二〇二四年四月二十五日木曜日 時刻不明 Ⅵ
心臓の上で、ほのかな熱が灯る。
発光源に視線を向ければ、私の胸の中心に青白い光がぼんやりと暗闇を照らしている。
「…………ん?」
何ひとつ見えない暗闇の中、歪な形に削られたブルームーンストーンが淡い光を放っていた。
(これは……おじいちゃんの……)
そこで、私は初めて思いついた。頭の中の靄が晴れて、思考が急速に冴え渡っていく。
私は予備の折り紙を取り出して、淡い光源を頼りに鶴を折る。
「鶴よ、空に浮かべて──照らして」
魔力を込めた折り鶴に、欠けた青い月のペンダントを結んで空へと浮かべた。
何もなかった闇の上空を仰ぐと、月の光を閉じ込めたような煌めきが足元を優しく照らす。こうしていると、本当に月を見上げているかのようだった。見つめていると、狂いかけた精神の荒波を凪にさせるような穏やかさが胸の裡に生まれる。
──少し、落ち着いたと思う。ここに来てからずっと、頭の中に消せない靄のようなものがかかって気持ち悪かった。なんとなくだが、先ほどまでの私はとても危ない精神状態だった気がしてならない。
知覚できない『何か』が内側から首を絞めるように制圧していくような、容易に言い表せない心境に陥っていた。もし、あのまま訳も分からず暗闇に身を沈めていたらと思うと──恐ろしい、考えたくもない。
不安と後悔に塗れた気持ちを一旦切り替えて、私は改めて状況を整理する。決闘が始まってから、何分、何時間が経過したのだろうか。
(そういえば……)
電話をかけて時間が経過したはずだが、肝心の祖母はこの事態に気づいていてくれただろうか。
冷静になって考えてみれば、時間が時間だ。最悪の場合、店のお得意先である絈野さんことキャシー姉さんと長電話している可能性がある。大いにある。だとしたら完全に失念していた。電話ではなくメッセージを残すべきだった。過去一番のバッドタイミングなだけに、あのときの判断が悔やまれて仕方がない。
こうなると祖母のヘルプは望み薄と見ていいだろう。自分でどうにかするしかない。では、どうするか。
──つまり、誰の手も借りずに先生に勝つ。現状の打開策はこれしかない。
(でも、どうやって?)
考えたところで、また壁にぶち当たる。
手数や性能では上回れない。ましてや肉弾戦など論外だ。先生に勝つ方法が分からないからこうやって頭を悩ませて、自分の愚かさに打ちのめされて心身ともに沈んでいたというのに。それなのに、この光が怠惰な私を責めている気がするのはなぜだろう。
──『分からないなら分かるようになるまで頑張り続けなさい。できないならできるまで努力を続けなさい。この程度で諦めるどころか、投げ出して逃げるなんてもっての外でしょう。結果が身を結ぶまで、やり遂げてみせなさい』
そう、言われているような気がした。
(クッソ~!! 言われてるの想像したらすっげームカついてきた……!!)
