表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/104

二〇二四年四月二十五日木曜日 時刻不明 Ⅳ

 先生は、一瞬だけ伏せられた顔を上げた。



「──ああ、そうとも。卑怯者になる前に、私は真っ先にあの人に伝えるべきだった」



 さらに逆上するかと身構えていたが、意外にも諦めに似た肯定の意を返された。

 かなり、自分でも言われて嫌なことを言ったつもりだった。普通なら、怒るか悲しむ。けれど、彼はそのどちらでもない。まるで、過去に誰かに指摘された経験があるのか、あるいは自分に対して言い聞かせ慣れているかのような、そんな印象を受けた。

 いたって冷静で凪いだ眼差しを向けられて、思わず足を止めてしまうほどに。



「ただ、君にはひとつ言わせてほしい。君の当たり前が誰かの当たり前だと思わないでくれ。その考え方は先入観以外の何物でもない。人にできないことがさも当然のようにできる人間もいれば、取るに足らない簡単なことができない人間もいる。もっと想像力を働かせることができれば、救いようのない馬鹿でも理解でき──いや、それができたら世界はもっと平和だろうな」



 諦め混じりに皮肉めいたことを言って、先生は仕切り直すように足を鳴らした。



「Konfigurieren, sandwolf」



 静かに唱えられた呪文を皮切りに、地面に撒き散らされた砂が集まり出した。

 蟻地獄のごとく砂が蠢き、次第に形を成していく。自動再生で作り上げられていく砂彫刻を前に、私はその美技にまんまと見惚れた。秒ごとに足が、胴体が、頭が構築されていく。

 その形は、まるで。



「砂の、犬……!」


「狼だ。犬は好きだが、わざわざ戦場にまで繰り出す趣味はない」



 聞こえるはずのない重複する唸り声とともに、砂の狼たちが立ちはだかる。

 本能が威嚇を恐れ、体は距離を取ろうと慌てて後退した。



「私を卑怯者だと思うなら、そう思えばいい」



 熱の引いた、淡々とした声が響く。



「このチャンスを逃せば、二度目の機会は訪れない。だから、私は──」



 小声で何かを呟いた瞬間、地面に散った砂が巻き上がり、空を覆うように砂の檻が組み上がる。

 閉じ込められたことを理解するのに数秒遅れた。すぐさま破壊しようと短剣を振り下ろす。しかし、砂とは思えない強度で容易く弾かれた。

 諦めず再度破壊を試みようとしたが、突然目の前を砂が妨害して思わず仰け反る。軌道を目で追えば、不規則なピンボールのように砂の柱が私の行く手を阻もうとした。

 まさに四面楚歌。前門には狼、後門には檻。理詰めで追い詰められるチェスの駒になったような気分だった。

 畳みかけてくるようなタスクの追い打ちに、一手ずつ選択肢を迫られる。手堅く確実に取れる選択肢を潰されて、後手に回されているうちに視界が傾いた。



「うっ!?」



 背後から何かに足を取られたらしい、私は成す術もなく前傾に倒れ込む。

 猛烈に強打した両方の膝小僧に苦しみながら振り向くと、どうやら背後の砂に両足を拘束されて、引っ張られた拍子に膝を付かされたようだ。

 砂で象られた狼たちが、弱くなった獲物を見下ろしている。噛みついてこちらをさらに弱らせる腹積もりだろう。野生の小動物が抱くであろう恐怖心を思い出させるような光景に、背筋が震えた。

 パワーで上回ることはできない。スピードでは一生追いつけない。退路は失われ、身動きすら取れない。



(──あ、これ詰んだ)



 しかし、裏を返せばこのタイミングこそが分水嶺である。

 ついに、祖母が譲ってくれたタトゥーシール──『再三偽印(スリーチャンス)』を使用するときがきた。

 祖母曰く、元々は魔導公安機関発足()()の魔女たちが、後継となる優れた弟子を選定するために作成した、いわゆる「魔法のお試し利用権限」なのだそうだ。

 本来、魔女の弟子はそれぞれの魔法の特性や所持者の事情など、さまざまな理由を加味した上で選別されるという。たとえば、『夢死』が重視するのは家系や優秀さではなく、あくまで魔法を扱う本人のセンスで選ばれるらしい。

 話の真偽はともかく、ここまでそのキリングカードを温存──もとい、もったいなさすぎて使いどきを見失っていたままに──してきた。しかし、援軍も望めずろくな反撃もできず、かつ拘束された現状では今こそが使いどきだろう。



(でも、こんなとこで狼の餌になってやる義理はない!)



 私は右腕を掲げ、祖母に教わった起動の呪文を口にした。



再三偽印(スリーチャンス)、起ど──」



 叫びかけたそのとき、どこからともなく突風が吹き荒れた。

 一撃、二撃と台風並みの強風に吹き飛ばされそうな体を猫のように丸めて、その場で耐える。薄っすらと横目で確認してみれば、砂の檻は外部の突風に押し流され、四方八方に飛び散るように吹き飛ばされていく。

 ようやく風が止んだのを確信し、おそるおそる顔を上げてみると──



「あ……」



 ──見慣れすぎたというには、見る影もなく巨大化した()()()()()が、そこにいた。



「なんだ!? 白い……巨大な鴉!?」


「っヤマト!!?」



 間違いない。私のそばに降り立つ巨大な白い鴉は、ヤマトだった。

 おそらく、いつも帰宅しているはずの時間帯に待てど暮らせど帰ってこない私を不審に思い、探しに来てくれたのだろう。

 白くて大きくて美しい片翼が、私を守るように優しく寄り添ってくれた。温かくて、少し安心する。



「警告です、デューラー家の末裔にして最新の当主よ。ただちに武装を解除しなさい。さもなくば『夢死』の魔女への敵対行為とみなし──大いなる古き女王との盟約に基づき、あなたを処罰します」



