二〇二四年三月三十一日日曜日 午前十一時四十二分
「……え、ってことはまさか」
「まさか、醍醐の前任者が『F=LieHigh』のオーナーだったとは……大物すぎる。これはさすがに本部に一報入れんとな。ったく、今年は厄年かよ。いい加減お祓い行くか……?」
疲れ果てて天を仰ぐ有島さんの言うことも確かに驚きなのだが、それ以上に愕然とする事実が私を放心させた。
『F=LieHigh』のオーナーでもあるリトル氏が魔法を手放したということ、もはや疑いようがない。ということは、魔法とともにカジノの相続権を瑛ちゃんに託したということに他ならないのではないか。
それが何を示すのか、確証に成り得ることは言えない。祖母の見解では、リトル氏は瑛ちゃんを魔女の後継にする気はなかったはずだと言っていた。
リトル氏の人となりは何も分からないが、自分が一角の魔女である以上、相手が誰でもよかったはずはない。初めから弟子の存在を想定していなかったとするならば──考えられる可能性はひとつ。一年前、何かやむを得ない事情で、他の誰でもない瑛ちゃんに魔法を継承させなければならない何かがあったとしたら、辻褄は合わないだろうか。
しかし、これはあくまでも私の推測でしかない。事実を確かめるのは、リトル氏の友人である瑛ちゃんがこれから決めることだろう。
「だったら──だったらなおさら、会いに行かないと」
支配した静寂を断ち切ったのは、瑛ちゃんの決意に満ちた声だった。
「んでもって、魔法? とやらもリトルさんに突き返すッス。身に覚えのない資産貰っても何も嬉しくねェし、それよかまた一緒にゲームしたいッス! 去年からずっと積みゲーしてるんスよこっちは! こうなったら意地でも探し出してやるッス!」
(──マジかこの人)
瑛ちゃんならではの独特な価値観というか、いっそ清潔すぎる無欲さに私は啞然とした。
人の限界を超えた能力をいらないの一言で一蹴してしまえる誘惑に対する心の強さ、精神力が逸脱している。なんでこの人はこの街で占い師なんてやっているのだろうか。
神秘や魔法なんて一般人からしたら厄ネタもいいところなのだろうが、それにしたって即決すぎる。もっとよく考えて──考えた結果この結論だとしても──考え直してもよいのではないかと思ってしまう。
というか、おそらく彼女は根本的なことを何も理解していない。でなければこの発言は出てこないだろう。
「つーわけなんで、とりま韓国行って当面の旅行費荒稼ぎしてくるッス」
「あ、行くとこもう決まってるんだ……なんで韓国?」
「近いし安いしカジノあるから!」
「ハングル文字とか読めたの?」
「いやまったく。でも翻訳機あればなんとかなるっしょ!」
ポジティブなのか向こう見ずなのか、今までとは比べ物にならないほど危険が多いにもかかわらず、彼女の顔は喜色に満ちていた。
彼女といると、今まで見えていなかったものもたくさん見えてきて、不思議と活力を貰えるのだ。どことなく、真理愛の闊達さを思い出させるからだろうか。
いよいよ新天地へ行く気満々の瑛ちゃんを止めることはできないと判断してか、有島さんは冷めきったコーヒーを口に運んでから、口を開く。
「おい醍醐、間違ってもインターネットカジノにはハマるなよ。最近違法オンラインカジノへの日本からのアクセスが馬鹿みてェに増えてっから、そこまで手ェ出されるといよいよ助けてやれねェからな」
「あーあれッスね、去年歌舞伎町で摘発されたやつ。言われずとも、博打は生身でやるに限るッスよ! オンラインで負けが込んでブツ切りとかクソシャバい真似、この身に誓ってしないッス!」
「お、おう……せいぜい身ぐるみ剝がされんように立ち回れ。魔女が警察の世話になるとか世も末だしな」
内容が内容なだけになかなか笑えないジョークを口にした有島さんに、瑛ちゃんは強かに笑ってみせた。
何とも表現しがたいが、彼女はここ数日でとても経験値を積んだ大人のような、一皮抜けたような面持ちをしている。自分の手で夢を叶えるために生まれ育った国を出る人の顔は、ここまで晴れやかなものなのだろうか。
私が瑛ちゃんの顔を不躾に見つめていると、彼女は右手を差し出してきた。当然、私も右手で応じ、互いに健闘の握手を交わす。
「マーちゃん先輩。また連絡するッス」
「うん、体調には気をつけてね」
「有島さん、今回は世話ンなりました。いつかまた会えたら、そんときは奢らせてもらうッス」
「おう。達者でな」
有島さんに深く一礼すると、瑛ちゃんは晴れ渡った空を彷彿とさせるような爽やかな表情で、彼女は笑った。
「ッス。ほんじゃまふたりとも、このご恩は必ず、いつの日か返すんで! 行ってきまーす!」
「行ってらしゃーい」
別れを惜しむような気持ちは一切なく、あたかも近所のコンビニに行くような調子で瑛ちゃんはサムズアップして颯爽と去って行った。
ドアを抜けていく彼女の見えない背中を手を振って見送ったところで、私は振り出しに戻ろうと口を開く。
「……すみません、結局何の話でしたっけ?」
「ああ、そうだった。そうだったな……ここからが本題だ。ありのまま、正直に答えてくれ」
「は、はい」
ある種のハプニングによって早々に出鼻を挫かれてしまったが、ここまで来て何も聞かないわけにもいくまい。
覚悟を決めたのか、有島さんは真剣な顔でまっすぐにこちらを射抜いてきた。
「あの人……紅ねえのことなんだが、あれから大丈夫なのか?」
「……え?」