これは、あくまでも私の中で囁かれる幻聴である。そんなことは分かっている。
頭では分かっていても──それでも、と背中を押されている気がする。
(…………)
それでも、私ならできるはずだ──と、言われている気がする。
(……もう見守ってもくれないくせに。なんつう無責任な)
誰かにいてほしいとき、いつも私のそばにいたのはヤマトか、祖父が多かったような気がする。
私がどれだけ恋しく思っても、祖父は──あの人は、探してもどこにもいないのに。けれど、ヤマトならば──
「ご主人様」
「うわああああっ!!?」
ホラー映画もかくやの悲鳴が澱んだ空気を裂いた。
急に背後から耳元で声をかけられて、私は情けなく倒れ込む。硬直した体が土砂のように崩れるが、どうにか持ち直して聞き慣れた声のする方へ振り返った。
「え……え?」
「拘束の鎖の機能により、機体の再起動に時間がかかりました。改めて、お助けするのが遅れて申し訳ありません。ご無事でよかったです」
「ヤ、マト……」
私の身を案じるヤマトの声を聞いて、先ほどまで潰れかかっていた喉が熱を伴って震える。
元のサイズまで縮んでしまったヤマトを見て、どうしようもなく泣きたい衝動に駆られた。ヤマトがそばにいてくれた安堵と、自分に対する情けなさが混淆して、情緒が不安定になる。
姿を見かけないのですっかり思い違いをしていたが、どうやら元から同じ空間に放り込まれていたらしい。
──そうだ。まだ、私にはヤマトがいるではないか。おちおち躁鬱になどなっていられない。
気持ちを切り替えて、私はヤマトの頭を優しく撫でた。
「ヤマト、さっきは助けに来てくれてありがとう。こんな状況じゃ心強いよ」
「もったいなきお言葉」
「何それ騎士? ……それにしても、ここどこなんだろう。『獄死』? ……の魔法の中、なんだよね?」
「慧眼です。ここは『獄死』の魔法が構築した出入口の存在しない、空間隔絶結界『無間牢獄』──の最上層、無限収納空間です。この空間に留まっていられるのは、『獄死』の魔女ことヴィルヘルムがご主人様の実力を下に見て手を抜いており、なおかつ殺す気はないからです。ラッキー。真のチキン野郎とは彼の称号です」
「へ~詳しいね……?」
やたら流れるような詳細を語ってくれるヤマトの話に相槌を打つ。
そして──最後まで聞いてようやく、私は事の重要性に気がついた。
「……って!! 知ってたんなら事前に教えといてよ!! 遅いよ!! なんで閉じ込められた今言うの!!?」
「申し訳ございません。『獄死』の魔女の態度にカッとなってつい、やってしまいました」
「あ゛あ゛~やっちゃったかァ~……人間より人間してるよそういう風に成長したんだろうけどさァ、も~……ちょっと待って、整理するから」
ヤマトの悪びれもしない返答に頭を抱えそうになったが、同時に奇跡的な朗報も得た。
ヤマトからもたらされた情報が確かであれば──本来であれば脱出不可能な初見殺しの魔法だが、簡易な術式に留まっているおかげで脱出できる可能性が高い。つまりはそういうことらしい。
しかし、難易度が不可能から可能に変わっただけで、肝心の脱出方法など見当もつかない。希望の光は夜空に輝く星のように遠く感じる。
それでも、黙り込んだまま終わりのままではいられない。決闘は、まだ終わってなどいない。
「そしてご主人様、あなたはこれから死んでしまいます」
「このノンデリ! 人が真面目に考えてんのにトドメ刺すみたいに言うなー!」
「ただし、何もしなければ死ぬでしょう」
「……ん? え? 何それ。ど、どういうこと? まさか、ここから出られる方法があるの?」
ようやく立ち直ったところにデリカシーの欠片もないヤマトの発言で水を差されて思わず食ってかかったが、後半の発言で容易に手の平を返す。
考えてみれば単純なことだった。ヤマトは『獄死』の魔女の能力について事細かな情報を搭載されている。であれば、魔法の弱点が何であるかも当然熟知しているはずだ。
そんな大事なことはもっと早く言ってほしかったものだが、先生がこちらに介入してこない様子を鑑みるに、むしろ閉じ込められただけのこの状況こそがラッキーだったと考えるべきだ。
正直に言って、私は戦闘中に長時間の並列思考ができるほど頭が器用でもなければ、要領もよくない。
しかして人間、考える時間と場所さえあれば、ある程度対策は立てられる生き物だ。加えて、私は先生と違ってひとりで戦うわけではない。
「ヤマト」
「はい」
ならば、私がここで考えるべきは勝算しかないだろう。
「知ってるなら全部教えて。私──あの人に勝ちたい! 絶対に!」
私は今までになく強気な態度で、はっきりと意志を口にした。
力量差は歴然、されどやることは瞭然。絶望的な状況だが、まだ何も終わってはいない。少なくとも、先生のにやけ面に一発だけでも分からせるまでは、何が起ころうと止まる気は毛頭なかった。
人によっては無謀にも思える考えを変えることは不可能と悟ったのか、黙り込んだヤマトは佇まいを改めるように私の前に向き直る。
蒼白の光に反射した赤い瞳を瞬かせて、ヤマトは嘴を開く。そして、出会ってから十三年来の家族であり親友は──
「では、ヤマトを解剖するのです」
「──なんて?」
──いつもの調子で、出来の悪すぎる冗談のようにそう告げたのだった。
次回の更新日は一月十一日の予定です。よいお年を。




