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二〇二四年四月二十五日木曜日 時刻不明 Ⅻ

 降って湧いた希望に騒ぐ私を見ながら、先生は当然のように続ける。



「ただし、出た瞬間私は死ぬことになるだろう」


「なんてこと言うんですか」



 なぜか確信を持った表情で言い切られ、一気に気持ちが冷めてしまった。希望なんてものは一過性の幻覚だったらしい。



「それで、なんでバリなんとかがあればここから出られるんですか?」


「バリファルダ、だ。バリサルダともいうが……本当に聞いたことがないのか? これまで、ただの一度も?」


「ないです。一回もないです」


「…………そうか」



 左手で額を押さえて唸った後、先生は解説してくれた。


 ──バリファルダ。あるいはバリサルダ。

 振ればあらゆる魔法を打ち砕きすべてを切り裂く、魔女が鍛えたという魔剣。


 元々は『狂えるオルランド』の主人公オルランド(ローラン)が所持していたそうなのだが、巡り巡ってもうひとりの主人公であるルッジェーロ(ロジェロ)の剣になった。この剣はタタール王マンドリカルドとの決闘の際、彼が着ていた不壊(ヘクトール)の鎧を貫くほどの威力を発揮したらしい。

 先生が言っていたものは()()()()()()()()()()()()()バリファルダ、いうなればバリファルダ・レプリカのことだという。



(……そんなにすごい剣なら、しばらくの間持たせてもらえばよかったかも。ヤマトを犠牲にせずに済んだかもしれない……)



 心の中で軽く後悔しながら、説明を終えた先生はさらに続ける。



「いいか? そのバリファルダは外に──この場合、ミセス紅が所持していることになる」


「ふむふむ」


「出られるということは、我々が出てきた場所にミセス紅がいるということでもある」


「確かに?」


「私が彼女を本気で怒らせるのはこれで二度目だ。外に出た時点で、私には逃げ場もなければ言い訳も聞いてもらえない可能性が高い。ひとつでも答え方を間違えれば殺されるだろう。彼女は約束を破った人間にまったく容赦がない」



 そんな大げさな──とフォローしたい気持ちは山々だったが、悲しいかな『祖母ならありうる』という確信の方が上回って嘘でも口にはできなかった。

 祖母は怒りが頂点に達すると周囲が引くほど素行が悪くなる。相手に前科があるならその怒りはより鎮火活動が難しい。説教は殴る蹴るとイコールで行われるし、酷いときは店の中で年下と思われるおじさんと乱闘騒ぎになったりして、何度警察のお世話になったことか。

 よほどの理由がないかぎり祖母は止まらないだろう。怒りの前になけなしの理性が働いてくれるかは怪しいが、事情が事情だ。私が頑張って事を収めるしかない。

 これからのことを思って憂鬱そうにため息を吐きながら、先生は続ける。



「私の末路がどうあれ、今は外からの救助を待つしかない。彼女もいつかは気づくはずだが、さてどうなるか……」


「あ、それなら多分大丈夫だと思います」


「ずいぶん冷静だな。根拠はあるのか?」


「私、時間的にもう門限過ぎてるはずだし、さっきまで電話でコール入れてたから、見かねたおばあちゃんが探しに来てくれるかと。なんなら織姫もいるし」


「ああ、そうか。そういうことか……」



 ここまで互いに散々喋り倒していたこともあり、私たちの間にようやく静寂が訪れた。



「……」


「……」



 イメージ通り、先生は沈黙が苦ではないタイプらしい。

 私も普段からお喋りなわけではないが、それはエネルギーの大部分を作業時間に当てているせいだ。なので、私は基本的に喋るか作業するかしていないと、気持ち的に落ち着かない。据わりが悪い。何より、残念ながら黙ったまま時間を無為に過ごすほど、私はまだ怠け者にはなれない。

 私はしばしの沈黙を打ち破るため、挙手した。



「先生!」


「どうした」


「急に暇になっちゃったんで、待ってる間にいろいろ聞いてもいいですか」


「……奇遇だな。私も聞きたいことがある。君の疑問は多いだろうが、先に聞いても?」


「ど、どうぞ」



 話の優先度を考慮してのことか、わざわざこちらに許可を求めるあたりに先生らしさを感じてきた。

 戸惑いながらも先手を譲れば、先生は改めて向き直り、口を開く。



「なぜ逃げなかった?」


「え……」


「決闘を受けた理由だ。君は事前にミセス紅から私のことを聞いていただろう? どこまで聞かされていたかの真偽は置いておくとしても……いきなり連れ込まれたにしては、やけに準備がよかったように思う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その場を凌ぐだけならいくらでも言い逃れができたはずだ。──なぜ、逃げなかった? 勝算があったからか?」


