24凱旋
性的描写があります。
苦手な方はご注意ください。
ブレイグの王都を王子が率いる部隊が制圧したという知らせは、瞬く間にワーズウェントに伝わり、民衆は歓喜に沸いた。
数年に及んだ敵国の侵攻が、たった二月あまりで決着した事に、みな驚きを隠せなかった。
中には、王子がもっと早く出陣していたらこれほど犠牲が出なかっただろうに、と恨み節を言うものまでいたほどだ。
ひと月ほどして王子の部隊がワーズウェントの王都に戻った際は、街道が出迎えの民衆で埋め尽くされた。
一行は歓声に笑顔で答えていたが、王子は馬上で戸惑ったような笑みを浮かべていた。
戦の最中ついたものであろう、右頬の傷跡が痛々しかった。
整った顔立ちの王子に憧れる娘たちも多く、その傷を見ると、みな一様に悲嘆に暮れた。
予定よりだいぶ遅れて一行が入城したのは、日も暮れかかったころのことであった。
「ただいま戻りました。陛下」
王子と側近二人は謁見の間に膝をつき、礼をとった。
「此度の戦、大義であった。そなたのおかげで悲願の終戦を迎えられた。礼を言う。この上なく嬉しく思うぞ」
王子の父である国王が、労いの言葉をかける。
その後ろに義母である王妃、姉姫が並んでいた。
王子の妃はそこには見当たらなかった。
そう、そこには。
「ブレイグの王は正気を失っており、我軍が城に着く前に自刃されました。かわって王弟が敗戦を宣言いたしました。長き戦に疲弊していたのはあちらも同じようで、これといった混乱もないまま城を明け渡しました」
王子はブレイグでの顛末をかいつまんで説明した。
「ふむ、弟君がの。話のわかる相手なら良いの」
「もう、おられません」
「なんと?」
「ケジメ、と申され、私と1対1の勝負を挑み、果てましてございます。立派な最期でございました」
王は息をのみ、王子を見つめた。
国を継ぐものとして最前線で陣頭指揮を取っただけでも軽率なのに決闘まで。
「そなたが無事だったから良かったようなものの…」
王は半ば呆れながら呟いた。
「私もこれからのブレイグを導いて欲しかったのですが…」
当の王子は淡々と報告する。
「うむ…。惜しいことであったな。ともあれ、今日はゆっくり疲れを癒すがよい。祝賀の宴は明日催す事としよう。ブレイグの今後の事についてもな」
王子たちの疲労を考慮して、早々に退出の命が下った。
「ご配慮、ありがとうございます。では、本日は失礼いたします」
王子は立ち上がると一礼をし、控えの間に下がった。
「さ、早くお召しかえ下さいな。湯を用意していますからおくつろぎ下さいませ」
待ちかねた侍女達は、甲斐甲斐しく世話をしてくれた。王子も臣下もみな一様に襟元を緩めてほっと一息つく。
そこへ…。
「お帰りなさいぃ!」
「お待ち下さい、妃殿下!!」
すごい勢いで扉が開き、バタバタと駆け込んでくる人物がいた。
「無事で良かった!もう!心配したのよお!!」
そう叫ぶと、妃殿下と呼ばれた人物は王子の側近に抱きついた。
「うわっ!ちょっ、ア、いや、ジェシカ!離して!王子に挨拶もせず失礼だろう!!」
「あはは、そうよねぇ。旦那さまよりあなたの心配するのはまずかったわね。でも愛する双子の片割れなんだから多目に見てくださるわよ~」
「ああもう、何言って…。え、もしかして、今までずっとこの調子で過ごしてたの!?」
周りを見渡すと侍女たちは苦笑いを浮かべ、こくこくと頷いた。
「改めて、王子、おかえりなさぁい」
そういうと今度は王子に抱きつこうとしたが、王子は両肩を押さえそれを制した。
「ジェシカ、着替えてから後で僕の部屋においで。アンソニー、君もだ。長い間おつかれ様。着替えてゆっくり休むといい」
王子は双子にそれぞれそう言い渡した。名前を呼ぶ時、じっくりとそれぞれの顔を見ながら。
「……はい」
「……はぁい。ちょっとぐらい乗ってくれてもいいのに」
王子の側近は神妙に、妃は悪びれもせず返答した。
「ははは。今回の件、僕はかなり怒っているからね。覚悟してて?」
冷ややかに告げる王子に周りは震え上がる。
怖い。
「こっわー。それならはじめから二人とも連れていけば良かったのよ。そしたら入れ替わりなんてしなかったわよ。ねぇジェシカ?」
「アンソニー!」
