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1ワーズウェントの王子

 毎日、毎日、部屋に籠もって勉強では気が滅入る……。

 グレンはいい加減嫌気がさしてきた。

 彼は最近所在が明らかになったワーズウェント王の庶子だ。

 12歳になったつい先日まで隣国ブレイグの貧しい農村で母と暮らしていた。

 まさか自分が王子になるなんて、誰が想像しただろう。

 夢は親友のロブとともに、ブレイグの王城に出仕し、貧しい故郷を豊かにする事だったが、王子と判明し、即、ワーズウェントに連れてこられた。


 ブレイグでは叔父の家の薬草栽培の手伝いをしながら、ロブと森に出かけたり、古地図で散策して秘密の通路から塔に登ったり、木刀で剣の稽古をつけてもらったり……とにかく退屈することがなかった。

 今は、何をするにも一人。

 初等教育は受けたものの、王族としての教養には程遠く、遅れを取り戻すべく連日缶詰での勉強に早3ヶ月……。

 理解力が思いのほか早かったため、教官の力も入る。課題も大量に出され、辟易していた。

 今日も、予定より2時間も講義が延びた。


「いやぁ!これほど優秀な生徒は初めてですよ。理解力も応用も素晴らしい!なんと教え甲斐のあることか。これなら半年で遅れを取り戻せます。2年もあれば政務に加わる事も出来るでしょう」


 教官の評価は抜群だった。

 普通、王族が政務に加わるのは16歳らしい。グレンは先日、12歳になったばかりだ。それならば講義は今の半分くらいにしてほしい……。

 せめて生徒が他にもいれば良かったのに。

 グレンは教官のベタ褒めに可も不可も無く曖昧に微笑んだ。



 グレンが疲れているのを見て、姉姫のクラウディアが声をかけてきた。


「あなた本当に真面目ね。もっとお気楽にやって良いのよ。今まで放ったらかされてたんだもの。出来なくても気にしなくて良いわよ」


 クラウディアはグレンの母の事も少し覚えていたようで、


「とても可愛がってもらったの。お菓子作りが上手だったわ」


 と、懐かしそうに目を細めた。妾腹だからと誰もグレンを蔑んだりはせず、暖かく迎えてくれた。

  

 4歳年上のクラウディアはざっくばらんでおおらかな人だった。

 16歳なので今夏お披露目の宴が催される。女性のため政務に加わる事は無いそうだが、グレンが見つかるまでは後継者としての教育を受けていたそうだ。

 グレンは平民として育った自分よりも、よほどこの姉姫の方が王位を継ぐのに相応しいと思っていた。

 何度も父王や王妃、姉姫にそう訴えたが、みな一様に取り合ってくれない。


「誰もいなくてしょうがないから、私が後継者の席にいたけど、実際お飾りになるだけだもの。あなたが来てくれて、肩の荷が下りたのよ」


 姉姫はそうやって品良く笑った。


「いやいや、お飾りにはならないであろう。だが、何をしでかすか分からんから、私も、冷や冷やしたであろうな」


 父王もニコニコ応じる。


「私はもう子どもを望めないから、ほんとうに良かったわ。男の子を産めなかったばかりに、お世継ぎ、お世継ぎと針の筵だったもの」


 あろう事か、なさぬ仲である王妃までがその調子だ。


 母は今際の際に、王妃様に申し訳ないと繰り返していた。

 このおしどり夫婦にして、どうして母がグレンを身籠る事になったかさっぱり分からないが、さすがに触れられる話題でも無かった。


「オリビアは、本当に良い侍女だったのよ。だけどまさか、子を宿していたなんて。誰にも言えず、辛かったでしょうに。悪いのは王です。まさか、香水が同じなだけで、私と間違えるなんて」


 だが、王妃は触れまいと思っていた事実をあっけらかんと言い放った。


「あの香水は、遠方から取り寄せた希少なものだったからなぁ。侍女がつけてるなど、夢にも思わなんだ。可哀想な事をした。私付きの侍女も、長い事黙っておったからの。側近がそなたに気がついて、報告した際に、初めてその夜の子細を打ち明けられ、卒倒しそうになったよ。王妃にもオリビアにも面目なく……」


