二〇二四年四月二十五日木曜日 午後二十時二分
卑怯だろうが辛勝だろうが、勝ちは勝ち。
しかし、人生初と声を大にして言える勝利の余韻に浸っていられるのも、最初の三分間だけだった。
「先生~? いつまで屋上で転がってる気ですか? 帰りましょうよ、というか今何時……げ、もう八時!?」
「…………」
「……散々暴れてもう気は済んだでしょう? まだ懲りませんか? 次はステゴロですか? 今度は保護者クレーム待ったなしですよ。もう言い逃れできませんよ~」
「…………」
ここぞとばかりに好き放題言葉を投げかけるが、すべてに無反応で無視された。
未熟者に負けたのが相当プライドに応えたらしい。私ですら真っ暗な密閉空間に閉じ込められたときはさすがに参ったが、なぜだろう。明らかに先生の方が気落ちがすさまじく、どこか哀愁漂わせている。
このまま待っていると暮れるどころか日を跨ぎそうだ。そう判断し、微動だにしない先生を引き摺ってでも起こそうかと手を伸ばしかけると、閉じた貝が開くように先生の口が開いた。
「…………君は」
「はい?」
「どんな育て方をされたらあんな蛮族の極みのような暴挙に出られるんだ? ありえない……あんな、あんな魔女らしからぬ野蛮な方法で……脅迫だ、恫喝だ。決闘とは程遠い、ただの暴力だ……」
「悪かったですね蛮族の申し子で!」
後出しの負け惜しみに苛立って、私も負けじと刺すように言い返す。
「でも、今回の決闘の勝敗には手段とか関係なかったですよね。どんな野蛮な方法でも言わせれば勝ちなんですから。というか、後から結果を腐すくらいなら最初から魔術で魔術で勝敗が分かれるようにすればよかったじゃないですか。相手が未熟者だからってナメた喧嘩吹っかけるから痛い目に遭うんですよ」
「…………」
そう、今回の決闘で勝敗を分けた肝は、先生が相手の──私の性質を見誤ったことにある。
私のことは短期間である程度調べがついていたはずだ。それでも、あくまで勝敗の結果を力ではなく言葉に委ねたのは、そうすれば高確率で私が乗ってくると認識していたのかもしれない。
『獄死』は、扉や鎖などの特定の物を構築し、構築物を通して対象の拘束や封印を行う魔法である。相良さんや瑛ちゃんの魔法とは原理がまるで異なる──むしろ、『夢死』と系統が一番似ている魔法だと思った。
戦いにおいて、より多く準備したものが勝つ。とはいえ、勝利だけを目的とするのであれば、私たちのように何かを作ることを前提とした戦い方は、あまりに無駄が多すぎる。それぞれの魔力残量を考慮すると、かなり燃費の悪い手段とも言える。それはすなわち、戦闘開始から時間が長引けば長引くほど、互いにとって不利になるということだ。
力そのものが人よりずっと強大で、神秘的なのもあってよく誤解しがちだが──魔女も魔術師も、人に危害を加えることもできるだけであって、けして戦闘のエキスパートではない。
魔法の効果を戦闘に振りきった相良さんは例外として、先生のような魔女はまさにこの典型例と見なしていいだろう。
現に、先生は私を魔法で幽閉している間、私が時間をかけて工作していたことについてまるで認知していなかった。先生が使用した魔法の効果は魔術的な隔離のみ。あのとき、外部から内部への干渉や監視をされなかったことが私にとっての最大の幸運だった。
