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二〇二四年四月十二日金曜日 午前十一時四十五分

 ついに、例の時間がやってきてしまった。



「ヤバいヤバいもう次ロゼ公の授業だよどうしよ~!」


「私生まれて初めて予習とかしたわ。こんな気持ち初めて」


「ガチじゃん。怖……」



 いつもより騒めく教室では、主に女子たちの内緒話が四方八方に飛び交っている。

 ある女子はしきりに手鏡の前で髪型を確認したり、ある女子は恋人との初デートの前のごとく入念にメイク直しをしていた。至極平和で自由な光景である。

 授業の合間の休み時間だというのにやけに緊張感漂う教室の中、前方右斜めに着席してスマートフォンをいじっている真理愛の肩を指先で叩いた。



「んー? どーかした? 教科書忘れた?」


「んーん、違くて。例の先生の評判って何か聞いてたりする?」


「あーね。そういや莉緒がさー授業中緊張しすぎて喉カラッカラで、内容ほとんど頭に入ってこなかったって言ってたわ」


「え、あの瀧村さんが? そんなに難しい授業だったの?」


「いやァどーだろ? 授業の難易度よりロゼ公が放ちまくるプレッシャーが問題なんじゃね? いかにも神経質っぽいじゃんあの人。まーそこがいいんだろーけど」



 そこいらの女子と同じく、初日からイケメンの新米教師に興奮していた割には冷めた態度で語る真理愛の所感を得て、私は多少浮ついていた思考を改めた。

 同じ手芸部に所属する同学年の知り合いがそう言うということは、今日から一年間はこの張り詰めた空気のまま授業を受けなければならないということだろう。



(シンプルに嫌すぎる。英語の成績は良かったのがせめてもの救いか……)



 授業開始五分前、不安と好奇心の狭間で悶々と待機していると噂の先生が教室に足を踏み入れてきた。


 彼が入ってきた次の瞬間、半数以上の女子たちが黄色い悲鳴を殺しながら色めき立つ。


 ハーフアップにまとめられたセミロングの金髪、切れ長なライトブルーの瞳、彫りの深い中性的な顔立ち、白い肌、高い身長。それら素材の良さを塩梅よく引き立て、彩るようなブルーのスーツとベスト。さらに落ち着いたボルドーカラーのネクタイは、色合いと光沢がとても美しく、生地からこだわっているのが手に取るように分かり、全体的な完成度の高さに思わず唸る。──なぜか腰に取り付けられている謎の袋も目に入ったが、はたして私物なのだろうか。

 小さな疑問はさておき、どの要素を取っても高水準な男性であり、俳優業をしていると言われても納得できるような出で立ちだった。



「──おお」



 彼を見て、私も思わず驚嘆の声が漏れた。

 なるほど、確かに人目を引かざるを得ない、頭から爪先まで整いすぎた容姿をしている。真理愛が興奮冷めやらぬ様子で語彙力を失くすのも無理はないと思えた。

 教卓にプリントなどの教材を置いて準備している間に、時計の針は授業開始の時刻を指し示す。比較的真面目に授業に出席する生徒が多い私のクラスは、すでに全員が着席していた。



「Hello, everyone」



 はっきりと聞き取れるクリアボイスから、お手本のような英語の挨拶が静寂を打った。



「改めて、ヴィルヘルム・D(デューラー)・ローゼンタールだ。今日から一年間、君たちに英語を教える立場になった」



 清澄さすら感じられる声に、その場にいる全員が尻込みする空気を気にも留めず、先生は続ける。



「よろしく」



 教師にしては無愛想極まる仏頂面で淡々と自己紹介を終わらせてから、ローゼンタール先生はコピー機で量産したプリントを手に取って、配り始めた。











「──と、ちょっと茉楠! ウチの話聞ーてんの!? まさか気が遠くなるくらいしつこかった!? ごめんて! お願いだから早く戻ってきてー!」


「え? ああうん、授業はめっちゃ分かりやすかったよね」


「全っ然違う! 確かに分かりやすかったけど違う! そうじゃなくて、授業の内容じゃなくてロゼ公のこと! 何、ずっと黒板見てたわけ!?」


「むしろ黒板以外の何を見ろと……」



 昼休み、私の机に持参したパンとカフェラテを叩きつけながら真理愛が叫ぶ。

 後半の主張はともかく、真理愛も認めている通りローゼンタール先生の授業はとても分かりやすかった。

 次回から本格的に授業を開始するためか、事細かく記載された一年間の範囲表を配布してから大まかな授業方針を説明した後、前学期のおさらいとして比較的簡易な単語テストの解答から自己採点まで、さらに予習課題を提示して本日の英語は滞りなく終了した。

 懸念していた授業内容の予想は良い意味で裏切られたと言える。丁寧かつ簡潔、無駄のない理路整然とした授業運びを見せられて、私だけではなく一部のクラスメイトも呆気に取られていた。

 問題だったのは、こちらを──というより、なぜか私を親の仇とばかりに睨みつける、あの()である。



「茉楠、ホントに大丈夫? さっきからなんかずっと怯えてない?」


「……」


「確かにあの人、無愛想だったしお高くとまった感じはしたけどさーそこまで怖がる必要はないじゃん? ……まさか、知り合いだったりする?」



 彼の視線の意図を自意識過剰の一言で片づけられるのであれば、元より疑問を抱いたりなどはしない。

 感じ取れたのは、明らかな()()と少しばかりの()()。冷たく、それでいて感情を押し殺し、こちらを射殺すような鋭い視線を思い出すたびに、背筋が少し震えた。



「……だって」


「?」


「あの人授業中すごいガンつけてくるんだもん怖いよ……何もしてないはずなのになんで私だけ……?」


「ガンて。ヤンキーじゃあるまいし……まー確かに目つき凄んでたけどさ、睨まれるような心当たりないわけでしょ? 初対面なんだよね?」


「うん……ない、と思う。多分」



 真理愛にありのままを話した甲斐もあって、私の記憶も粗方整理がついた。

 結論から言うと、先生との面識はまったくない。当然身に覚えもなく、既視感もない、皆無だ。別人を疑うレベルで豹変しているならまだしも、過去に出会った相手であればいろいろな意味で目立つ彼を忘れようにも忘れないだろう。



(だとしたらおじいちゃんの知り合いとか……? でもそんな話、一度も聞いたことないし……)



 この場で出ない解答に何度考えを巡らせても埒は明かない。

 家に帰ったら入念に顧客リストを確認しよう。なんとなく無駄足で終わるような気もするが、気休めが必要な時もあるはずだ。

 迫る五時限目が来る前に、食べ終わった気がしない昼食のごみを捨てようと私は席を立った。

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