二〇二四年四月二十五日木曜日 時刻不明 Ⅸ
それは、魂を打つような誓願だった。
「夜鷹が星になるのなら、白鴉は遠く星々の海を渡り、翼が燃え落ちようと太陽に近づいてみせます」
自動機械人形は、神仏の存在を認識する。それがどれほど無謀な約束なのか、私にはまだ分からないけれど──
「ご主人様」
「うん」
「約束してください。これは誓約──誓いを立てた者たちが命を懸けて果たさなければならない、魂を縛る約束なのです。わたしはこの約束に、四千七百九十二日の時間を捧げます。共に生きることはできない、あなたの助けになりたいから」
「……うん、約束する。私も」
──決死の懇願を無下にできるほど、私は落ちぶれた人間ではない。涙を拭いてしっかりと頷く。
私も負けじと何かを言おうとしたが、やめた。すでに、ヤマトは私への願いを伝えてくれたことを思い出したから。
先生に勝って、生きて、夢を叶える。約束した結果こそ、今の私がヤマトに贈れる弔いの花であり、私にとっての誓願だ。
「今日が、巣立ちの時。少し遅れた親離れの季節です」
「……」
「ご主人様」
「うん」
「わたしは……」
一拍置いて、ヤマトは続ける。
「わたしは、どんなに苦しくても好きなことを諦めない、あなたの煌めくように生きる目がとても好きです。どうかいつまでもその瞳の奥に、溢れるような輝きがあらんことを、祈ります」
「…………」
「願わくば、いつまでも忘れないで。あなたの家族や友達が、あなたが大切にしているものたちが、あなたをどれだけ大切に思っているか」
続けて、ヤマトは自分の腹部を見せるように仰向けに寝転んだ。
「茉楠様……もうひとりの、わたしの母上。来世でお会いできるその日を、草葉の陰で楽しみにしています」
ヤマトが私に伝えてくれた言葉は、これがすべてだった。今生の別れにいよいよ覚悟を決めるため、私は集中しようと目を閉じる。
──普段なら絶対に言わなかった言葉を餞に、ヤマトは逝く。
(……他の誰でもない、私の手で。果てのない暗闇へ、君は旅立つ)
私が決めた選択と責任を、もう二度と忘れるものかと刻むように反芻する。
しかし、その余白の合間を縫うように小さくなった煩悩が邪魔をした。この時間がいつまでも続いてほしい、なんて寝ぼけた未練が後ろ髪を引く。その欲に逆らうことなく従って流されてしまいたい、などと馬鹿げた誘惑が足を引っ張ろうとする。
人の欲望は宇宙の果てのごとく際限がなければ、浴室にこびりついた垢のように諦めも悪い。
(それでも)
そんな、夢にもならない妄想を強引に振り落として、私は腰に帯びていた短剣をゆっくりと引き抜いた。
(後戻りは、したくない)
涙に濡れた目を開く。この出来事を脳裏に焼き付けるためなら、両目が見えなくなっても構わない。
目一杯歯を食いしばる。この出来事を思い出す日はこない。忘れるつもりなんてないから。
「──Good bye, mam」
ヤマトの最期の言葉に返事をしようと、震える唇を懸命に引き伸ばして、開く。
これからの道行きに、苦痛と後悔が訪れないことをただ一心に祈りながら。
「……Good night sweet prince」
私は、感謝と寂しさを眼球の奥に湛えて──ヤマトの白く柔らかい腹部に、黒い短剣を振りかざした。
心臓の奥底に、焦げるような熱を灯す。
眼球が燃えるように熱い。視界はぼやけて、霞がかっていて、今この瞬間だけは何も見えやしない。けれど、これから自分が何をすべきかは、目で見るより明白だった。
「再三偽印、起動」
唱えると、呼応するように右腕のタトゥーシールが煌めいた。
すると、底から湧き上がってくる波のごとき力が根を張るように肌に、血管に浸透し、やがて全身を満たしていくのを感じる。そして、意思表示により力を使用した代償のせいか、杯の模様が欠けるように一部だけ消滅したのを確認した。
どうやら、使用するとその都度模様らしき疑似神経が消えてなくなる仕組みらしい。であれば、残機はあと二回。一回の使用でどこまでやれるかは未知数だが、この状況下では何事も試してみる他ないだろう。
(……不思議。今なら、何だって作れる気がする)
材料は揃っている。組み立て方は理解している。後は道具のクオリティとタイムリミットとタイミングとの勝負だ。
そう、勝負はまだ終わってなどいない。参ったと言うまで終わらない──つまり、勝敗は強さで決まるとは限らないということでもある。
ならば、参ったと言えるような状況になるまで相手を追い込む。そこに考える暇など与えてはいけない。
──そうなるために、私は何を作るべきか。目的も手段も、すべて把握できている。
「……」
好きと憧れの気持ちが、人の背中を押すきっかけになりえる。ならば、それに傷つけられるのもまた一興。
何の問題もない。その程度の心構えなら、私はとっくの昔に経験してきたのだから!
「……フー」
息を深く吸って、吐く。無駄な思考を振り払うように、私は頭を振った。
今は暗闇を怖がる暇さえ惜しい。というより、作業に慣れればそのうち気にもならなくなるだろう。
(──絶対に勝つ)
私は、連れ添ってくれた友の機体を抉じ開け、勝手知ったる工具箱を使うように手を伸ばす。
人生で最も孤独で、最も命懸けの仕事に挑むために、私は現実を打ち破る蜘蛛の糸を掴み上げる。
(絶対に、諦めない。『参った』なんて、死んでも言ってやるもんか!)
縋るような子どもの泣き声は、もう聞こえなかった。