おそらく、先生にとっての最終的な理想の勝利は「脱出不可能な結界内で音を上げた私が降参するのを待つ」ことだったと推測される。決闘を仕掛けてきた側にしては消極的すぎる選択だ。これでは本当に勝つ気があったのかどうかも疑わしい。
(うん。なんというか、この人って意外と──)
決闘前のあれこれといい、魔法や魔術への異様なこだわりといい、先生の基質は根本的に純粋な戦闘には向いていない気がする。
強引に相手を引き込んで喧嘩を吹っかけた割には、所々で行儀の良さが見え隠れする。目的を果たすためだけなら、もっと卑怯で確実な手をいつでもどれでも選べたはずだ。それなのに、この人は無意識なのかあえてなのか、それをしなかった。
(…………)
何かを掴みかけたような感情が、喉奥に引っかかる。手探り状態で明確な答えも出ないまま、私は続ける。
「お互いに、教科書だけじゃ学べないことを学びましたね?」
「…………っ身に染みて学習したよ!」
ここへきてやけくそになったのか、抑えられた怒りと屈辱の感情が端々から滲み出るような声音で返答された。
「はあああ……母さんに会わせる顔もない。あんな初歩的な手に引っかかるなんて、末代まで残る恥だ。いっそのこと笑い飛ばしてくれた方が救いがある……」
両手で顔を覆った先生の表情は読み取れないが、隠れていない口元は羞恥と悲嘆に歪んでいた。
理想的な大人だと勝手に思っていたが、それはわたし大人という生き物は子どもが想像している以上に大人ではないのかもしれない。今回の一件でいろいろと腑に落ちた。大人だって子どもと大して変わらない、ひとりの人間にすぎないということ。人間は、冷静になれば気づけるはずの勘違いをやってのけて、そのときの判断を簡単に見誤って、当たり前のように間違いを犯す。その一点だけは、大人と子どもに壁など存在しないのだ。
未熟とは、年齢では量れないものなのかもしれない。
「……これが、年貢の納め時というやつか」
「……?」
「鈴木」
「はい?」
どこか不穏な言葉を口にした先生は、ようやく起き上がって私に向き直り、頭を下げた。
「まずは、君に謝罪と感謝をさせてほしい。──自分勝手で無理がある決闘に巻き込んだこと、一連の非礼の数々、本当に申し訳ありませんでした。次に、決闘から逃げずに全身全霊で引き受けてくれたこと、本当にありがとうございます。君のおかげで、ようやくこの道に見切りを付けることができました」
「……」
「……先ほどの、君の言う通りだ。私は先入観で、上辺の情報しか知らない君のことを甘く見て……見くびっていたし、侮っていた。実際に話してみれば、聞いていた話と印象がまるで違ったよ。まさか、年季の入った自動機械人形を犠牲にしてまで抗戦するほど、ハングリー精神に満ちた芯の強い子だとは想像しなかった」
傲慢、自信家、偏屈。今までの印象と強気な先輩魔女ムーブを跡形もなく粉砕することを躊躇わず、誠心誠意を尽くした結果変貌した態度の変わりように、こちらは開いた口が塞がらなかった。
──狡い。率直に、狡い大人だと思ってしまった。相手は年の離れた子どもなのに、やろうと思えばいくらでも誤魔化して逃げられるはずだろうに、それだけはしないなんて。
あっさりと自分の非を認めて謝罪したまともな大人を前に、困惑と疑問が脳裏を交差する。
(……あれ? この人、本当に女子高生眠らせて決闘を迫った人と同一人物?)
