16王子回想
*初校から改稿しています
僕は懐かしさで堪えきれず、こっそりと、昔、自分が住んでいた集落へ向かった。
後で君が怒るかも知れないが、君はいないものとして接していたから無視すればいい。
あれほど待っていて欲しいと言ったのに、アンソニーと入れ代わってまで来るとは予想外だった。アンソニーもアンソニーだ。妹が心配じゃないのか?
軍部も何事もなかったかのように受け入れている。しゃべりかたから全然違うからわかっているだろうに!
君が、常に僕を見ている視線は感じている。それを分からない振りをする僕の身にもなって欲しいよ。
ようやく森が開けてきて、集落に出た。
まるで時が止まったかのように、何も変わっていない。母が亡くなってからの出来事が夢のように感じた。
丘へ続くあの道もそのままだ。
叔父の家も遠くに見える。煙突から煙が上がっている。少なくとも無人では無かったのでほっとした。
さすがに立ち寄るわけにはいかない。だが、母の墓にだけは行きたかった。
共同墓地に行くと、母の墓には少し雑草が茂っていたが、それでも定期的に手入れをされているようだった。
「母さん、ただいま。僕はようやく帰ってこれたよ…。ずっと来れなくてごめん。大きくなっただろ?」
グレンは墓石の前にしゃがみ語りかけた。母への思慕がこみ上げて来る……。
「父上も王妃様も、姉上も僕を家族として優しく迎えてくれたよ。母さんの事、悲しんでた。あそこなら、母さんも大事にしてもらえたのにね」
そうしたら、ロブと出会う事無くワーズウェントの日々が、毎日繰り返されていただけだっただろう。
それは、今の自分じゃない。
そう思うと、小さな頃の温かい思い出や、親友との楽しい日々をくれたのも母のおかげだと思った。
「僕もお嫁さんをもらったよ。すごく大事な子なんだ。また二人でここに来れたら紹介するよ」
名残は尽きないが、あまり長くここにいるわけにはいかない。そろそろ戻らなければ…。
僕は元来た道を戻った。
しばらく行くと、何やら前の方から、酔っ払いの喧騒が聞こえてきた。体格のいい、若い男たちだ。
昼過ぎから飲んだくれて、ここは平和なんだな。あまり顔を見られたくない。
僕は道の端に避け、やり過ごそうとする。
「しかし、あれだなぁ。こんなだらだら戦争続けやがって。王様は何考えてるんだかなぁ」
「おい、やめとけよ。誰かに聞かれたら首が飛ぶぞ」
「かまやしねぇよ。親父も兄貴も兵に取られて帰ってきやしねぇ!あの王様は狂ってるよ。最後の民が尽きるまで戦争するってさぁ。なんだよ。俺たちゃおもちゃじゃねぇよ!」
「そうだそうだ!王様なんて早く誰かに討たれちまえ!弟がいるんだろ?そいつも全然表にでてこない卑怯者だよなぁ。最前線に出向けってんだ。弱虫め!」
「どうせビビってぶるぶる震えてるんだろ?あーあ。王族はお気楽でいいなぁ!」
聞き流してやり過ごすつもりが、気づいたら胸ぐらに掴みかかっていた。
王族が気楽なものか。日々政務に追われ休めるのは月に数えるほどだ。
「悪口ばかり言ってるけど、お前たち、昼間から飲んだくれて、なにやってるんだよ!」
「なんだてめぇ!見ない顔だな。よそもんかよ!俺たちゃあ、自警団のもんだよ!今は非番だ。飲んで悪ぃかよ!」
言うなり自警団の男はなぐりかかってきたが、グレンはすっと避けて空振った男は、勢いのまま倒れ込んだ。
「ふざけんな!やっちまえ!」
数人の男たちが殴りかってきて揉みくちゃになる。そのまま自警団へ連行された。
気がつくと牢の中にいた。
「あー、だいぶ殴られたな…」
左の頬は熱を持ち腫れている。腹や背中も痛い。
「お前、なんでケンカなんかしたんだ?」
鉄格子の向こうから声がかけられた。
振り向くと黒髪の男がこちらを見ていた。グレンはしばらく男を見たあと、驚愕に目を見開く。
「ロ…ブ…?」
「久しぶりだな、やっぱりグレンか」
男…ロブはすっかり体格のいい青年になっていた。声も記憶よりもだいぶ低い。
信じられない。
ロブとは戦場か和平交渉の時に再会する覚悟はあったが、まさか自警団にいるなんて。
「お前……こんな所にいるのか?」
「ああ、村人やお前を殴ったならず者を集めてこの近辺の村の自警団をやってる。俺は団長だ」
やはり、王弟としての待遇は受けていないのか…。あれほど王を慕い、国の未来を憂いていたのに。