 王は、しょんぼりと続ける。

 するとなにか。自分は勘違いでできたという訳か。


「お父様!グレンもよ!本当に、こんなにいい子が今まで苦労してたかと思うと私、いたたまれません!」


 クラウディア姫がピシャリと告げ、王は、ますます眉を下げた。

 物語なら、いびられていたところだと思うが、なんともおおらかな人達であった。

 それでいて、家臣の前ではみな威厳と気品が漂っており、その落差にも驚いたものだった。


 対面の日、人払いをして4人になった途端みなさめざめと涙を流し、抱きしめてくれた。

 グレンと父王は面立ちがそっくりで、ブレイグでは珍しい銀髪も同じだった。目の色だけは母と同じ紫で、みな王の子である事を確信したようだった。

 母はここで自分を産んでいたら大切にしてもらえただろうに……。そう思うと切なかった。


 あの貧しいブレイグで、母は働き詰めで身体を壊し、1年の闘病の末に亡くなった。叔父は援助してくれていたけれど、それでも食べるだけで精一杯だった。

 母は倒れるまでグレンを学校に行かせてくれたり、知りうる限りの教養や作法を教えてくれた。

 グレンが今、勉強についていけているのもその下積みがあったからだと思う。

 大好きだった母。死んだと聞かされていた父の事はほとんど語らなかったけれど、床についてから、とても素敵で憧れの人だったと聞いた。

 その時の母は夢見る少女のようだった。例え間違いであっても、父とのことは母には忘れられない思い出だったのだろう。


 そして王の側近が親書を持ちブレイグに訪れた日に全ての世界が変わった。

 あの時にたまたま叔父の使いに出ていなければ、自分はここには居なかっただろう。

 休憩に立ち寄った叔父の家で、その男はグレンを見て目を見開いていた。母の名前を尋ねられ応えると、明らかに狼狽していた。

 母に会わせて欲しいと請われ、家に連れ帰ると、母も驚いていた。

グレンは席を外すように言われ、長い事、母と男は話していた。

 家に連れて来たのは間違いだったかも知れない。母の知り合いなら、会えば嬉しいだろうと連れて来たのに。

 母は激しく動揺し


「申し訳ありません!」


と繰り返し謝り、号泣していた。


「帰りにまた来ます」


 男は何故かグレンに丁寧に話しかけ、数日後に立ち寄ると言い残して去って行った。


 その夜、母はグレンに、本当は父が生きており、隣国の王である事を知らされた。

 父にはグレンの事を知らせていなかったが、今日来た男が、グレンが幼少の父にうり二つだった事、かつて王妃の元で働いていた侍女の子だと知り、問いただされ、これも運命かと観念したという。


「あなたが可愛くて、王妃様に申し訳なくて……。ごめんね、グレン。母さんのワガママで貴方にいっぱい苦労をかけてしまった。でも、これで良かったのよ。母さんはもうすぐ死んでしまうもの。これからはお父様の所で幸せに暮らして………」


 グレンは頭が真っ白になったが、病床の母を置いていくつもりは毛頭無かった。

 何より、親友のロブとこの国を支えると誓っていた。

 隣国は高い山脈を越えるか海路を使ってしか行けない、グレンにとっては遠い異国だ。

 行きたくないのが、正直な気持ちだった。


 そうだ。ロブに相談しよう。

兄のように慕っている彼は、多分貴族だ。

 グレンにもこの国の産業、資源、軍備など色んな事を、教えてくれた。

 一度一緒に王都へ行ったことがある。

 古地図の秘密通路から王城への抜け道も教えてもらった。途中の扉を開ける仕掛けが石をずらす順番を間違えると毒矢が飛んでくるらしく、足元に人骨も転がっていたのでひやひやしながら石をずらした。


「俺の子分だからお前だけに教える。秘密だぞ」


 そう言われ、とても嬉しかった。

 一緒にこの国を支えようとも言われた。

 王都で遠くからみたロブの兄は、立派な身なりで高貴な身分のようで、理知的な眼差しが印象的だった。

 ロブは兄を守る騎士になりたいのだと言う。だからグレンも一緒に来いと。

 剣術の腕はイマイチだったので、いつもロブにコテンパンにのされてた。

 騎士には到底なれないかも知れないが、それでも心躍り、そうすると誓いあった。

 ロブならきっと助けてくれる。そう信じていたが……。


「………ワーズウェントとはもうすぐ戦が始まる。グレン、早く国へ帰れ。お前の身の上は誰にも言うんじゃないぞ。その話が本当なら、俺とお前は敵同士だ。俺は妾腹だがこの国の王の弟だからな。」


 ロブに相談すると、長い沈黙の末、厳しい表情でそう告げられた。

 貴族だとは思っていたが、まさか王弟だったとは……!


「ぼ…僕は知らないところには行きたくない!一緒にこの国を支えようって約束したじゃないか!」


「ワーズウェントは豊かな国だ。だから兄上も侵略を考えてるんだ。兄上は色々あって変わってしまった……。お前との約束は果たせない。早く国へ帰るんだ」


 ワーズウェントの王の側近は、宣戦布告に対し和平交渉に来たのだろう、と告げられる。

 戦争になる?ロブと敵同士に?

 グレンの頭は追いつかない。


「嫌だ!嫌だ!僕は行かない!酷いよ、みんなして僕の気持ちは無視かよ!」


 駄々をこねているのはわかってる。みんなグレンの為に言ってくれてるのも。だけど。


「グレン、こうなったらお前の身が危ないかもしれないんだ。兄上に知られたら……きっと人質にとられるか、殺される」


 あの理知的な眼差しのロブの兄が?そこまで変わってしまったのか?


「いつか、また会えるといいな。それまで元気でいろよ」


 そう言うと、ロブは振り返らずに走り去ってしまった。

 グレンの両目からは涙が溢れてこぼれ落ちた。


 母はその3日後に亡くなった。

 眠るように穏やかに。

 グレンを産んでとても幸せだったと微笑んで眠りについたのが母との会話の最期だった。

 今までグレンのために気を張ってたのだろうと叔父が告げた。

 医師からは一月も前に、いつ急変してもおかしくないと告げられていたのだという。

 母から、叔父と医師にグレンには言わないで欲しい、と固く口止めをされていたそうだ。

 母は王の使者と話し合い、叔父には王の子であることは告げず、ワーズウェントの騎士の子である事とするよう、グレンにも言い含めた。

 確かに、ロブの言ったように、このまま戦争になるのであれば叔父一家に迷惑がかかる事は必至だった。

 グレンは母の髪を一房切り取るとそれを形見として母が大切にしていたオルゴールにしのばせた。

 母の葬儀は簡素に行い、共同墓地に埋葬した。 


 今でも思い出すと涙が溢れそうになるので、できるだけ思い出さないようにしていた。でもふとした瞬間に頭をよぎるともうだめだ。

 もうブレイグには帰る家も無い。

 今、2国間は戦争状態であるため、容易に行くことなどできないが。



 クラウディアはグレンが涙ぐんでいるのを見て、そっと抱きしめて頭を撫でた。


「ごめんなさい。お母様の事思い出させちゃったわね。でもやっぱりあなた無理しすぎよ。お父様に何日か勉強はお休みさせて貰うよう伝えるわ」


 優しい慰めだったが、グレンの寂しさが癒されることはなかった。


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