15狩人の小屋
性的描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
*初稿から内容を変更しています
月明かりを頼りに、二人は黙々と川沿いを歩いた。
ただ、野営地のある森はそうはいかない。土地勘もないため明け方近くにならないと入るのは危険だ。
森の入口付近には狩人の小屋があった。
ひとまずそこを目指してジェシカは足早に歩いた。後ろから王子がついて来ているのを度々振り返り確認するとその度に目を反らされ少なからず胸が痛んだ。
王子にしてみれば、自分がしていることは余計なことばかりだろう。
家臣としては間違っていない。しかし、苦い気持ちがこみ上げるのはどうしようもなかった。
その時…。
「あっ!?…っつ!」
ドサッ‼
ジェシカは道のくぼみに足を取られ転んでしまった。
「ジェシカ!?」
グレンはジェシカの元に駆けつけると助け起こそうとした。
「す、すみませ…っ」
だがジェシカはそれより早くすばやく立ち上がった。
転んだのは草むらだ。
受身も取れたからかすり傷もなかった。
だが、今まで張り詰めていた気持ちがついにいっぱいになってしまい、目からポロポロ涙がこぼれた。 ジェシカは顔を見られないよううつむいた。
「大丈夫です…行きましょう。」
涙はとまる気配はなかったが、月明かり程度の明るさだ。
王子は気づかないだろう。
ジェシカはそのまま歩き出した。
狩人の小屋はあと少しだ。
後ろから、王子がついて来る気配がしたのでジェシカは構わず足早に歩を進めた。
ほどなくして、狩人の小屋に着いた。小屋の横にあった井戸で顔を洗いのどを潤すと、どっと疲れがおそってきた。
二人は辺りに人の気配が無いのを確かめて中に入った。
定期的に使っているようで小屋の中は荒れてはいなかった。
入ってすぐに台所と食卓が、部屋の奥には壁際に寝台が二つあった。
ここなら少し休憩できる。
「夜が明けるまで少し休みましょう。携帯食がありますよ」
ジェシカはカンテラに灯りを灯し、グレンに食卓にかけるよう促した。
「いや…」
グレンはそれには従わす、立ったまま、先ほどとは異なりジェシカをじっと見つめていた。
その視線はジェシカの首もとを凝視している。
「あの…王子?」
強い視線にジェシカは困惑した。
「それ、何?首もとが赤い」
「え…!」
それは先ほど兵士たちに押さえつけられた際の物と思われた。カンテラの灯りで気がついたらしい。
言えない。未遂に終わったとはいえ王子を助け出そうとして襲われそうになった事など。
…そんな事が知れたら、どうなるか…。
「何でも、ありません。」
「見せて」
グレンはジェシカの上着の合わせを開いた。
「…!」
胸元に赤い痕がいくつも散っている。
グレンは険しい顔でその痕を見つめた。
「これ、どうしたの?」
「それは…。」
ジェシカは耐えきれずグレンから目を反らした。
先ほど自警団の男たちに押さえつけられた嫌悪感が甦り、身体が固くなる。ジェシカは無意識に両腕を掴んでいた。
「あいつか?」
「違います!あの人は助けてくれました!」
「助けてって…。襲われたのか⁉」
「…。自警団の団員が……。」
ジェシカは観念してグレンに白状した。口を開くたび、グレンの顔はどんどん険しくなっていく。
「でも、大丈夫です。団長さんに助けていただいて…。」
「こんなところに痕をつけられて…、大丈夫じゃないだろ!?」
グレンは声を荒げジェシカを怒鳴りつけた。
「ご、ごめんなさい…!」
「僕が、どんな思いで君を置いてきたか…。それなのに君は…!」
「ごめんなさい!ごめんなさい…‼」
普段声を荒げる事がないグレンに怒鳴られ、ジェシカはただ謝ることしかできない。
その怯えたように潤む瞳を見て、グレンの中で張り詰めていた何かが、プツリと音を立てて切れた。
怒りの行き場を失った拳が、すぐそばの壁を鈍い音を立てて殴りつける。しかし、その拳にはもう力は籠っていなかった。
「謝るな…!」
グレンは、壁に額を押し付けたまま、絞り出すような声で言った。
「君が、謝ることじゃない……!僕が…僕が弱いからだ…。君一人、守ることすらできないくせに、格好ばかりつけて…!」
総大将としての威厳も、王子の仮面も全て剥がれ落ちていた。そこにいたのは、愛する人を失う恐怖に泣きじゃくる、ただの無力な少年だ。
その悲痛な叫びに、ジェシカは息をのむ。
彼の本当の苦しみに、今、初めて触れた気がした。
「グレン…」
ジェシカは、震えるその背中に、そっと手を伸ばした。
「私は、ここにいます…。どこにもいきませんよ…」
その温もりに触れた瞬間、グレンは堰を切ったようにジェシカの方へと向き直り、縋りつくようにその身体を強く抱きしめた。
それは支配するような力強さではなく、溺れる者が掴む藁のような、必死の抱擁だった。
「もう君を失うのは嫌だ…!母さんも、あいつも…みんな僕の前からいなくなってしまう…。君までいなくなったら、僕は…!」
「大丈夫。私は、あなたを決して一人にしません」
ジェシカは、その震える背中を、壊れ物を抱くようにそっと抱きしめ返した。
自分の方が背は低く、力も弱い。それでも、今この瞬間、この人を支えられるのは自分しかいない。彼の孤独を、自分が埋めるのだ。
その言葉に、グレンは顔を上げた。
涙で濡れた紫の瞳が、カンテラの光に揺れている。もう、怒りの色はない。そこにあるのは、ただ、ジェシカだけを求める渇望の色だった。
