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2オニクセルの少女

 母の葬儀後、グレンは騎士と共に、ワーズウェントに向かう事となった。

 騎士はマーカスと名乗った。王の若い頃から側近として仕えており、王妃や母の事も良く知っていたそうだ。

 生まれ育った土地を去り、見知らぬ土地へ行くのは不安だったが、母は亡く、ロブにも突き放されたいま、父の元に行くしかなかった。

 叔父には母の言いつけどおり、ワーズウェントの騎士の子である事がわかった事にした。

 マーカスは叔父に今までグレンの世話をしてくれた礼として、金貨を一袋渡した。

 ブレイグでは数年分暮らせるほどの大金だ。

 叔父は最初、そんな大金受け取れないと断ったが、グレンの行き先を誰にも告げないよう固く口止めして受け取るよう、強く押し切られた。


「グレン、姉さんも空から見守ってる。身体に気をつけて元気でな」


 いつもそっけなかった寡黙な叔父夫婦と小さな子ども達は、目を潤ませグレンを送り出してくれた。


 旅立つ前に、亡くなった母の墓に参り、別れの挨拶を告げた。

 母はグレンに、父親の事を黙っていてすまないと何度も繰り返し謝っていた。

 けれど、母との生活は貧しくても幸せだった。

 グレンを大切に、精一杯愛してくれた母の事が大好きだった。


「お母さん、僕は行くね。今まで本当にありがとう」


 母が大好きだったマーガレットの花を手向け、グレンは生まれ育った村をあとにした。



 王都へ向かう行程はまずブレイグ国内を陸路で10日、船に乗り5日、ワーズウェントに入ってからも1週間あまりかかるそうだ。

 船旅は初めてだったためか、酷い船酔いが2日ほど続いた。


「マーカスさん…なんでみんな平気なの?目が回って気持ち悪いよ」


 グレンは強烈な船酔いにみまわれ、まいっていた。船旅はまだまだ始まったばかりだと思うと、心底げんなりだ。


「慣れですかなぁ。私も最初は散々でした。なに、凪いだ海はまだマシですよ。大荒れの海原はこんなものじゃありません」


 マーカスは真面目にグレンの問に答えた。

 物語に出てくる旅人に船酔いなんて言う描写は無かったため、初めての事だらけだった。

 浴槽の水も海水で、波立つように揺れていて落ち着かなかった。

 2日目に船酔いが治まると、ようやく甲板に出てみた。ぐるりと見渡してもどこにも陸地が見えず、ただただ群青の青い海と広がる空。時折小島が見えるとほっとした。夜には満天の星空が美しかった。

 自分の世界がどれだけ狭かったかと、改めて思った。


 船旅を終え、着いた先は、国境に近いオニクセル領というところだった。

 港近い町は、活気に溢れ、人々の表情は明るい。町の中心部に向かうに連れ、多くの店が立ち並び、賑やかさを増した。

 海を一つ隔てただけなのに、これほどの豊かさに触れ、明るい表情の人々が溢れているのを見ると、胸の奥がなぜだか苦しくなった。

 こんな世界は物語の中でしかしらなかった。

 ブレイグは国自体が貧しく、冬の寒さはとても厳しい。日々を生きるのに精一杯だった。

 唯一気持ちを明るくしてくれた友も、グレンの出自を聞き、去っていった。

 マーカスや、お供の者たちの丁寧な物腰も落ち着かない。

 まばゆいほどの世界で、どうしていいかわからず怖かった。


「慣れない船旅でお疲れでしょう。今日は領主の館に立ち寄ろうと思います。ただ…王に謁見していない状況では、まだグレン様の素性を明かすわけにはいきません。館では大変恐縮ですが、私の側仕えの者として遇させていただきます」


 マーカスは申し訳無さそうに告げたが、その方がグレンにはありがたかった。

 途中、衣料品店に立ち寄り、グレンの服をいくつか揃えた。


「僕、こんな服初めて着るよ。マーカスさん。変じゃない?」


 側仕えらしく控えめだが、上等な布で仕立てられた藍色に蔦の織模様が入った服は、とても着心地がよく、グレンの銀髪にも良く似合っていた。

 

「お似合いですよ。王のお若い頃を思い出します」


 マーカスは懐かしげに目を細めた。

 

