二〇二四年四月二十五日木曜日 時刻不明 XⅢ
「取り乱して申し訳ない。次は君の番だ」
この短時間で赤くなったり青くなったり表情の忙しい先生は、数分の沈黙の間どうにか気を取り直すことができたらしい。
無闇に突っ込むことはせず、私は話を進めることにした。
「聞きたいことは……結構、色々あるんですけど。答えたくないことは答えなくていいですよ? さすがにプライベートに関わることまで深堀りするつもりはないので」
「お気遣い、感謝する。しかし問題はない。私に答えられることであれば、なんなりと。お嬢さん」
「うーん、じゃあお言葉に甘えて……考えます」
いよいよ質問攻めのターンだ。
正直なところ、聞きたいことなんてありすぎて困っている。多すぎるあまり、疑問の引き出しが中で詰まりまくってひとつずつ取り出せないような状態だ。状況が落ち着いた今だからこそ、なおさら疑問と興味は増えるばかりで断捨離もできない。
優先順位を考えよう。現在、電波も遮断された空間で、私と先生のふたりきり。つまり、今は他人の盗聴その他諸々を考慮しなくていい状況だ。
(それを踏まえるなら──)
──私の疑問がある程度解消されて、かつ本人が言いにくいであろう内容。
聞くなら、きっと今しかない。私は決心して、先生に向き直った。
「先生」
「ああ」
「先生は、どうしてそこまでして魔女に……というか、この魔法にこだわるんですか? おじいちゃんと面識があるみたいですけど、あの人とはいつ、どこで知り合ったんですか?」
「…………」
予想通り、先生はひどく苦々しげな表情で沈黙を貫いた。
言うべきだが率先して言いたくはない。筆舌に尽くしがたい、複雑な感情がひしひしと伝わってきた。しかし、よほど言いづらい内容なのか、私の横目で先生が無言で百面相を繰り返している。口を噤んで悩んでいる姿を見ているとだんだん申し訳なくなってきた。
いきなり核心に迫りすぎてしまっただろうか。もっと段階を踏んでから聞くべき内容だったかもしれない。
(でも、ここでしっかり聞かなきゃもう聞く機会とかなさそうだし)
私は心を鬼にして、語気を強めに主張する。
「私たちがこの状況をどうにもできない以上、先生は本件の被害者である私に対して弁明の義務があると思いますが、違いますか?」
「う、それは…………いや、理解している。その通りだ。長い話になると思うが……聞いてくれるか?」
「分かりました」
私が頷くと、先生は深い息を吐いてから語り出した。
「さて、どこから話したものか……そうだな、まずは私の家系の話をしよう。我々デューラー家は代々、当時少数派だった異端狩りを生業とした由緒ある家系で──すまない、異端狩りについて聞いたことはあるか?」
聞き馴染みのない単語に私が眉を寄せていると、先生が気遣わしげにこちらを窺う。
その気遣いに甘えて、私は素直に聞き返した。
「初めて聞きました。異端狩りって何ですか?」
「異端狩りというのは、村や街、自然に害を為す魔女や魔術師、悪性妖精化した良き隣人たちを標的としたハンターたちのことだ。やってきたことは主に警護、および敵性存在の排除。魔術の知識に明るくない民間人を外部の魔女や良き隣人たちから警護する、農作物や家畜を守る、街や村を害する可能性の高い敵性存在を人知れず排除する……こんなところか」
「へええ! 悪いことをする人だけじゃなくて、あの悪性妖精たちも……すごい、立派なお仕事じゃないですか! 歴史の影の仕事人……」
「……ありがとう。しかし、『獄死』の魔法の性質上、なるべくしてなっただけだ。個人的な感情から言えば、とても人に誇れるような家業ではない。何も知らない人側からすれば頼れる英雄、魔女側からすれば血も涙もない裏切り者だからな」
息をついて、先生は続ける。
「『獄死』の先代は私の実の母親だ。母親としても……面白くはないから詳細は省くが、最期まで厳しい人だった。俗な言い方をすれば、教育ママってやつだったかもしれない」
「それは……その、言いづらければ言わなくていいんですけど……」
「?」
「お母さんと、仲悪かったんですか」
私が恐る恐る可能性を口にすると、先生は不意を突かれたように目を丸くした。