一息ついて、顔を上げた先生は落ち着いた様子で続ける。
「なぜだろうな。冷静になって君を観察していると、どうしてこんな馬鹿げた勘違いをしていられたのか、今になって疑問に思う。……普段から感情を基準に動くことがどれほど理性的な判断を奪うか、改めて思い知らされた気分だ。そんなこと、あいつのせいで嫌というほど知っていたはずなのに」
(あ……)
先生の独り言のような発言を受けて、私は思い至った。
(そっか、突然変わったんじゃない。こっちが普段の先生なんだ)
先生と同じく、強迫に当てられて生まれた勘違いを鵜吞みにしていたことに気づき、私はひとり心中で恥じる。
今夜は、お互いにとってイレギュラーな対応が多かった。普段通りの自分なら絶対に言わなかったこと、やらなかったことを、名前を知ってから日が浅い相手だからこそぶつけまくった。しかしそれは、お互いに手に入れたいもの、求めるものが偶然酷似したものだったから衝突しただけにすぎない。
どちらも譲歩できず、譲れないものがあった。
であれば、理性を置き去りにするほど熱くなって周囲が見えなくなってしまうのも、客観的できずに主観的になってしまうのも、何ひとつおかしなことではないと思う。
それが、自分の人生を賭けてもいいほど憧れたもののためであれば、なおさらだ。
(やっぱり、この人も……もしかしたら……)
信憑性を帯びてきたとある予感に、胸の奥が歓喜でときめく。
それと同時に、負の感情も沸き起こる。文句も罵声も泣き言も、口にしようと思えば山ほどあったけれど。
(でも、これは先生のせいじゃない。決闘を受け入れて、先生に勝つためにヤマトを壊したのは、私がそう決めたからだ)
先生の言う通り、決闘から逃げなかったのは、それが最善だと私が判断したからだ。
後悔がないわけではない。悲しみが癒えたわけでもない。ヤマトの犠牲は本当に必要だったのか、問われると分からない。それでも、私の選択とヤマトの覚悟がけして無駄ではなかったのだと──そう信じ抜かなければ、この決闘に勝った意味がない。
あの勝利は、「二度と誰かを犠牲者にはしない」という、ふたりの誓いの証明でもあったのだから。
(不安になるたびにいちいち疑うな。信じるために、ヤマトと誓約したんだから)
ヤマトの亡骸が入った即席の袋に手を当てていると、いつの間にか切り替えたらしい先生が立ち上がった。
「さて、日が切り替わるまで屋上に入り浸っているわけにもいかないな。鈴木、体に不調はないか? 見たところ問題はなさそうだが」
「え? ああ、心に負った傷以外は特にないです!」
「それは……笑えない致命傷だ。後日改めてお詫びさせてほしい。ぜひとも」
シームレスな労りに対して元気に返事すれば、先生は苦笑交じりに応えてくれた。ジョークが通じないほど堅物というわけでもないらしい。
私の知らない先生の一端を垣間見たような気がした瞬間、私の口は考えるより先に動いていた。
「先生!」
「?」
気づけば先を歩こうとする先生に、慌てて声をかける。
そばまで寄った私はうっかり右手を差し出しかけたので、すぐさま左手に変えてから言葉を続けた。
「改めまして、鈴木茉楠です。事情はよく分かんないけど、お姉ちゃんがお世話になってます! これからよろしくお願いします、ローゼンタール先生!」
突然改まった私の挨拶に対して、先生は意表を衝かれたように硬直した。
私は今まで先生に対して抱いていた手探りの感情を、ここでようやくまとまった形にすることができた。
性別も違う。年も離れている。生まれた国は言わずもがな。それでも──なんとなく、彼とは話せば仲良くなれそうな、漠然とした予感めいたものを肌で感じ取っていた。
「──こちらこそ、よろしく。勇気ある自動機械人形の代わりに、力を尽くすことを誓おう」
硬直から解けたのか、握手とともに返答してくれた。
正式な挨拶に満足したので、私はすぐに手を放そうとした──が、先生はなぜか一向に左手を解放してくれない。
「?」
意図がまったく読めないまま、時間と夜風が無為に流れていく。はたして、これはどういう了見だろうか。
私は頑なに手を掴んで放さない目の前の人を見上げる。
「……」
「……先生?」
「……その」
「はい」
「……」
何かを言うべきか迷う仕草で口ごもった先生の言葉の続きを、茶化さず静かに待つ。
ようやく意を決したのか、彼は薄い唇をゆっくりと開いた。
「敗者の身分で図々しいことを言うのは百も承知している。それでも、どうしても君に頼みたいことができた」
そして、先生は続ける。
「あの人に──君の祖父に、会わせてくれないか?」
「…………え?」
ここまで読んでいただいた方、いつもありがとうございます。
今後の更新についてですが、誠に勝手ながらこの回で一旦更新停止とさせていただきます。いつも読んでくださっている方、大変申し訳ありません。
夏までにはなんとか更新再開を予定しています。詳細は下記に記載します。
牛歩に等しい闇鍋拙作ですが、最後までお時間をいただけると幸いです。
休業明けに、またご覧いただけるよう頑張ります。
更新予定:8/2 23:00