 領主の館につくと、領主から歓迎を受け客間に通された。他のお付きの者は別の部屋のようだ。

 マーカスが領主に呼び出された為、グレンは1人客間に残された。


「すごい館だな…」


 グレンは物珍しげに辺りを見回した。

 フワフワのソファに毛足の長い絨毯。飴色の艶やかな調度品。壁にはいくつもの風景画が飾られ、窓には分厚いカーテン。

 どれも初めてみる豪華さだった。

 窓の外を覗くと、手入れがされた広い庭園といくつかの建物が見える。

 ロブとあちこち探検した思い出が蘇った。


「少しだけ、庭だけならいいかな?」

 

 グレンは好奇心に負けてそっと部屋を抜け出した。

 タイミングよく廊下は誰もおらず、中央のオレンジ色のカーペットが敷かれた階段そっと駆け下り恐る恐る玄関をあけ館を出た。


 良く手入れされた庭園は広々として、緑の低木が形を整えられぐるりと周りを囲っている。中央には噴水、その外側には円形に花壇があり、規則的に色が配置されていた。 


「ここで薬草を育てたら、たくさん取れるだろうな……」


 色とりどりの花が咲く庭園で、ちょっとズレた感想をつぶやきながら館の裏手に回ると、馬のいななきが聞こえてきた。

 建物から少し離れたところに大きな厩舎が見える。動物が好きなグレンは興味を惹かれ、厩舎に向かった。

 中をそっとをのぞくと、たくさんの馬房があり、毛艶の良い馬がずらりと並んでいた。

 その中でも特に艶やかな栗色の馬の前に女の子がいた。茶色の髪が鹿毛の馬と同じ色だ。馬は女の子の頬に鼻先を擦り寄せている。

 その仕草に、無邪気に笑う様に、しばし見入ってしまう。

 馬をとても可愛がっているのだというのがよく分かった。

 だが、その子の格好は着飾った貴族の令嬢姿で、馬小屋にそぐうものではなかった。


「ごめん、ルーフェ。今日はお客様が来たから遠乗りにはいけないんだ。アンソニーは隣の町にでかけているし……。楽しみにしてたのになあ」


 どうやらグレンたちのせいで、出かけられなかったらしい。それにしても女の子だと思ったがその言葉使いは男の子のようだ…。

 中に入る勇気はなかったので立ち去ろうとしたところで、先に女の子がこちらに気がつき近づいてきた。

 年は少し上だろうか?グレンよりも頭半分背が高い。 

 

「誰?見たことない子だね」


「あ…ぼ、僕は……」


 一瞬、マーカスの側仕えと言う設定も頭から飛んで口ごもる。


「僕はジェシカ。君の名前は?マーカス様の御一行かな?それにしては随分小さいけれど…」


 まごまごしている様子に、少女は先に名乗ってくれた。


「僕はグレン。この前母が亡くなって、それで母の知り合いだったマーカスさんの側仕えにしてもらって…」


 緊張のあまり、上手く説明できない。そして母の事を思うと涙が出そうになるのを必死でこらえる。


「ふーん。なるほど。僕も母様は3歳の頃に亡くなったんだ。すごく悲しかったのは覚えているけど、それ以外はほとんど覚えていないんだ。君、頑張ってて偉いね」


 さばさばと言うジェシカに、グレンは少し拍子抜けする。

 マーカスやお付きの者は驚くほど親切で丁寧だが、そんな待遇には慣れておらず距離感が掴めない。

 母を亡くしたグレンに過剰に気遣っているのも感じられた。


「あの、僕達のせいで遠乗りに行けなかったの?ごめんなさい」


「なんで君が謝るの?マーカス様について来ただけでしょ?そうだ!遠乗りは無理だけどちょっとそこまで馬に乗ってみる?」


「え!僕は馬に乗ったことないから…」


 「僕と一緒に乗れば良いよ。いい気分転換になるよ!ちょっと待ってて」


 ジェシカはそう言うなり馬小屋から駆け出していった。5分ほどして戻ってきた姿は完全に男の子だった。


「お待たせ。早く行こう!」


 ジェシカは馬を連れてきて馬上にグレンを引き上げた。グレンは初めて馬に乗ったので、その高さに驚いた。鞍の上も不安定でドキドキする。


「僕にしっかり掴まってて。ほら、お腹に手を回して」


 グレンは言われたままジェシカにしがみつく。


「この子はルーフェ。産まれたときから僕と兄で世話してるんだ」


 賢そうな栗色の馬、ルーフェは呼ばれたのがわかるのか、首をこちらに向け、ぷるんと鼻を鳴らし歩きだした。

 

「大丈夫?じゃあいくよ!」


 はじめのうちはパカパカと歩いていたルーフェはジェシカの掛け声で駆け出す。

 すごい!速い!