「騎士には…」
「残念ながら、なれなかったな。じぃさんは去年ぽっくり逝っちまったし」
グレンはロブの家にいた老人を思い出す。遊びに行った時はあまりいい顔をしてくれなかったが、ロブの事を、坊、坊と可愛がっていた。
「見てのとおり、まともな男手はほとんど戦争に駆り出されてる。俺達は人手が足りない所に手伝いに行ったりしてる」
ただでさえ貧しいこの地で男手が無くなったら、生きていく事さえ難しいだろう。
それを集団をつくり、支えているそうだ。
「あいつらも、手は早いが貴重な男手だからな。俺の腕っ節で何とか従えてるよ。でも、なんでケンカになった?」
「……………」
王族の…王弟の悪口を言っていたから…。だが、当の本人の耳に入れるのは、はばかられた。
「正当な理由なくケンカじゃ、今日は帰してやれねぇなぁ。一晩そこで頭を冷やせ」
そう言ってロブは牢から出ていった。
日も暮れかけた頃、再びロブが牢に訪れる。
「嫁さんが迎えに来てくれたんだ。ほら、釈放だ。もうケンカなんて売るんじゃねーぞ」
ロブがそう言って牢の鍵を開けた。
嫁さん…まさかジェシカが!?
「ロブ…僕は…お前との夢を…」
そばに来ていると思われるジェシカに聞こえないよう、小声でロブに話しかける。
「良いって。何も言うな。嫁さんにも何も言ってない。ここまで来たって事は、もうわかってる。ありがとな」
ロブも小声で返答する。
「っ…!」
話したいことは山ほどあった。
今までのこと、ロブの考え、これからの事。なのにロブはすべてを諦めているように見える。
一緒に、夢に見ていたようにこれからのブレイグの復興を担えないのか?
「早く行け。こんなとこまで迎えに来てくれた嫁さんが可哀想だろ」
そうだ…おそらくジェシカが迎えに来ている。こんなところまで。
「分かった。全部終わったら、またここにくるから…」
「俺がそれまでここにいるとは限らねぇけどな」
そう言って二人で牢から出てくると、ロブは行ってしまった。
ジェシカが僕を見つけるなり、慌てて駆け寄ってきた。
ちょ…っ!ジェシカ、何その格好!!!
村娘に変装??
いやいや、まって…。
こんなとこにあんな可愛い格好して来て、危なすぎるだろ!
だめだ、直視できない!
「大丈夫ですか!?怪我は!?」
くうぅ!こんなにやけた顔、君に見せるわけにはいかない!
僕は顔を背け、無言で顔を左右に振る。
「王子……早く行きましょう。ここは危険です。それに朝議までに戻らないと」
ジェシカが小声で告げる。
「ああ…」
僕はジェシカに目を合わさないよう、立ち上った。
それは少なからずジェシカを傷つけたようで、ジェシカも俯いて踵を返した。
月明かりを頼りに、僕はジェシカの後ろで黙々と川沿いを歩く。
ああ、カワイイ。
男装の君には手を出さない。それは僕の中の決め事だ。それに今は、行軍中。男女の睦みなど不謹慎極まりない。
なのになんでそんな姿できたんだ。
君の後ろ姿、スカートからのぞく足…。勘弁してくれ…。
いま口を開いたら、僕は、何を言い出すかわからない。
我慢だ我慢。
僕が怒っているのはわかってても、禁欲に耐えているのは、わかって無いよな絶対。
野営地のある森は、土地勘もないため、明け方近くにならないと入るのは危険だ。
森の入口付近には狩人の小屋があり、ひとまずそこを目指すと言って、君は足早に先を歩く。それを僕はおいかける、が…。
「あっ!?…っつ!」
ドサッ‼
君は、小さな叫び声を上げ道のくぼみに足を取られ転んでしまった。
「ジェシカ!?」
僕は思わす名前を呼んでしまっだ。君はアンソニーとして来ている。だけど…思わず…。
君の元に駆けつけ助け起こそうとした。
「す、すみませ…っ」
だが君はそれより早くすばやく立ち上がった。
転んだのは草むらなので、たいしたことはなかったようだ。
君はうつむいていたが、頬を濡らす涙が月明かりにキラリとひかった。
「大丈夫です…行きましょう。」
ジェシカはそのまま歩き出し、足早に歩を進めた。
さすがに、罪悪感が込み上げて来た。
ほどなくして、狩人の小屋に着いた。小屋の横にあった井戸で顔を洗いのどを潤すと、どっと疲れがおそってきた。
辺りに人の気配が無いのを確かめたとき、ふと、森の木の陰に人の動く気配を感じた。
あれはデイビッド?