「……」



 当然といえば当然の疑問だった。

 確かに、祖母は『常に武器を携帯しろ』とは言ったが『戦え』とは一言も言っていない。『勝て』と頼まれた覚えもない。そもそも、私が逃げずに立ち向かうなど、あのときの祖母は想定していないはずだ。本当に想定していたのであれば、祖母は迷いなくバリファルダ・レプリカを私に持たせていただろうから。

 疑いなくそう思えるのは、私が自分で思っているより祖母を信頼しているからかもしれない。──時折、祖母は戦友に向けるような信頼感を持って私を育てようとする素振りが見られるから、かもしれない。

 どんな人間が相手でも恐れず、真っ向から立ち向かえる人の背中を見続けたせいかもしれない。



(まあ、だから私も立ち向かってみちゃったんだけど)



 闘う理由はいくつもあるが、その答えは至極単純だ。

 ──『逃げたい』という一時の理性より、『逃げたくない』という圧倒的な感情が上回っただけなのだから。



「えーと……いくつか理由はあるんですけど……」



 ひとつ咳払いをして、私は続ける。



「先生、ここしばらくの間私のことめちゃくちゃ睨んできたじゃないですか。親の仇かってくらい」


「いや、それは睨──続きを聴こう。それで?」


「私、無言で睨んでくる人にちょっと……かなり、苦手意識が刺激されまして。先生、目力あるから余計にこっちから話しかけるの怖くて怖くて。私が何かしたわけでもないし、下手に刺激して逆上されて襲われたらそれこそ本末転倒だし。情けない話……自分から話しかけに行くきっかけができなかったんです。今となっては、もっと早く話しておくべきだったって後悔してます」


「……」



 多少後ろめたい思いがあるせいか苦い表情をする先生を他所に、私はさらに言葉を重ねる。



「でも、先生がここまでする理由を聞いて、逃げたら私じゃなくておばあちゃんに危険が及ぶかもって思ったんです。逃げなかったのは、ただの時間稼ぎです。別に勝算とか考えてなかったですよ、途中で考えが変わっただけで」


「それは……前半に関しては、特に意図していたわけではないが、気を病んだのであれば謝ろう。すまなかった」


「意図してたら今日一びっくりしますよ」



 私の今までの行動範囲まで把握されているとさすがに恐怖を覚える。ドキドキ納涼大会をするにはまだ季節が早い。



「それと先生。分かってないみたいだから言っちゃいますけど、写真を見せただけじゃ本人の証明にはならないんですよ。今の加工技術なら写真の捏造とか当たり前にできるし」


「……」


「最初に先生のことを話したら、おばあちゃんが必要以上に警戒してろって。でも本物とか偽物とか、そういう話は一切なかったから、まあ多分ご本人なんだろうな~とは思ったんですけど……以前、おばあちゃんの変身術のトンデモなさを目の当たりにしたせいで、先生が本当におばあちゃんの知ってる人と同一人物かどうか、話を聞いてもいまいち確信が持てなくて……」


「……」


「だから、さっき先生を信じようと思えたのは、ヤマトが頑張って助けに来てくれたからです。ヤマトが先生本人だって認識できてるなら、きっと間違いはないって……先生? 今の話聞いてました?」



 途中から気分が悪くなったかのように遠い目をしだした先生は、話が終わる頃にはこめかみを指で押さえつけて低く唸り出す。

 勢いと酔いが醒めた人間の悲喜こもごも、その一端を垣間見せられた。勝負に負けて理性を取り戻した先生の様子は、時間を経るごとにおかしくなっていくように私の目に映る。



「……二度と感情と勢い任せで行動するものか……もう絶対に……」



 翌朝二日酔いで頭を痛めながら後悔して禁酒宣言する大人のような哀愁を漂わせて、先生は呻くように呟いた。

次回更新:9/6、23:00予定

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