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二〇二四年一月十八日木曜日 時刻不明 Ⅲ

 怪奇現象はもううんざりだった。必要以上に、しかし確実に私の精神を疲労させていった。

 一度冷静になりたくて、祖母の死角になりやすい場所に腰を下ろす。手慰みに拾ったコインを指でいじりながら、祖母がいつ来てもいいように情報を整理する。

 遺書の暗号解読。二重構造の鍵で作られた地下室への扉。今まで知らされなかった地下室の存在。魔女。心臓の部屋。継ぎ接ぎだらけの両親の遺体。祖母の怒号。安心できる植物園。

 ──情報量が膨大すぎてどこから手を付けるべきか分からなくなる。これ以上脳味噌が熱暴走を起こす前に、私は一旦思考を放棄して息を吐いた。



「ご主人様」


「うわああっ……あ、ヤマトか……」


「非常に残念なお知らせです。魔女は秘密を知られるとゼウスのように怒り狂います。秘密を知った者は、即抹殺です。口封じが世のセオリーです。ヘラのように受け入れましょう。何か言い残したことはありますか?」


「そ、そんなこと言われたって……」



 いっそのこと冗談であってほしいヤマトの軽口のような忠告は、肌をやすりで擦るように痛感させられる。笑えるほどの余裕など、今の私にはなかった。

 祖母のことは信じている。しかし、この状況下でヤマトが嘘をついているとも思えない。

 祖母は何かを隠している。ほとんど確信だが、ヤマトは私の知らない事情を知っているのだろう。

 ──どちらも真実であるとすれば、どちらかを選ぶ必要なんてあるのだろうか。



(どちらも正しいのなら……どちらかを選んだら駄目ってこと……どうする……どうしよう……)



 意識がないまぜになっていく。考えがいつまでもまとまらない。泡のように浮かんでは消えるを繰り返す。

 うだうだと悩んでいると、浮遊したヤマトはなぜか私の膝小僧に両足を乗せた。



「ご主人様。あなたは戦う力があるのに、なぜ戦うことを選ばないのですか?」


「は? いやいや、向こうはその気でも、私にその気はないんだって! それに、相手はおばあちゃんだよ!? 戦えるわけないじゃん!」


「それは、なぜですか?」


「いや、だから……な、ぜって……」



 シャツのボタンを掛け違えたまま急ぎ足で外出するかのように、今のヤマトはまるで話が噛み合わない。

 私は得体の知れないうすら寒さを覚えると同時に、ヤマトは嘴を大きく開いて言った。



「自分を害する相手が血の繋がった家族であっても、それは戦わない理由にはなりません。ご主人様、あなたは自分が危機的状況に瀕している今このとき、あなたは何に対して躊躇っているのですか。ご主人様、あなたがいつまでも真実と対峙することに迷っているのは、今の生活を壊す覚悟がないからです。この世でたったひとりの愛するおばあ様から、真実を打ち明けられるのを恐れているからです」


「────」



 情けないことに、私の喉は反論の言葉すら紡ぐことができなかった。ヤマトの指摘は、憎らしくていっそ怖気が走るほど的を得ている。


 今まで人とは違う『何か』を見て、感じてきたとしても、私はそれを誰かに伝えたことはなかったし、何も聞こうとはしなかった。


 見ないふり、聞かないふりをするのは簡単なことだった。いつからだったのか、いつの間にか私の人生において、沈黙は金なのだと信じ込んでいた。

 ──本当のことを知るのが、怖い。何よりも、祖母の口から聞かなければならないという現実が、たまらなく恐ろしいと感じる。今までのすべてが足元から破壊され尽くすような、そんな予感が背後を覆う。しかし、そんなのは当たり前だ。急に言われたところで、覚悟なんてあるわけがない。



「決断をしなければなりません。あなたの望むものは手に入りません」



 けれど、覚悟もないまま真実を目の当たりにするのは、もっと怖い。



(怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い──!)