 機械的でいて敵意に満ちたヤマトの声が、先生に向けて発せられた。

 周囲の砂を丸ごと吹き飛ばされ、ゼロから仕切り直された戦況。加えて頼もしくなった味方。明確に、風向きが変わった瞬間だった。



「……っ横槍を入れたところ残念だが、これは双方の合意による決闘だ! 断じて敵対行為ではない!」



 今まで守っていた右腕を下ろし、ヤマトを睨みつける先生が苦し紛れに反論する。



「それとも、直筆の契約書を見せた方が君の理解は速いか? 命を奪うようなこともない。疑うのならば君も参戦すればいいだろう! こちらは二対一でも問題ない!」


「……契約の追記を要請。主たる鈴木茉楠の勝利が確定した瞬間、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「? ……好きにすればいい。鈴木、構わないな?」


「あ、はい。分かりました」



 流れるように自然な布石を打たれ、私は同意すると同時に心の中で舌打ちした。

 一見こちらが有利になったように見えているが、本来の目的である「祖母への警告および救援」の手堅い一手が叩き潰されてしまった。これはヤマトが合理的判断による最善よりも、私を助けるという感情的判断を優先した結果である。真っ先に助けに来てくれたことを喜んでしまったので、一概に責めきれない。

 感情と理性の狭間で葛藤する私を置いて、戦いの流れは目まぐるしく変わっていく。

 


「使い魔──いや、自律思考型の自動機械人形(オートマタ)か。(あるじ)の身の危険を察知して私の知覚外から奇襲を仕掛けたつもりだろうが……合理性に欠けた浅知恵だな」



 怒りを滲ませた文句を呟いたかと思えば、突然何かを思い出したような表情を浮かべて続ける。



「そういえば……私の家に相伝された魔法を、まだ君に教えていなかったな」


「……え」


「いい機会だ、その小さな目を開いて確かめてみるといい。──『獄死』の魔女に与えられた、悍ましい魔法の一端を」



 そう言った次の瞬間──空間が爆発したかのような錯覚を覚えた。

 我ながら爆発とは言い得て妙である。瞬間的に弾け飛ぶような魔力の発露、()()()()()()で背筋に悪寒が走った。威圧感だけで人を圧し潰せてしまいそうな衝撃が、骨を軋ませる。

 先ほどの魔術の行使とはとても比較にならない、空間そのものを飲み込むかのような魔力の膨大さに、恐怖と眩暈でまんまと精神を制圧されてしまっていた。



「Bereich festlegen, Durchmesser zwanzig Meter. Verbinden Schicht, Von der nullten Schicht bis zur ersten Schicht.」



 怜悧で、精確で、端的で、極力無駄を排斥したような詠唱が、淡々と響く。

 私が手を動かそうとしても遅かった。魔法の成立を止める暇さえ与えてもらえないほど、速い。



「──Tor öffnen!」



 高らかに唱えられた呪文に続いて、私たちを囲むように暗闇を象ったような『()』が展開された。

 身の毛もよだつ気配に、振り返る。それは、未だ見ぬ地獄へ至る門か。あるいは、獲物の咀嚼を待ちわびる巨大な獣の(あぎと)を彷彿とさせた。


 光の存在を許さない『扉』の中から、大量の『鎖』が飛び出す。


 『鎖』を視認した瞬間、心臓が絞めつけられるほど縮まり、本能が警鐘を鳴らした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「────逃げろ!!!!」



 走り出したときには、すでに声高に叫んでいた。

 闇に背を向けた瞬間、勢いよく首を掴まれる感覚に反射で喉が締まる。駆け出した体がその場に引き留められた。



「──ああ、クソッ」



 唐突に頭の中に捻じ込まれたようなデジャヴに視線を向ければ、そこには『鎖』が巻き付いていた。

 振り解こうと藻掻(もが)くが、まるでびくともしない。むしろ抵抗すればするほど、口を、首を、腕を、足を大蛇のように絞め上げてくる。これでは奴隷どころか、拷問の瞬間を待つ囚人のようだ。

 これで自分の勝利を確信したのか、ここぞとばかりに先生は口を開く。



「真っ先に逃げようとした君の判断は正しい。それも遅きに失したようだが」



 それは相手を評価しているようでいて、暗にヘマをしたこちらを嘲笑うような言葉にも聞こえた。



「身をもって理解してもらえたようなので、少し種明かしをしておこう。見てもらった通り、『獄死』とは()()()()()()()に特化した魔法だ。この能力により、我が一族は守護と門番の役割も課されている」


「……」


「そして、()()()は私ですら実態を把握できていない領域がある。術者が直接確かめる術はないが、君であれば可能だろう」


「……!?」



 打って変わって穏やかな声音と同時に、縛られた体が背後の『鎖』に引っ張られていく。

 体が宙に浮いた。それでも前へ手を伸ばす。もはや抗うことすら許されない。それでも手を伸ばす。苦しむような鴉の鳴き声が虚しく響く。それでも踏ん張る。

 それでも。それでも。



「〰〰〰〰覚えてろ卑怯者っ……!!」



 それでも我慢ならなかった私は、拳の代わりに捨て台詞を先生に投げつける。

 暗闇に微睡(まどろ)む意識とともに、光が彼方へ遠ざかっていった。











「……お手並み拝見だ、小さい魔女。根比べで大人に勝てると思うなよ」



 微笑みとともに呟かれた言葉が、どこかで聞こえた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