 景色が凄いスピードで後ろに流れていく。

 あっという間に林を抜け、前方に景色が広がる。そこで馬のスピードは落ち、止まった。


「わぁ!」


 グレンは広がる景色に歓声をあげた。

 目の前にはグレンが通ってきた町と、港が見える。乗ってきた船はまだ停泊していた。

 二人はルーフェから降りると、近くの木に手綱を結び、草の上に腰掛けた。


「ここからの景色が好きでよく来るんだ。どう?」


「うん!町も海もよく見える。素敵な眺めだね。馬も初めて乗ったけど速くてびっくりした!まだ胸がドキドキしてるよ」


 先ほどは故郷とのあまりの差に胸が苦しくなったが、興奮したせいか今はただ楽しい。


「良かった。国境の領地で田舎だけど、気に入ってくれたら嬉しいよ」


 ジェシカはニカッと笑う。

 この子はなんて生き生きとしてるんだろう。そしてとてもカッコイイ。

 女の子は大人しいかと思ってたのに、全然違う。


「ジェシカはカッコイイね」


「そう?うれしいな。そういってかもらったのは、はじめてだ。父上は女らしくしろってうるさいけど、男ばかりの家だから。どうしたらいいのかさっぱりだもの」


「さっきのドレス姿もかわいかったよ。でも好きなようにできるなら、そうしたらいいよ。君はそのままでいいと思うな」


 だって、本当に生き生きとして、格好良かった。やりたい事ができるなんて羨ましいくらいだ。

 ジェシカは照れたように笑った。


「君はそのままでいい、か。ありがとう。本当にずっとそうできたらいいな。僕はこの国一番の剣士になりたいんだ」


「剣士!?すごい、剣まで使えるんだ」


「弓やナイフも使えるよ。うちは武家の家系だから男女問わず色々叩き込まれるんだ。その代わり、裁縫とかは全然駄目だけど」


 ますます格好いい。


「僕の友達も騎士になって王様に仕えたいって言って僕と稽古してたよ!僕はいつもこてんぱんにやられてたけど」


「へえ、じゃあ、僕はいつかその友達と同僚になれるかもな」


「あ、そう…だね。どうだろう…」


 ロブが支えたいのはワーズウェントではなくプレイグの王様だから…。でもプレイグの事を話すのはマーカスに止められていたので言葉を濁した。


「僕相手じゃゴッコ遊びみたいなものだったし、強いかはわからないや」


「でも立派な夢じゃないか。かなうといいな」


「ジェシカの夢もかなうといいね」


「うん。グレンの夢は何?」


「僕の夢は…その子と一緒に国に仕える事だったんだけど…結局、離れ離れになっちゃったからね……」


 ロブの事を思い出すと胸が苦しくなる。あんな別れ方はしたくなかったのに…。


「そうか。それでもそれぞれ夢に向かって努力すれば、いつかまた出会えるんじゃないかな」


 ジェシカはどこまでも前向きに笑う。

 同じ国ならそうかもしれないけれど…。

 いや、それぞれの国で努力すれば、もしかしたら自分たちの力で和平交渉に繋げられるかもしれない。

 夢見ていた形とは違うけれど自分達はそれぞれの国の王族だ。

 道のりは遠く険しくても可能性はゼロではない。


「ありがとう、ジェシカ。そうなったらすごく嬉しいや。がんばるよ」


 グレンは久しぶりに心の底から笑った。

 自分に指針を与えてくれた少女に感謝を捧げながら。

 その顔にジェシカも赤くなりながら笑顔でかえした。


「ジェシカ、どうしたの?顔が赤いよ」


「いや、その、グレンの笑顔が可愛すぎて照れた」


「ええーっ、か、カワイイ!?」


「あれ?言われない?」


「うーん。母さんにくらいかなぁ」


 やっぱりカワイイよりもカッコイイと言われたい。

「僕もジェシカのように格好良くなりたいなぁ。色々頑張らないとな」

 