「ジェシカ…」
どちらからともなく、唇が重なった。
それは涙の味がする、不器用で、しかしどうしようもなく切実な口づけだった。
一度触れ合うと、もう止められない。冷え切った身体の芯に、熱い塊が灯る。離れたくない。この温もりを、決して手放したくない。
口づけが深くなるにつれて、グレンはジェシカの身体を抱え上げた。
「あ…!」
驚くジェシカの潤んだ瞳を見つめ、グレンは懇願するように囁いた。
「寒い…。もっと、君を感じていたい…。だめ…?」
それは命令ではなく、許可を求める問いだった。ジェシカは何も言わず、ただ、彼の首に腕を回して、強く引き寄せた。それが、彼女の答えだった。
グレンはジェシカを抱えたまま寝台へと数歩進み、そこに優しく彼女を横たえる。そして、自らもその隣に滑り込んだ。
外で何が起きていようと関係ない。今はただ、この腕の中にある温もりだけが、二人にとっての唯一の真実だった。
ところで、本当に王子妃を一人で行動させるわけにはいかない。
少し離れて見守っていたデイビッドは小屋からもれ聞こえるジェシカの声に、頭を抱えていた。
ジェシカが兵士に組伏せられた時も、あの自警団の団員が現れなければ助けに入っていたところだ。
もっともその場合、あの場にいた全員を切り捨て、最悪撤退する事となっていたろうが。
そうならず王子を救い出せたのだから、まずは成功と言うべきか。 だが…。
「ジェス、そんなだから、落とされるっていってたろうが…。王子もここぞとばかりだな。俺、こんな趣味無いんだけどなぁ」
因みに小屋に入る前のグレンとは目があった。
デイビッドがここにいるのがわかってるのに声を響かせるなんて、グレンもたちが悪い。
何の牽制だよ。そしてこの後二人にどんな顔して会えば良いのやら。
ふたりは夫婦なのだから営みは悪いことはない。が、ここは敵地で兵士はみな禁欲に耐えての行軍だ。総大将と補佐官としては、まったく、不謹慎の極みだった。
だが、デイビッドは小屋にはいるまでの二人の凍った空気も見ていたから、あのまま戻るより、よほど良かったとも思う。
「きっちり勝って、責任取れよぉ」
この場を離れるに離れられないデイビッドはヤケクソ気味に呟いた。
東の空が白み初めたため、グレンは身支度を整えてから、城にいたときと同じように目覚めの口づけをしてジェシカを起こした。
「ううん…。ああ、グレン…。」
ジェシカは気だるそうに瞼を持ち上げ幸せそうに呟いた。
「良かった…。ずっと嫌な夢を見てました。」
ジェシカは目の前にあるグレンの手に自分の指を絡ませる。
そしてうっとりと、グレンの指先に唇を寄せた。
まだ寝ぼけているらしい。
グレンは親指でジェシカの下唇をゆっくりなぞった。
「ジェシカ、もう起きないと。身体が辛い?」
グレンは優しく囁いた。
「え…。」
ジェシカは頭を振りながら敷布を寄せ、ゆっくり身体を起こし、困惑するように自身の身体を見下ろしている。
「私……」
身体には僕が残した赤い痣が点在していた。
ジェシカはそれを指でなぞり、顔を赤らめる。
「昨日はあなたと……」
グレンは、焦ったようにジェシカを抱き寄せた。少しバツの悪い顔をしている。
「気持ちが抑えられなくて…ごめん」
「いえ、そんな…。私も昨日は夢中で…。 でも久しぶりですごく…。幸せです」
「ほんとうに……?」
それを聞き、グレンの顔がぱあっと明るくなった。
「愛してるよ」
グレンの言葉に、ジェシカは下を向いて真っ赤になりもじもじとした。
グレンは髪を優しくすいてくれた。
そして、甘い口づけをくれた。
ジェシカの身支度を整えてから狩人の小屋を出る。
身体のあちこちが痛む。正直、かなり辛いが、野営地に戻るために何とか足を進めた。
しばらく行くと森の向こうからデイビットが現れた。
デイビッドが寝不足気味の恨めしい顔でグレンを見ると、グレンは片手を上げ応じた。
先導していたジェシカからは見えなかったが、人差し指が口に当てられている。その涼しい顔にデイビッドは心底げんなりした。
「無事に戻れたみたいだな。王子。ジェス、迎えに来たぜ。」
「心配かけて悪かった。」
どこか白々しい会話が交わされる。
「王子もホント、いい性格してるよなぁー。ふてぶてしい。こんなのホント二度とごめんだぜ?」
デイビッドがグレンに向かって嫌みのように言うと
「こら!口が悪いぞ!」
と、ジェシカが嗜めた。
「お前もホントに懲りないよなぁ」
デイビッドは明後日のほうを見ながら、ため息をついた。
この様子だと、デイビッドが小屋の外に控えてたのをジェシカは知らないようだ。
まあ、色々聞かれていたと知ったらジェシカもとても平気な顔をしてられないだろう。知らぬが仏か。
だか、王子は確信犯だ。黙ってろという仕草までしてきた。
ほんとに迷惑な性格している…。
だが、今まで思い詰めた顔をしていたジェシカの表情が明るくなっているし、良しとすべきだろう。
「早く戻らないと、朝礼に間に合わねぇ。急ぐぞ?その格好も見られたらまずいだろ?」
ジェシカはいま女物の服を身に着けているし、グレンの服もボロボロだ。見られたら確かにまずい。殴り合った痣は隠しようがないが、何とか誤魔化すしかないだろう。
一行は陣営を目指し出発した。
すみません。グレンブチ切れてしまいました。
ほんと堪え性のない子ですみません。




