二〇二四年四月二十五日木曜日 時刻不明 Ⅺ
誠に遺憾ながら、二度目の投獄である。
前回と異なることは、私がひとりぼっちでないことだけではない。ひとつ、先生がいること。ふたつ、形ばかりの月ではなく、宙に浮いたように見えるひとつのステンドグラスが周囲に光をもたらしてくれていることだろう。
「……」
当然、疑問は尽きない。しかし、いい加減考えること自体に疲れを感じはじめてきた。
しばし何も考えず、呆然と立ち尽くして美しいステンドグラスを見上げる。疲れがあるとはいっても、気持ちが穏やかになれば現実逃避とばかりに目の前のことを考えてしまう。
色鮮やかなガラスを受けて漏れる優しい光は、この暗闇のどこから射してくるものなのだろうか。
(こんなところ、観察しても見つからなかったのに……)
何もないと思わされてきた暗闇の中にひと時の安らぎを見出していると、先生が私の肩に触れた。
「あまり離れるな」
「先生。ここは……?」
「ここは内部の精神汚染を受けない唯一の安全地帯だ。……ここでなら腰を据えて話し合える。一度情報を整理するぞ」
「先生……あっ! そうだ、腕の怪我は!?」
「たった今止血した。それよりも君は窓のそばに寄って座ってくれ」
謎の人物による強襲、銃弾の豪雨から命からがら逃れた私たちは──
「……よし。確認するが、君はラヴクラフト・クローズ直系の孫だな?」
「はい」
「魔法を継いだのは君の祖母で、君は二代目の祖母から魔法を継承していない。違いないか?」
「おっしゃる通りです」
「……」
身の安全が確認できたところで、私がここに来るまでの状況説明をしつつ──
「先生……あの、さっき撃ってきた人って……」
「先手を打つようで悪いが、今は何も言わない。理由は……襲撃された心当たりはあるが、憶測だらけで情報が錯綜しかねないからだ。突然言われても君だって混乱するだろう。気にする気持ちは分かるが、狙撃手については落ち着くまで一旦置いておく。いいか?」
「わ、分かりました。一旦忘れます」
何をしたかというと──
「……『獄死』の魔女が閉じ込められて死ぬって……こんな酷いジョークがあってたまるか。笑えない……」
「先生! 諦めるのはさすがに早すぎますよ! この魔法の構造はよく分かんないですけど、ここにまだ蜘蛛の糸があります。私に任せっ…………」
「……そういえば君、やけに荷物が少な」
「うわああああああああ弾痕がァ──!! ってことはあっちに落っことしてるゥ──!!」
悪夢より酷い現状に打ちのめされながら──
「は? 玄関に気味の悪いポエムと一緒に入ってた? ……いや、ちょっと待て。誰が差出人かも判明していない、得体の知れないものを? 何の検証もせず? ぶっつけ本番で? 正気か君は!?」
「しっ仕方ないじゃないですか。ちゃんと調べる前にヤマトが飲み込んじゃって、解剖しないと取り出せなかったんですよ……」
「はァ~……今回はそれが功を奏したようだから見逃すが、次は本当に気をつけてくれ。糸巻きに偽装した爆発物かもしれなかったんだぞ」
「おっしゃる通りです……」
激論に激論を重ね──
「っていうか、先生はここから出られるんじゃないんですか!? ここの管理人みたいなもんなんでしょ!? 『獄死』の魔女は出入り自由じゃないんですか!?」
「そんなことができるなら最初からやってる! 第一、母さんから教わったマニュアルにまともな脱出方法なんてなかった! これは間違いない!」
「嘘でしょノープラン!? 『信じろ』という懇願に満ちた言葉はどこへ!?」
「の、ノープランなわけあるかっ! いくつか抜け道はあるが、私ひとりでは到底達成できないから……」
──現状、すぐさまここから出られないことが分かった。
「で……まずプランAって何なんでしたっけ?」
お互いに気疲れを隠そうともせず、私は口火を切った。
この短時間でいろいろと言い合いはしたものの、単独による脱出すら不可能という結論が出た以上、協力は必要不可欠。そろそろ大人になる時だ。
先生の表情は撃たれた傷も響いているせいか、いつもより苦々しい。しかし何か問題があるのか、あまり言いたくなさそうに先生は渋る。
「正直、こうなるとAは余計望み薄に近いが……」
「ここまできたら先生の知恵だけが頼りなんですよ。言うだけタダだし、何でもいいのでカモン!」
「……まずは、君が貰ったというエーテル糸を丸ごと再現したい」
「そ……それだ──!!」
その合理性と再現性への信頼、まさに天啓のごとき冴えの鋭さだった。
「できそうか?」
「すごい!! 先生、頭良い!! そうだよ、まだその手があったじゃん!!」
「お世辞はいいから、ひとまずやるだけやってみろ」
この上ない渾身の解決方法だというのに、発案者の先生はやけに雑な態度だ。
やる前から失敗が見えている、と言わんばかりの明け透けな態度はいただけない。失敗は、やってみてからでないと分からないこともある。
(そうだよ。ここにないなら、作ればいいじゃない)
あれを丸ごと再現できれば、同じ結果を起こせることは証明済みだ。
両手を受け皿にして、私は目を閉じる。
(思い出せ。重量、質感、光沢、構成、特性、魔力、それから──)
頭の中で必死に働く想像力に、すべての意識を集中させた。気を抜けばすぐさまとっ散らかりそうな記憶を、ただの意地でかき集める。
「我が手に具現せよ──」
無駄と分かっても力を込めた。ひたすら念じる。一心に祈る。
「…………あれ?」
しかし、手の中に生まれたものは、ただの糸だけ。輝きが違うどころか、魔力すらろくに通っていない糸。再現したかったものとは明らかに別物だ。
試行。失敗。試行。失敗。試行。失敗。失敗。失敗。
──失敗だ。
(違う。こんな見たまんまの糸なわけない。なんで? あれだけ見て、触れて、確かめたはずなのに、なんで再現できない?)
