら、王子が口づけをくれるのがわかっていたから。
ふっと吐息とともに優しい口づけが降りてくる…。
そして、星空だけが見届ける中、二人は空が白み茜色の朝焼けが見えるまで幸せを噛み締めた。
二回もコケた求婚。
グレンは最高の求婚にしようと夜な夜なプランを練っていましたが、まさかの逆求婚。
でも、せっかくの準備が台無しになったのに幸せそうです。
このままグレンに押し切られて妃になるより自分で望んで行くほうが、ジェシカも納得できたので結果オーライです。
もともとジェシカの夢は、「If 祝福」というもしもジェシカが剣に一生を捧げていたら?の短編でした。
王子が結婚するときはちょっとだけ泣いて、一生王子に仕えるんじゃないかな?と思い書き起こしたものです。
なんだかんだで、ジェシカの本当の気持ちを自覚するいいきっかけになりました。
さて、お蔵入りしたグレンのプロポーズ。最初は無難に再会の湖でロマンチックにと思っていたら、AIさんがコメディチックに短編を作ってくれたので、ここに貼っときますね(笑)
湖畔の壮大な(?)求婚準備 ―アンソニー視点―
王子が、毎晩こそこそ何かしている――
最初はそう思っただけだった。城では真面目に政務をこなしているはずなのに、夜になると足取り軽く湖へ向かう姿を見かける。しかも、誰も付き添わず、一人で。
「……また護衛もつけずに。困ったわね」
アンソニーは思った。王子はジェシカの当番の日はずっと執務室に籠もっているのに、アンソニーが受け持ちの日はサボりがちだった。
しかし、王子のこの集中力とストイックさには正直たじろぐ。
ある晩、好奇心に負けてそっと近づいてみた。
すると、湖畔には……
切紙の飾りが山積み
花束があちこちに置かれ、見たこともない配置で整列
料理(?)も小さなピクニックセットで慎重に並べられている
そして王子本人は、真剣な表情で、何やら手順を確かめながらひとりリハーサル中。
「……ジェシカ、ここでこう手を取り、誓いの言葉を……」
えっ、独り言……?
まさか、湖畔で口説く練習!?
その姿は、まるで壮大な舞台の主演俳優。だが、切紙の山は足元でガサガサと崩れ、花束は微妙に傾いている。
一人でやるにはあまりにも完璧主義すぎて、ちょっと可笑しい。
「夜ごと練習してるんですか?」
思わず声をかけると、王子は驚いた顔のまま、ぎこちなく笑った。
「……いや、その…少し、準備を……」
少しどころじゃない。毎晩湖畔で一人、誓いの動作から立ち位置まで完璧に再現していたらしい。
妹のことを真剣に思ってくれてると思ったら、胸がじんわり温かくなった。
その後、こっそりデイビッドに報告した。
「王子、湖で一人で求婚の練習やってるのよ……」
デイビッドも呆れて笑ったが、ちょっと羨ましそうだった。
そして――
資料室の片隅で隠された切紙の完璧なアーチを見たとき、思わず息を呑んだ。
「これ、全部……一人でやったのか……」
王子の“壮大な求婚”は、事前準備の段階から既に面白すぎたのだ。
しかし、結局実行されないままに、婚約の運びとなった。ジェシカが知らなかったのは幸運だった。もし見ていたら、笑いすぎて倒れていたかもしれない。
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湖畔演出+切紙飾り+料理準備など細部をコミカルに描写
アンソニー視点でちょっと茶化しながら面白がる
グレンの真剣さと滑稽さを両立
夜更けの城壁。
月明かりを背に、王子はひとりで何やらぶつぶつ練習していた。
「ジェシカ、君は…いや違うな。えっと、『我が心は君のものだ。共に誓いを…』」
(※真っ赤になりながら両手でジェスを抱き寄せるジェスチャー付き)
……あれは誰にも見せちゃいけないやつだ。
けれど好奇心に負けて、こっそり観察を続ける。
「君の笑顔が…あぁ、だめだ、笑わないでくれ。練習だぞ、練習!」
(※ひとりで照れて頭を抱える。なお見ているのは私)
おまけに、その横には切紙の失敗作が山積み。どうやら星型を作ろうとして全部歪んだらしい。
……いや。王子が深夜に一人でチョキチョキしてる図はどうなんだ。
そして翌朝。
肝心の湖畔プロポーズは、ジェシカの逆求婚で全て吹っ飛んだ。
「……」
落胆するかと思いきや、王子は真っ赤になりながらもどこか嬉しそうに呟いた。
「まったく…君には敵わないな」
――残念ながら、この練習風景と星型切紙の山は、永遠に日の目を見ることはなかった。