恐らく、単身で自警団まで向かったジェシカをこっそりと見守ってたんだろう。
良かった。
合流してもいいが…少しジェシカの様子を見たい。
僕はそのまま小屋に入った。
定期的に使っているようで、小屋の中は荒れてはいなかった。
入ってすぐに台所と食卓が、部屋の奥には壁際に寝台が二つあった。
ここなら少し休憩できる。
君はカンテラに灯りを灯し、僕に食卓にかけるよう促した。
だけど…マントを脱いだ君の服が酷く汚れているのに気がついた。背中にも泥汚れが付いている。
「夜が明けるまで少し休みましょう。携帯食がありますよ」
「いや…」
僕はそれには従わす、立ったまま、先ほどとは異なり真顔で君をじっと見つめていた。
首のボタンがちぎれている。そこからのぞく首元に赤くなっているのが見えた。
途端に不安が押し寄せる。まさか…。
「あの…王子?」
強い視線に、君は困惑したようだ。
「それ、何?首もとが赤い」
「え…!」
君は動揺している。
「何でも、ありません」
「見せて」
僕は君の上着の合わせを開いた。
「…!」
胸元に僕が見慣れた赤い痕があった。だが、僕のつけたものではない。
不安が確信となり、怒りが込み上げてくる。
「これ、どうしたの?」
「それは…」
君は僕から目を反らし、腕組みして両腕を掴んでいた。その手が震えている。
「あいつか?」
「違います!あの人は助けてくれました!」
「助けてって…。襲われたのか⁉」
「自警団の団員が……」
観念したようで白状した君が口を開くたび、僕の顔はどんどん険しくなっていく。
「でも、大丈夫です。団長さんに助けていただいて…。」
「こんなところに痕をつけられて…、大丈夫じゃないだろ!?」
僕は感情を抑えきれす、声を荒げ君を怒鳴りつけてしまった。
「ご、ごめんなさい…!」
「僕が、どんな思いで君を置いてきたか…。それなのに君は…!」
「ごめんなさい!ごめんなさい…‼」
普段声を荒げる事がない僕に怒鳴られ、君はただ謝ることしかできない。その怯えたように潤む瞳を見て、僕の中で張り詰めていた何かが、プツリと音を立てて切れた。
違う……。悪いのは……、僕、だ。
ああ、無力だ……。
怒りの行き場を失った拳が、すぐそばの壁を鈍い音を立てて殴りつける。
しかし、その拳にはもう力は籠っていなかった。
「謝るな…!」
僕は、壁に額を押し付けたまま、声をなんとか絞り出す。
「君が、謝ることじゃない……!僕が…僕が弱いからだ…。君一人、守ることすらできないくせに、格好ばかりつけて…!」
なんて…情けないんだろう。
僕が今まで必死に演じていた総大将としての威厳も、王子の仮面も全て剥がれ落ち、素顔が剥き出しになるのがわかった。
熱い涙が頬を伝い落ちる。
止まらない…。
僕は、愛する人を失う恐怖に泣きじゃくる、ただの無力な子ども、だ。
君はそんな情けない僕を見て、息のんだ。
「グレン…」
僕の震えるその背中に、そっと君の手が置かれた。触れた所が、温かい…。
「私は、ここにいます…。どこにもいきませんよ…」
その温もりに触れた瞬間、僕は堰を切ったように君に縋りつくようにその身体を強く抱きしめた。
本当に?何度も確かめるようにしがみつく。もう…君がいないと、息を吸うことすら上手くできない。僕は震える手で、必死に君を抱きしめる。
「もう君を失うのは嫌だ…!母さんも、あいつも…みんな僕の前からいなくなってしまう…。君までいなくなったら、僕は…!」
口にして、その恐ろしさを再認識する。
だめだ…。そんなの絶対だめだ……っ!
行かないでくれ……!
