二〇二四年三月三十一日日曜日 午前十一時三十七分
「んなっ、醍醐!? なんでここに」
「マーちゃん先輩からここにいるって連絡あったんで、急いで来たッス」
「すみません有島さん。言うの忘れてました……なんか急ぎの用事らしくて、今日は有島さんといるって返したらすぐ向かうって返されました」
「用事? ってことは俺にもだよな。急ぎってのは何だ、醍醐」
──今日の午前八時頃、未だ布団の中でぬくぬく微睡んでいたとき、朝一で突然瑛ちゃんから連絡がきた。ふにゃふにゃの口と寝ぼけまくった頭でありのままの予定を話せば、断る暇もなく通話を切られてしまったので、今の今まで思い出すことができなかったのである。割と恥ずかしいのでできれば思い出したくはなかった。
静謐かつ和やかな空気を即刻切り上げて、私と有島さんは揃って瑛ちゃんの緊急の話に耳を傾ける。
「えーと……実はこのたび、友達の行方を捜しに旅に出ることになったんで、その報告ッス」
「旅ィ? また急だな。その様子だと、すぐ発つのか?」
「ウッス。家族は長時間説得して折れてもらったんで、もう勢いのまま行っちゃおうと」
「友達って……まさか、リトルさんを探しに?」
「そうそう。いろいろ片づいてから何度も連絡してみたんだけど、さすがに音信不通となるとスルーするわけにもいかなくって。占いの武者修行がてら探しに行ってみようかなーと」
いつものような軽い調子で言っているが、彼女の言う旅は世間一般で連想するところの観光旅行ではない。
それが魔女絡みの内容であればなおさらで、タシの一件のような冗談でも笑えない事件に巻き込まれたりする可能性は大いにあるのだ。
しかし、ただ事例のある危険性を伝えたところで、目の前の彼女が止まるとも思えない。ましてや、彼女の友人であるリトル氏が行方不明になっている。否が応でも瑛ちゃんはこの国を飛び出していくだろう。
新天地に物怖じしない度胸、コミュニケーション能力、バイタリティ、フットワークの軽さは彼女だからこそ成せる業である。本人が決めたことなのだから快く送り出してやりたい──のだが、私には危惧すべき重要なことに直面していた。
(……どうしよう。ここで言うべき? その人はもう亡くなってる可能性が高いって)
しかし、祖父と祖母の例もある。瑛ちゃんとリトル氏が直接会ったのは一年前。魔法の継承から年単位が経過しているとはいえ、まだ希望はあるかもしれない。
一抹の不安を抱えさせてでも忠告すべきか、一縷の望みを賭けて送り出すべきか。──目の前にいる彼なら、どちらを選ぶのだろう。
「いろいろ思うところはあるが……連絡先はあることだし、お前がもう決めてんなら俺に止める気はねェよ。ただ、見つかる当てはあるのか?」
「当てというか、可能性が高い場所がひとつだけ。マーちゃん先輩」
「な、何?」
「これあげるッス。リトルさん曰く『この名刺が読める友達にあげなさい』って。オレはもう一枚持ってるから」
「あ、ありがとう。名刺が読める……?」
謎のアドバイスが気になるところだが、私は瑛ちゃんからおそるおそる名刺らしき紙を受け取る。
しかし、いくら表面を見つめても、あるいは裏面を見ても何も記載されていなかった。
──私は一度、同じような現象を体験したことがある。瑛ちゃんにこの名刺を渡した相手が魔女であれば、これは魔術による迷彩が施されているに違いない。
試しに、あのときと同じように私の魔力を手元の紙に流し込んでみる。すると、こちらの魔力に反応したのか、光が電流のように駆け巡り、ゆっくりと文字が浮かび上がってきた。
おそらく、名刺に刻まれた単語は店か人の名前を意味するものだろう。しかし、それが何を意味するのかまでは理解に及ばなかった。
「えっと……何だこれ? F、イコール……にしては長いな? え、価標? と……嘘、高い? ……何これ謎かけ? それとも単語を繋ぎ合わせただけかな。意味は──」
「──ちょっと待て。今なんつった?」
「え? 多分ですけど……音だけを読むならフライハイだと思います」
「貸してくれ」
言われるがままに名刺を差し出すと、有島さんは睨みつけるように目を細めて、続けた。
「……間違いねェ。『F=LieHigh』っていやァ、フリーランスの魔術師たち御用達のカジノの名前だ。またの名を『遠望郷』! まさか本当に実在すんのかこの店!? いや、待て待て……醍醐、これをどこで手に入れた!?」
「え!? いや、フッツ―にポンって貰っただけなんスけど……これ、ただの名刺じゃないんスか?」
「馬鹿言え! ……ああいや、そうか、そういうことだったのか! だとしたら醍醐の魔法なんざうってつけすぎるじゃねェか! なんでもっと早く気づけなかった、俺の馬鹿野郎!」
とうとう自分に対して罵倒し始めてしまった有島さんの様子に、私と瑛ちゃんは首を傾げながら顔を見合わせる。
謎の興奮具合と訳知り顔をして唸る有島さんの苦々しい表情に訳ありと察し、私は興味本位による深掘りを試みた。
「しっかし、会員の紹介がなきゃそもそも入れねェときた……道理で誰も教えねェわけだよ。情報規制は徹底してやがる。さすが、お膝元なだけはあるな」
「有島さん、それってそんなに有名なカジノなんですか? というか魔術師にフリーランスとかいるんですね」
「有名っつうか……ああ、そうか。お前たちは知らないのか。じゃあこの際だから覚えとけ、特に当事者の醍醐はな」
「な、何がッスか?」
「風の噂じゃこのカジノ、魔女がオーナーをやってるって話だぞ」
続けられた有島さんの爆弾発言に、私たちは揃って耳を疑った。