ペラペラ周知の事実をしゃべる兄に、ジェシカはたまらず声をあげた。
凍りついた場の空気をものともせずいい放つアンソニーに、皆下を向き笑いをこらえた。
「けっこう楽しかったわよ~」
留守中の事をそう告げたアンソニーだったが、好き放題やってたんだろうと思うと頭痛がした。
でも……。
「ありがとう。王子について行けて本当に良かったよ。感謝してる」
ジェシカは素直に礼を述べた。
対外的に従者としてついていったのは兄だ。
王子妃は城に残っていた。あとはそれを押し通すだけだ。
「いいのよ、でもホントに無事で良かったわ。あなたに何かあれば、王子をぶち殺してやるとこだったわ」
アンソニーはさらりと物騒な事を口にした。敬意も何もあったものじゃない。
何もなかったとは言えないが、あえていう必要もないだろうとジェシカは思った。
「さぁ、あなたも早く休みなさい。王子のとこなんて行かなくて良いわよ。休むどころじゃ無くなるわよ!」
「いや、でも挨拶ぐらいは…。だって二人で話す機会なんてほほなかったし…。流石に今日は王子も早く休むよ」
ジェシカは兄の勢いに押されつつ反論した。
王子だって、そんな体力、残ってない…。多分…。
それはそれで、何だか寂しいが…。
「どうだか。私が口を挟む話でもないけどね」
ジェシカは苦笑いしながらアンソニーと別れた。
湯に浸かりながらジェシカは何度も眠りに落ちそうになり、鼻まで沈んだところで慌てて身を起こすということを繰り返していた。
湯は香油のいい香りがして余計に眠気を誘う。
湯から上がり、侍女達が肌の手入れをしてくれる。当然この3ヶ月ろくな手入れはしていない上に突撃の際にできた擦り傷、切り傷のあとがうっすら残っていたため、かなり怒られた。
「化粧水とクリームは持たせたでしょう!?ばっさばさじゃないの!しかもなんなのこの傷!」
侍女の一人、幼なじみのキャロラインが叫んだ。
「男ばっかの行軍でそんな暇あるわけないだろ…」
実は面倒なだけだったが、とりあえずまわりを言い訳に使う。
「アンソニーのお肌はピッカピカだったわよ。性別は関係ないわ。あなたがずぼらなだけ」
「…そのとおりです。悪かったよ」
もう反論の余地もない。
ジェシカは温めた大理石の台の上にうつ伏せに寝転び、されるがままマッサージを受けた。
全身がほぐれ、疲れが溶けて流れていくようだ。いつの間にか眠りに落ちてしまった。
「ジェシカ、起きて!殿下のお部屋に行かなきゃでしょう!」
背中をぺちんと叩かれ、ジェシカは目をさました。
「王子?え?あれ?あれ?キャロル?」
深い眠りの入口で起こされたので、一瞬ここがどこだか混乱してしまった。
「さあ、早く服を着て行かないと。もうずいぶんお待ちと思うわよ。お部屋に軽食も届けてるから、あちらでゆっくりなさいな」
そつなく手配するキャロラインにジェシカは感心した。
「ありがとう。助かるよ」
「妃殿下の株を上げるのが筆頭侍女の私の使命よ!」
頼もしい言葉に、帰って来たことを実感した。
しかし王子の部屋の扉の前で、ジェシカは何度も扉を叩こうとしてはやめるという事を繰り返していた。
キャロラインが着せてくれたのは淡い蒲公英色の長衣に黄緑で葉の紋様が刺繍されたストールだった。
久しぶりに袖を通す長衣は、身体の締め付けがなくむしろ頼りない感じすらした。
「緊張する…」
無理矢理ついて行き、道中はほぼアンソニーとして振る舞っていた。
二晩だけ、二人きりになったけど、それ以来だ。
ふと、その事を思いだし、胸がぎゅうっと苦しくなった。
「な、なに思い出してるんだ…、ばかっ」
ジェシカは真っ赤になって頭をブンブンふり、咳払いをして雑念を追い払った。
改めて扉を叩こうとしたとき…。
「早く、入っておいで」
中から王子の声がした。
「…失礼します」
ジェシカは観念して、部屋に足を踏み入れた。
王子はゆったりした部屋着に着替えており、長椅子に腰掛けこちらを見ていた。
「あの、先ほどは…」
ジェシカは、まずアンソニーの非礼を詫びようとした。しかし…。
「さっき?君が、飛び付いてきた件かな?」
王子はクスクス笑いながら片目をつぶった。
その様子にジェシカはほっと肩の力を抜いた。入れ替わりの件は無かったことにしてくれるという意味だろうか?