「大丈夫。私は、あなたを決して一人にしません」
君の声が僕に降り注ぎ、じわりと温かい。
僕の震える背中を、優しく抱きしめ返してくれる。
ああ…。そうして僕に応えてくれるその腕も、こんなに小さな背中も……。
君だけが、僕に光をくれる。温もりを与えてくれる。
僕はゆっくりと顔を上げ君を見つめる。
ああ、君が何よりも愛しい。
狂おしいほど、君が、欲しい。
僕はゆっくりと顔を上げた。
カンテラの明かりが揺れ、君のオリーブグリーンの瞳に映り込んで、キレイだ…。
「ジェシカ…」
どちらからともなく、唇が重なる。
涙の味と君の匂いが混じりあう。
柔らかい。温かい。そして…切なさが胸いっぱいに広がる。
それはやがて堪えきれない衝動となり…。
一度触れ合うと、もう止められない。
冷え切った身体の芯に、熱い塊が灯る。
離れたくない。この温もりを、決して手放したくない。
深い口づけのままに、僕は君を抱え上げた。
「あ…!」
驚く君の潤んだ瞳を見つめ、僕は君の耳元で懇願するように囁いた。
「寒い…。もっと、君を感じていたい…。だめ…?」
縋るように、赦しを乞い願う。
君は何も言わず、ただ、僕の首に震える腕を回して、強く引き寄せた。それが、君の答えと思っていいのだろうか…。
僕は君を抱えたまま寝台へと数歩進み、そこにできるだけそっと君を横たえる。そして、僕自身もその隣に滑り込んだ。
ああ、君がここにいる。
僕の腕の中に、確かに。
外で何が起きていようと関係ない。今はただ、この腕の中にある温もりだけが、僕たちにとっての唯一の真実だった。
そうして月がすっかり傾いたころには、君はいつのまにか眠ってしまっていた。
東の空が白み初めたため、僕は身支度を整えてから、城にいた時のように口づけで朝を告げる
「ううん…。ああ、グレン…」
寝ぼけた君は城にいると思いこんでるようだった。気だるそうに瞼を持ち上げ幸せそうに呟いた。
「良かった…。ずっと嫌な夢を見てました」
目の前にある僕の手に指を絡ませ、うっとりとその指先に唇を寄せた。
寝ぼけた様子が愛おしい。が、時間もない。
僕は親指で君の下唇をゆっくりなぞり、できるだけ優しく囁いた。
「ジェシカ、もう起きないと。身体が辛い?」
「え…?」
君は頭を振りながら敷布を寄せ、ゆっくり身体を起こした。困惑するように自身の身体を見下ろしている。
「私……」
君の身体には僕が残した赤い痣が点在していた。
君はそれを指でなぞり、顔を赤らめる。
「昨日はあなたと……」
僕は、慌てて君を抱き寄せた。自分でもかなり情けなかったと思う。
「気持ちが抑えられなくて…ごめん」
「いえ、そんな…。私も昨日は夢中で…。 でも久しぶりですごく…。幸せです」
「ほんとうに……?」
それを聞き、僕は天にも昇る気持ちになる。
「愛してるよ」
思わずついて出た言葉に、君は下を向いて真っ赤になってもじもじしていた。
かわいさのあまり、僕は君の髪を優しくすく。
そして、愛しい君の唇に、甘い口づけをした。
君の身支度を整えてから狩人の小屋を出る。
君はあちこち痛そうに呻いている。
しばらく行くと森の向こうからデイビットが現れた。
デイビッドが寝不足気味の恨めしい顔で僕を見たので片手を上げ応じた。
先導していた君からは見えないよう、人差し指を口に当てる。すっかり彼の存在を忘れてた。小屋の周りを離れるわけにもいかず、大きな声は聞こえていたんだろう。デイビッドは心底げんなりした顔をした。
「無事に戻れたみたいだな。王子。ジェス、迎えに来たぜ。」
「心配かけて悪かった。」
どこか白々しい会話が交わされる。
「王子もホント、いい性格してるよなぁー。ふてぶてしい。こんなのホント二度とごめんだぜ?」
デイビッドが僕に向かって嫌みのように言う。同僚のあれこれ致してる声なんて、気不味いだろう。僕は、うんうん頷き申し訳なく思った。
「こら!口が悪いぞ!」
君が嗜めた。
「お前もホントに懲りないよなぁ」
デイビッドは明後日のほうを見ながら、ため息をついた。
この様子だと、デイビッドが小屋の外に控えてたのを君は知らなかったようだ。
まあ、色々聞かれていたと知っていたら君はとても平気な顔をしてられないだろう。
「早く戻らないと、朝礼に間に合わねぇ。急ぐぞ?その格好も見られたらまずいだろ?」
君はいま女物の服を身に着けているし、僕の服もボロボロだ。見られたら確かにまずい。殴り合った痣は隠しようがないが、何とか誤魔化すしかないだろう。
僕たちは陣営を目指し出発した。
むぅっと怒っていたように見えた王子の残念な本音です(笑)
彼は心の成長が追いついてない子どもなんです。ほんとはね。




