二〇二四年三月三十一日日曜日 午前十一時三十三分
麗らかな春の午前の陽射し──を徹底して避けるように、現在私は有島さんと優雅なティータイムに勤しんでいた。
「すまねェな、姫さん。春休みの最中だってのに付き合ってもらって」
「いえいえ、有島さんにはタシを預かってくれた恩もありますし……というか、いい加減その呼び方変えません? 普通に名前でいいですよ。名字はお姉ちゃんと被ると思うんで」
「そ、そうか? じゃあ次からそうさせてもらうが……その、改めて悪いな。鈴木のこと、提供できる情報が何もなくて」
「いや、上司の有島さんに分からないんじゃ他にどうもできないんで……気長に待ちます。すみません、無茶言って」
「……消息が分かったら、すぐ連絡を入れる。大丈夫だ、あいつは優秀だからそのうちひょっこり戻ってくるさ」
近所を少し歩いた先の繫華街から外れた個人経営の喫茶店で、私たちは奥まった席で向かい合いながら雑談を交える。
昨晩、有島さんから今日の予定を聞かれたときは目を見張ったが、頼られていることは文面から察することができた。どうやら祖母にも聞かれたくない内容だったようで、人の目を避けるように知る人ぞ知ると主張せんばかりの隠れ家的この店に来ることになったのである。
BGMとして流されているピアノの音色が、運ばれてきたホットコーヒーとアイスコーヒーの印象をより格調高くさせている──ような気がした。飲み物ひとつ取っても、演出は大事にすべきだと個人的には思う。
上昇する期待感を胸に、有島さんの奢りで頼んだアイスコーヒーを一口頂く。コーヒー豆はインドネシアのスマトラ島で生産される、高品質で好評価と呼び声高いマンデリンを選んでみた。
──アイスコーヒーならではの香り高さと苦味の強さ、透明感のあるすっきりとした味わいは私好みだった。新鮮な豆を細挽きしたからこその味の深み。抑えられた酸味と上質な苦味と味の濃さは深煎りの特徴だ。アイスコーヒーに最適とされる焙煎度合いはフルシティ、これは見事大当たりと言っていい。アイスピックで整えられた氷にもこだわりが感じられる。
たった一口で満足感を得られたところで、私は意を決して有島さんに訊ねた。
「それで、今日はふたりきりで話があるとのことでしたが……手ぶらで来ちゃったんですけど、本当に大丈夫ですか?」
「ああ、問題ねェ。今日はこないだみてェな危なっかしい案件でもないからな。つうか、あんたに万が一のことがあってみろ。真っ先に俺がババアにブッ殺される」
(多分比喩じゃないんだろうな……)
真顔で言い切ったところを見るに、祖母による扱いの厳しさは今も昔も変わらないらしい。
「そういえば、おばあちゃんとは幼馴染みなんですよね。歳も離れてるって聞きましたけど、どういうご関係か聞いてもいいですか?」
「ご関係って言われるほど大層じゃねェ。あの人は浅草に構えてた茶店のひとり娘で、俺はその常連客の子ども。俺ァガキの頃は引っ込み思案だったのもあるし、家が近所だったのもあったし、親同士の仲も良かったからよく弄ばれ……遊んでもらったよ」
「なるほど。たとえば?」
「『今日一日中アタシの下僕だから、アタシの言うことは絶対よ!』とか言われて近所の川行って飛び込みさせられたり、公園なんぞに行った日にゃァブランコで二人乗りして大車輪百回とか序の口だったな……何度悲鳴を上げさせられたか……」
「心中お察しします」
公園のブランコで大車輪がよほどトラウマだったのか、次第に顔を青くさせた有島さんに私は祖母に代わって頭を下げた。
鳴りを潜めて多少丸くなったとはいえ、祖母は幼少期からお転婆で勝気な女王様気質だったらしい。有島さんが尻に敷かれる様子が目に浮かんで、ちょっと涙が出た。
こちらの想像に反してかなり大人しい少年時代を送っていたらしい。すべてが本意ではなかったところを察するに、有島さんの付き合いが異常なほど良すぎる。友達と呼べる存在がいなかったのか、はたまた祖母に何か弱みでも握られていたのだろうか。
「と、ところで話っていうのは!? おばあちゃんに内密ってことは、もしかしてプライベートなあれですか!?」
話を脱線させた上に過去の傷を掘り返してことを後悔し、私は慌てて話の軌道を戻そうと躍起になって声を上げた。
「そ、そうだな。そんで、聞きたいことっていうのは」
「あ、いたいた! ふたりともー! 歓談中失礼するッス!」
周囲の客が私たち以外いないこの空間で、新たに現れた特徴的かつ親しみのある喋り方が耳に届く。
聞き慣れた声に振り返れば──なぜかバックパッカーのような出で立ちをした瑛ちゃんが手を振って現れた。