「あはは!それこそ、そのままでも良いよ。大きくなればモテモテだと思うな」


 そう言ってジェシカはカラカラ笑った。

 グレンも照れ笑いを浮かべた。


「さ、そろそろ帰ろうか?内緒で出てきたから、遅くなるとみんな心配する」


 ジェシカはそう言うとルーフェの手綱を取り、騎乗してグレンを引っ張りあげた。

 行きと同じようにルーフェはパカパカと走り出すとぐんぐんスピードを上げ林を抜けて行った。


 屋敷に戻ると、マーカスがいなくなったグレンを心配して探し回っていたようだった。


「グレンさ…、ジェシカ嬢!私の側仕えを勝手に連れ回しては困ります!」


「ごめんなさい、マーカス様。グレンに僕の領地を見せたかったんだ」


「僕の領地?」


「ああ、こちらはオニクセル侯爵のご令嬢、ジェシカ嬢です」


「ええ!?」


「あ、ごめん。言ってなかったね」


「ごめんなさい、僕、色々失礼を………」


 本当はグレンのほうが身分が上だ。マーカスは素直に頭を下げるグレンを何とも言えない顔で見る。


「気にしないで良いよ。ところでマーカス様はいつまでここにご滞在ですか?」


「明日の早朝にはたつ予定です」


「それは慌ただしいですね。兄のアンソニーは所用で出かけていますので、お会いできませんね」


「何分、王都に急ぎますゆえ…」


「グレンと仲良くなりました。素直でいい子ですね。是非またお連れください。何でしたら我が領でお預かりしますよ」


 グレンは一瞬目を輝かせたが、これにはマーカスも目を剥いて辞退した。


「いえいえ、お気遣いはありがたいのですか、この子の母には私が責任を持ってお預かりすると約束しております」


 王都よりもここで仕えたほうかよっぽど楽しそうなのに…。

 グレンは気落ちしたが、もし王様に子どもと認めてもらえなかったら、またジェシカにお願いしてみようと思い直した。


「そうですか、残念です。それではそろそろ失礼します。グレン、またね」


「あ、はい。楽しかったです。ありがとうございました」


 ジェシカはまたニカッと笑うと、ルーフェを連れて行ってしまった。


「やれやれ、お元気なご令嬢ですなあ」


 ジェシカが離れるとマーカスはグレンに敬語で話しかけた。


「でも僕、とっても楽しかったよ。馬にも乗せてもらって速くてすごくどきどきした!」


 グレンが興奮気味に話すとマーカスはふぉっふぉっと笑った。


「お顔がとても明るくなってますよ。よっぽど楽しかったのですな。王都に着いたら乗馬の練習をしましょう」


「僕このままここにいても良いよ」


「とんでもございません!もう早馬で王城へ伝令を出しています!」


 ダメ元で聞いたが案の定却下された。


「私は晩餐に招待されていますが、グレン様はお部屋で食事をされてください。グレン様の事は侯爵にもまだ内密です。お城で顔を合わす機会があればややこしくなりますゆえ。ジェシカ嬢は登城する機会もないでしょうから大丈夫と思いますが」


 ジェシカは剣士になる気満々だったが黙っておこう。グレンは苦笑いで応じた。

 その晩は久しぶりの陸地で船のように揺れないベッドに感激しながらぐっすり眠れた。



 翌朝、まだ朝日が昇らない薄明るい時間にオニクセル領を発った。

 ジェシカは早朝にもかかわらず見送りに来てくれた。マーカスは屋敷と馬車を行ったり来たりしていたのでその間に挨拶を交わした。


「グレン、元気でね。またいつかオニクセルにおいで」


「はい。いつかきっと来たいです!」


 ジェシカはまた明るく笑って声をかけてくれた。

 グレンは慣れない敬語でジェシカに応じる。


「僕が城仕えしだしたら、マーカス様のところにご挨拶に行くから」


 ジェシカはグレンにこっそりと耳打ちした。

 本当にそうできたら良いのだけど…。

 会えたとしてもこうやって気軽には話せないかもしれないと思うと、別れの寂しさに切なくなり、涙ぐんだ。

 いや、もしかしたらもう会えないかもしれない。

 ポロポロと涙を流すグレンにジェシカは優しく頭を撫でてくれた。


 侯爵領、オニクセル。

 故郷よりずっと豊かで活気のあるまちだった。

 グレンは生涯、ここでの体験を忘れられなかった。




甘酸っぱいボーイミーツガール。

見た目の性別は逆転してますが。

僕っ子大好きなんです。

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