「直球だな。フッ……何を勘ぐっているかは知らないが、誤解だと断言しよう。暴力を振るわれたこともなければ、心理的攻撃を受けたことも、人生を支配されていると感じたことだって一度もなかった。彼女は先達としても母としても、尊敬している人のひとりだ。周囲からの評価が何であれ、あの人も多くの人の命を護り、救ってきた」
ただ──と、先生は饒舌に続ける。
「立派な親や祖先を持つと、子どもたちは総じて多かれ少なかれ苦労の憂き目に遭う。養父や弟の目から見れば……私は、物心つく前から母に期待されていたらしい。もちろん『未来を担う魔女のひとり』として」
「それ、って……」
「ああ、もちろんそれは私のためを思ってのことだろう。今ここで完全に理解するのは難しいかもしれないが、私の母にはりん──悪気というものがない。不老不死に限りなく近い時間を生きてきた視点はもちろん、異端狩りという公にできない家業が彼女の人格形成に深く関わっているのは知っていた。守秘義務から人との関わりを自重していたことも……救った命より、殺した命の現場を多く見てきたことも、知っていた」
「……」
「どの国でも社会でも立場でも、同じなんだ。苦労に時代も年齢も国境もない」
先生にはいいようにはぐらかされたが、その言葉で私はここにいない姉のことを思い出した。
しかし、姉に思いを馳せる暇もなく、話はせせらぎのように滔々と流れていく。
「苦労を苦労とも思わない人の影響もあったからか、私は前線に立つ母を、魔女の家系に生まれたことを誇りに思っていた。同時に、魔女という言葉は我々のことを何も知らない低俗な人間が作ったレッテルだと思ってさえいた。自分の矮小さを棚に上げて、周囲を自分より下に見て……やめだ、頭が痛くなる」
「だ、大丈夫ですか?」
「問題ない。それより、魔女狩りは君も知っているな?」
戸惑いながらも頷くと、先生は目を眇めて続ける。
「魔女狩りが発生する過去の時代──かつて、魔女はもっと尊い存在だった。一方で、魔女と呼ばれて処刑された人々たちは、その大半が何の罪もない被害者であり、当時の社会の犠牲者だった。犠牲者の無念を贖えないまま、加害者の責任を追及できないまま、自分たちの身に起こる不幸や苦痛を誰かのせいに……魔女のせいにされ続けた」
「……」
「魔女という概念に馴染みのない、日本生まれの君には想像しがたいと思うが……異端という、身勝手な妄想を押しつけられた不特定多数の人命より、いるかどうかも証明できない神の威光や国家の意向が絶対正義とされた時代に──子孫である我々は何も悪いことなんてしていないのに、その責任と罪科の所在を、数百年も過ぎ去ってなお背負わせられた。悪習により生まれた遺恨は、今もなお完全に除去されずに遺されたままで、子孫からすれば迷惑この上ない。現代だってそうだろう。魔女を悪者にするのはいつだってその存在を忌み嫌う権力者で、魔女を死に追いやるのはいつだって力を持たない一般市民だ。それでも……」
そこで言葉は詰まったが、先生は固唾を飲み込んで続けた。
「それでも、正義でなくても信念はあると信じられた。──私が、ある一冊の本を読むまでは」
(本……?)
「いくら知恵をつけようが、子ども心というものは単純だ。たかが一冊の本なんかで、私の見てきた景色が、価値観が……大きく揺らがされるほどの衝撃を受けた。今まで信じていたことが間違っていたかもしれないと、疑念を抱かせるほど強かった。その後、戦争からようやく帰ってきた母さんに、どういうつもりなのかと問いただして大喧嘩に……ああ、今思い出しても頭が痛い。叶うならなかったことにしたい……」
話の途中で過去の自分の行動に頭を痛めたのか、先生はこめかみを押さえて軽く唸った。
しかし、ここまで暴露されたら最後まで聞きたくなるのが人の性。私は再度心を鬼にして、黒歴史に苦しむ先生に話の続きをせがむ。
「大喧嘩になって、それからどうなりました?」
「い、色々と、言ったはずだが……最終的には『自分は、あなたの都合のいい道具でしかなかったのか』と言い捨てて……逃げた」
「……逃げた?」
「逃げたというより、家出した」
「……!!?」
まさかの家出少年エピソードに、申し訳ないと思いながらも開いた口が塞がらなかった。