疑問と雑念に塗れ、一連の作業もおざなりになっていくのが分かった。
舌打ちしそうになる気持ちを堪えて、一度思考を切り替えて作業を放棄する。失敗した原因を必死に思い返す。
目的──不明。構造──不変。材質──不詳。
冷静に振り返った頭で、ようやく自分の思い違いに気づく。
(『夢死』の魔法は、『自分が理解できていないものは再現できない』)
当たり前といわれれば、当たり前のことだった。
思うことはいろいろあるが、まずプラスに考えてみよう。この機会に早く知れたのはよかった。本当によかったと思う。よかったが──しかしこの仕様、落とし穴にも程があるまいか。
私の不自然な沈黙を労わるように、先生は口を開く。
「やはり駄目か。君もたった今理解したように、『夢死』の魔法は他と比較しても創造性と明確性が何よりも求められる。君はエーテルの原理も理解できていないことに加えて、あの糸が誰の手で、どうやって、何を用いて作られたものなのかも知らなかった。現実だろうと想像だろうと、知らないものを作れないのは当たり前のことだ。分かりきった結果だから、自分を責めなくていい」
「……ごめんなさい。何も知らなくて……」
「いや、だから責めているわけではないから安心……は、できないか。少し待て、別の方法を考える」
先生が虚空を見つめながら考え出すのと同時に、私はひとり反省タイムに突入した。
『理解』とは、どこからどこまでを指すのだろう。私の場合、身近なものは方程式や公式、試験のテスト、料理やアクセサリーのレシピ──どこにでもあるような、ありきたりな発想だ。
であれば、初めて魔法を使ったときのことを思い出そう。糸をベースとした脱出道具と捕縛武器、即席だがその分強力な魔法の効能を加えた香水と、その複製。
私が手を入れたものは計四点、それらの効果は言わずもがなだ。おそらく、基本工程の詳細は日常で参考にしているレシピとあまり変わりがないと見なしていいはず。
知らないものは作れない。分かりきったことなのに、先生の言葉が思いの外深く突き刺さる。
「……魔法の破棄──さすがにリスクが高すぎる。俺はまだしも、彼女への被害が計り知れない。ただでさえ内部での破棄による影響が未知数な上、今ここでなけなしの戦力をひとつ潰すのも現実的とは言えない。却下、次……」
先生が、私に激情をぶつけた所以の一端を身を持って知り、身震いする。
創造の条件を理解していなければ、『理解』の基準なんて人によってあやふやになりかねない。
正しい手順、正しい知識、正しい目的、臨機応変なアイデア。自由性と規則性が表裏一体かのような『夢死』の特性。同時に、魔法の『解釈』次第では宝の持ち腐れになる危険性を孕んでいる。
しかしそれは──持てる人が持てば、際限のない欲望を満たすに足りる、黄金に等しい価値を持つのではないだろうか。
「……彼女の再三偽印を譲って──できるのか? 俺に? ただのエーテル糸なら再現できるだろうが、もしあれでなければいけなかったら? 見ただけではあれと寸分狂わず同じものが作れるとは思えない。失敗したら意味がない……」
反省して分かったことは──私は、何も知らなすぎるということだけ。
迫る焦りと恐怖から思考のドツボに嵌る私を他所に、先生は何か考えを巡らせていく。
「ああクソ! せめて君がバリファルダさえ持っていてくれれば話は早かったが、望みはないか……」
「……?」
荒っぽく叫された聞き慣れない単語に、私は反射で聞き返す。
「バリ……えっと、先生。バリなんとかって何ですか?」
「はあ!!?」
「え? 何? 役に立てなくてごめんなさい……」
「怒鳴ってすまない。そうではなくて……君が持っていたわけではないのか? だとしたら、なぜ決闘なんか受け──」
困惑一色の表情になった先生は言いながら何かに気づいたのか、左手で口元を押さえつつ、何かを呟く。
「いや、しかし……そうか、そうか! まだその手があったか!」
「? ? ?」
「良い知らせだ。結論から言うと、ここから出られる」
「……え? え!? 本当に!?」