 どうすることもできなくて、私は顔を伏せて蹲った。

 頭の中は漂白されるように蝕まれ、心の奥は濁りを増して黒く塗り潰されていく。不意に、誰かに助けを呼ぼうとして、やめる。私のそばにはヤマトしかいない。この子の存在を理由に責めるようなことは死んでもしたくなかった。

 この状況は、どう足掻いても自分の身勝手な好奇心と脇の甘い不注意が招いた、当然の結果だ。祖母への釈明は絶対に避けられない。対話の結果と代償が死であっても、相手が()()()()()であれば、たとえ理不尽なことだとしても妙に納得してしまえる。



(────()()()()



 それでも、と私の中のか細い熱は弱々しくとも訴えている。

 吹けばすぐにでも、何度でも消えてしまうような小さな火種だと思っていた。けれど、その認識は間違いだった。何度消そうとしても、どれほど長い時間無視しても、この火種はついぞ燃え尽きることはなかった。むしろ消そうと躍起になればなるほど燃え上がり、終いには煙が出る始末だ。

 我ながら呆れてしまう。地面にこびりついたガムのようにしつこい諦めの悪さは、どこの誰に似てしまったのだろうか。



「ご主人様」


「……あ」



 白い翼をはためかせたヤマトは私の肩に乗り、まるで寒さを凌ぐような素振りで私の顔に寄りかかった。

 そして、その大きな嘴で私の前髪を払って、口を開く。



「今までも、そしてこれからも──選択は、あなたの味方です。忘れないでください。たとえ、これからどんなに絶望的な未来に進もうと、ヤマトはあなたを絶対に見捨てません。なぜなら、家族はチームだからです。血の繋がりがなくても、生まれた場所が違くても、あなたはヤマトの家族だからです」


「……!」



 励ますようなヤマトの言葉で、私は急速に我に返る。

 それでも、を信じていいのだ。ここで壁を破壊しなければ、今の状況を変えることなどできはしない。そう教えられた気がした。



(……家族)



 ヤマトの言う通りだ。

 ならば、私が選ぶ選択肢は、私が信じたいものは、言われるまでもなく決まっている。

 ──すると突然、ドアの蝶番が軋む音が静寂を裂いた。入ってきた相手が誰かなど、考えるまでもない。



「茉楠」



 先ほどの時間稼ぎが功を奏したかまでは分からないが、序盤の怒気は鳴りを潜めたらしい。調合室に入ろうとする際の威圧感のような空気は、もう感じられなかった。

 しかし、私の名前を呼ぶ静かなその声を聴いた瞬間、もう逃げられないことを頭の隅で悟った。



「……フー……」



 目を閉じて、息を吸って、ゆっくり吐く。両足に力を込めて、倒れないように踏ん張る。

 一歩ずつ足を前に運びながら、私は顔を上げて祖母の前に姿を現した。



「……おばあちゃん」


「やっと出てきたね。アンタ、どうやってこの部屋に……」


「待って」



 私は深呼吸して祖母と向き合う中で──確かなこと、私の中で揺らがない真実を、ひとつずつ数えてみる。

 私は、祖母が好きだ。姉が好きだ。ヤマトが好きだ。今の生活が好きだ。将来は亡くなった祖父の店を継いで、自分が作った作品を売りたい。特別とは程遠い、どこにでもあるような陳腐な夢だとしても、それを自分で壊す覚悟も、誰かに壊される覚悟だって当然ない。世界中の誰に貶されようと、どんなに甘いと揶揄されようと、これだけは誰にも譲らない。

 なぜなら、私の人生は義務で付き合っているわけでも、使命感で行動していることでもないからだ。私がやりたいと望んだことを、やりたいようにやっているだけだからだ。

 相手が魔女で、実の祖母だとしても関係ない。私は祖母を害さないし、祖母に私を害させない。



「おばあちゃん。──私と、勝負をしてほしい!」



 そのためなら、私は震える自分を叱咤してでも、戦うことを選ぶだろう。

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