二〇二四年四月二十五日木曜日 午後二十時九分
先生が撃たれた。
何をしても揺るぎないその事実に、心臓が痛むほど締めつけられる。
(…………何に。誰に?)
動けるものは思考だけ。体は目の前の光景に判断を奪われて、動かなかった。
「……鈴木!!」
ドーム状に『扉』が展開されるとともに、先生が私を抱きかかえながら地面に伏せた。
ほのかな鉄の匂いと地面に散る血液が、これは現実だと冷ややかに突きつけてくる。呆然と入り込んでくる視界に言葉も出ない。
それにやや遅れて、空から銃弾が立て続けに振り注ぐ。
「せ……先生!? 腕から血がっ! というかこれ、さっきのあの音ってまさか……!」
「想像通り、敵襲だ! 頭を守れ! 当たれば死ぬぞ!」
「ええっ!?」
恐怖と混乱のままに口を開けば、返ってきたのは脈絡のない事実。
言われるがままに頭を守りつつ、眼球を総動員して周囲の様子を観察しようとして──息を呑んだ。
「──っ」
泣くほど苦しめられた『扉』が、ただの硝子窓のごとく銃弾の雨によって叩き割られていく。
割られて、直して──壊されるたびに張り直される『扉』との攻防を、私はただ眺めることしかできない。
「本来なら魔女には通用しない近代武器による攻撃、魔法で構築された障壁を容易く割ってくる弾丸に、正確無比の狙撃、加えて特徴的な魔法の波長……間違えようもない。ここ十数年音沙汰を聞かなかったが、やはり生きていたか。銀の弾丸」
「何ですか誰ですか知り合い!? 友達!? 先生の元恋人!?」
「そんなわけあるかァ! どうしてそうなる!? ……クソッ、どっちの魔弾だこれは。油断するなよ、相手も魔女だ!」
「え!? 魔女が狙撃!? なんで!?」
まさに命の危機的状況下で猛攻を凌ぐ先生に対し、私は叫ぶことでしか目の前の恐怖を紛らわせることができない。
しかし、それでもやれることを手放してはならない気がする。怒涛の情報量にパニック寸前の私は置き去りにされつつも、目の前の光景をシャットアウトした。一度は聞いたことのあるような、これみよがしな単語に思考を走らせる。
──銀の弾丸。名高いグリム童話のひとつ『二人兄弟』の逸話において、魔法の森に住む魔女を撃ち落とした唯一の武器だ。
朧気な記憶が確かであれば、主人公である双子の兄が着ていた上着の銀製のボタンが元になったはずである。
本当に逸話通りの武器だとすれば、銀の弾丸はひとつか三つ。先生の話を雑に総括すると、先生の腕を撃ち抜いたものは銀の弾丸と見て間違いない。
そこまで考えて、思考の走りは小さな違和感に蹴躓いた。
(……あれ? でもそれってなんか──)
違和感の正体を拾い上げようとした瞬間、視界の隅を何かが通過する。
次は足、さらに腰、次から次へと何かが空を切る感覚が肌を滑った。
(こ、今度はなに──)
背筋に伝う悪寒と同時に視線を動かせば、背後の床に弾丸が貫通していた。
「〰〰〰〰っ!!?」
視界に入れてしまったことを後悔しながら気が遠のきそうになっていると、先生が露骨に舌打ちをした。
「マズいな、このままだと物量だけで押し切られる。反撃しようにも距離が離れすぎだ。敵の位置すら満足に捕捉できなければ魔法も射程外で届かない。こちらがまごついている間に距離を詰められる。加えて、こうも弾幕攻めではどちらが標的なのかも判断できない上に、離脱も不可能だ。敵ながら見事な詰みだな、恐れ入る」
場違いにも程がある至極冷静な解説に慄きつつ、私も慌てて口を開く。
「いやっ、ちょ、さっきからそんな冷静に……ひっ! どっ、どうします!? だって、このままじゃ、本当に死──」
徐々に呂律も頭も回らなくなる私の顔に、突如影が差した。
先生の顔が近い。暗い視界でも分かる顔の良さを目前に、場違いにも息を吞む。
「鈴木」
「は……い」
「こうなったら一蓮托生だ。叱責も罵声も後でいくらでも聞いてやる。今、この瞬間だけでいい」
先生は、ほんの一瞬だけ躊躇うように一拍おいて、言う。
「生きるために……私を、信じてほしい」
「信じる!!」
この状況から一秒でも早く離脱するために、何より助かるために一も二もなく私は即答した。
「信じます!! それ以外で今私にできることはありますか!!?」
「いや、十分だ。離脱するぞ」
大きな返答に満足したのか、先生は視界を外した。
「Bereich festlegen, Durchmesser zwanzig Meter. Verbinden Schicht, Von der nullten Schicht bis zur ersten Schicht. ──開門」
先ほども聞いた、機械的な魔法の詠唱が先生の口から滔々と流れていく。
すると、背後に光の届かない暗闇が目と鼻の先まで広がっていた。
「……!!?」
できれば半年は目にしたくない『獄死』の魔法の扉が、静かに口を開いている。
今夜何度目になるか分からない血の気が引く感覚に吐き気を催しながら、震える唇を必死に動かす。
「ま、まさか……り、離脱って、そんな、うそでしょ。これって」
「残念ながら、そのまさかだ」
「嘘でしょ!!? また!!?」
先生の無慈悲な肯定に、私は可能なかぎり味わいたくなかった二度目の恐怖に叫ぶ。
しかし、私がいくら泣き喚こうが背後以外に退路はない。手段のなさに軽く絶望していると、もはや有無を言わせないためか先生が私の右手を強く掴んでくれた。
その左手には血が流れていたが、そんな怪我もお構いなしに力強く、熱い。
「鈴木、はぐれるから手を放すなよ!!」
「っ言われなくても──!!」
まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちで、私たちは暗黒の空間に飛び込んだ。
先生の左手を砕かんばかりに、私は右手により力を籠める。
「……っ!」
夜空が、駆け昇るように彼方へ遠ざかっていく。暗闇が支配する牢獄へと落ちていく。
(それでも……!)
──けれど、次もひとりぼっちではない。




