13ブレイグへ
出陣の号令と共にワーズウェントを出発した軍隊はオニクセルの港からブレイグの港へと向かう。
体調不良を理由に船室に籠もっていたジェシカだったが、ついに3日目、深夜に甲板に出て息抜きをしていたところ、様子を見に来た王子と顔を合わせてしまう。
「アンソニー、もう大丈夫かい?僕も昔船酔いには悩まされたから分かるよ」
そう優しく声をかけた王子を恐る恐る振り返るジェシカ。
自分はアンソニー、アンソニーだ。いや、だが、自分にあのふざけたオネエ言葉は…。そうだ。行軍中なのだから、仕事モードって事で口調は問題ないはずだ。あの兄は仕事中だけは真面目に過ごしてた!
「はい…。ご心配おかけしました。もう大丈夫ですよ。ありがとうございます」
意を決して振り返ったジェシカは平静を装いグレンに告げた。
「君…どうして…」
しかし、グレンの顔は驚愕に見開かれていた。
やはり、バレバレだった…。
しかしここまで来たらもう戻るすべはない。食い下がるのみ。
「明日からは復帰します。ご心配おかけしました」
ジェシカはこれ以上追撃されないよう、足早に甲板を後にした。
軍部にはすぐに事情を話した。みんな呆れていたが、これまでの実績が物を言いった。
「まぁ、確かにアニーよりお前のが真面目で優秀だしなぁ…」
昔なじみの同僚デイビッドがポツリと呟いた。
こうして、根回しも整い、晴れて軍務に復帰した。
しかし、グレンからは視界にすら入れてもらえないほど徹底的に無視された。凍りつく二人の間の空気が、他の兵士たちの胃をキリキリ痛める。配置も後方支援担当を割り振られてしまった。
それでも…。いざという時に力を発揮できる場所にいれる…。ジェシカはそう自分に言い聞かせた。
ブレイグの港まであと4日ほどの地点で、部隊は二手に分かれた。
陽動としてブレイグの主要港を目指す本隊の喧騒を背に、グレンが率いる少数精鋭の先行部隊は、地図にも載らぬ秘密の航路へと静かに舵を切った。
目指すは、断崖に阻まれた小さな入江。潮の香りが肌を刺し、オールが水を掻く音と、岩壁に砕ける波音だけが夜の静寂に響く。音を殺しての上陸は、月明かりだけが頼りだった。
入江の奥に口を開ける洞窟は、かつてブレイグ王家が海賊行為に用いたというだけあり、馬車すら通れるほどに広かった。松明の光が、壁に刻まれた古い紋様と、兵士たちの緊張に満ちた横顔を揺らす。ひんやりとした空気が、鎧の隙間から忍び寄った。
陽が昇り、沈むこと二度。洞窟を抜けた一行は、鬱蒼とした森の中を、ひたすら王都を目指して進んだ。枝を揺らす風の音、馬の蹄が土を踏む音、そして時折交わされる、デイビッドとの短い作戦確認の声だけが続く。
ジェシカは、アンソニーとして振る舞いながら、馬上から指揮を執るグレンの背中を、言葉もなく見つめていた。
その横顔は、ワーズウェントで見ていた王子のものではなく、覚悟を決めた総大将のものだった。
三日目の昼下がり、本隊との合流地点も間近に迫った頃。一行が王都近くの森に差し掛かった時、グレンの目に、見覚えのある小川と丘が飛び込んできた。かつて母と暮らし、友と駆け回った故郷の村が、すぐそこにある。抑えがたい郷愁が、彼の足を止めた。
王子としての務めも、総大将としての責任も、その一瞬だけ頭から消え去る。
「少しだけ時間をくれ。母の墓にだけ、どうしても寄りたい」
そう手紙を残し、王子は簡素な服に身を包み、こっそりと天幕を抜け出した。
それが、予期せぬ再会と、新たな苦難の始まりになるとも知らずに、グレンは一人、懐かしい小道へと馬を向けた。
出陣前のやり取りは茶番でしかなかったのかと、グレン怒り心頭です。