「あ…。はい、先ほどは失礼しました」
「もういいよ、こっちにおいで」
王子はジェシカを招き寄せる。
ジェシカはためらいがちに王子の横に腰掛けると、おずおず手を伸ばした。
頬の傷跡に触れないようそっと頬をなでる。
「ずっと気になっていました…。痕が、残ってしまうでしょうね…」
王子の頬には顎の下から切り上げた傷があった。
傷口はまだ生々しく、痛々しい。
「ああ…」
王子は傷口にそっと手をやるが、何故か柔らかい表情でほほえんだ。
「そうだね。むしろ、一生消えないほうがいい………」
この傷をつけたのはブレイグの王弟だ。
だがその相手はもういない。決闘の末、王子か勝利したからだ。
遠くを見るように、王子が目を細めた。
「王子…」
その様子にジェシカは胸が苦しくなった。見える傷以上に、王子の心の傷は深いと思われた。
ジェシカは傷口の横にそっと口づけをすると、王子を見つめはらはらと涙をこぼしだした。
「でも…王子が死ななくて、本当に良かった……」
心からそう思う。
もしあの場で動かなくなっていたのがブレイクの王弟ではなかったら…。目の前で見た光景を思い浮かべ、ジェシカは身震いした。
一方で、それは自分がブレイクの王弟の死を願ったのも同じ事でもあった。苦いものがこみ上げてくる。
王子はジェシカをしばらく見つめていたが、やがて顔を引き寄せ唇を重ねた。
その甘い感触に浸っていると、王子はジェシカの胸に顔を埋めた。
「あ、お、王子…!?」
「僕は、君が心配で気が気じゃなかったよ。ちっとも言うことを聞かないんだから…」
吐息が胸元にかかりくすぐったい。
ストールの隙間からのぞく素肌に、王子の頬がすり寄る。母に甘える子どものように。
その目は固く瞑られ、何かを堪えているようでもあった。
ジェシカは王子の髪をそっと撫でる。
「心臓が、ドクドクいってる…」
生きている事を確かめるように王子は呟いた。何と対比しているかわかり、胸の奥が苦い。
「王子がそんな事するからです」
ジェシカはわざと軽く受け流す。
意味が違う事もわかっている。でも…。
「うん、ずっと君に会えなかったからね…。こうしてると帰って来たことを実感できるよ…」
そう、そういう事になっている。
実際、こうやってゆったりと触れ合うのはずいぶんと久しぶりだ。
王子はジェシカを抱き上げ寝台へ運んだ。
柔らかい敷布の上にジェシカをそっと下ろすと、王子は自分の部屋着の紐を解きながら、ジェシカを見つめてきた。
ジェシカは目の前のはだけた首筋や胸元に鼓動がはやまった。
王子が、ジェシカの長衣の裾をまくる。さきほど手入れをしたばかりの肌はなめらかに潤っている。
「ふっ…」
こみ上げてくる感覚に抑えきれず吐息がもれる。
身体を支えきれずジェシカは寝台の上でのけ反った。
王子はジェシカの頭の後ろに手を回し、
ゆっくりと押し倒しながら上から覆いかぶさった。
「ただいま、ジェシカ」
王子はジェシカの唇を優しくなぞりながら見つめた。
「おかえりなさい…グレン…」
ジェシカは、ふたりきりのときは名前で呼ぶという約束のとおり、王子を名前で呼んだ。
それでようやくジェシカも帰って来たことを実感する。
王子の…グレンの瞳は一瞬驚いたように見開かれ、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
気が張りつめ通しだった戦場では見られなかった柔らかい表情に、ジェシカも胸がいっぱいになり、堪えきれず涙がこぼれ落ちる。
グレンはその涙を優しくぬぐう。ジェシカはグレンの頭を引き寄せ、唇を重ねた。
柔らかい唇同士が触れる。すぐにグレンの舌が絡み、濃厚な口づけが続く。その間にもジェシカの肌の上に優しく手が行き交い、甘美な震えが身体を巡った。
「久し振りに君に触れられて嬉しいな」
本当はつい半月前に肌を合わせたばかりだ。だが、やはりこうして帰って緊張感から解き放たれた安堵からか、ジェシカもたまらなく嬉しい。
「はい、私も……嬉しい……」
思い返してみれば、出陣前も含めてゆっくりと二人きりで過ごすのは1年ぶりぐらいだ。
出陣前夜はこれが最後かもしれないと、悲壮な気持ちだったし、狩人の小屋や王城の隠し部屋は、思い詰めた結果だったり寝込みを襲われたようなものだった。
ジェシカは幸せを噛み締めた。
ほんとはこの話は外伝予定でしたが、帰ってくる描写まであったほうが良いかな?と言うことで追加です。




