二〇二四年三月二十九日金曜日 午前十二時十分
本日はお日柄もいい──わけもなく。残念ながら生憎の雨天であるが、午後から晴れるという天気予報を信じるしかない。
それはともかく、待望の店内に入ってしまえば雨のことなどすぐに吹き飛んだ。普段入り浸るようなレストランとは格の違いを感じざるを得ない、清潔感溢れるシックなチャイニーズテイストのレイアウト。周囲には思わず目を惹かれるような美しい調度品の数々。座っているだけでも浮足立つ高級感は、ゆるゆるになった雰囲気をほどよく引き締めてくれた。
普段であれば絶対に入らない、贅沢にも個室を用意してくれた張本人はというと──
「改めまして──本当に、申し訳ありませんでしたァ!!!!」
予約必須なほど祖母一押しの中華料理店の席に着いて早々、見事に復活を果たした瑛ちゃんはその場で土下座した。
朝に目覚めて一度見た光景である。まるで再放送のような美しい土下座をこれ以上安売りさせないために、私は許しの言葉を使う代わりに瑛ちゃんの背中を擦った。
「瑛ちゃん。朝も言ってたけどふたりとも全然気にしてないんだし、これ以上食い下がるとむしろ怒られ……」
「マーちゃん先輩止めないで! 自分であんだけ大口叩いたのにとんでもない失態やらかして、もうホント申し訳ないやら情けないやらで……だから、ちゃんとケジメつけねーと収まりが悪いんスよォ!」
「ケジメなら今しがたやってもらってるところなんだがねェ」
「今日の費用はササっち持ちなんで、オレのケジメとはまた別腹ッス」
「わあ強情」
ふたりは相手に一任した以上尻拭いは当たり前と言わんばかりにゆったりと構えているのに対し、殊更そういた態度に申し訳なさが打ち勝つのか引き下がらない瑛ちゃんの意固地さが対照的に映る。これは代替案を出さないかぎり前には進まないだろう。
祖母は何か思案しながら指で顎を撫でると、なぜか私に親指を差し向けた。
「だったらこうするか。──瑛、この借りは茉楠にツケときな」
「え? なんで私?」
「いつの間にやら魔女の誘拐事件にすり替わってたが、元を辿れば失せ物探し……アンタが持ち込んだ依頼だ。報酬は茉楠がもらうのが筋ってもンだろ」
「あ……そういえば忘れてた……」
「……た、確かに。でもいいんスか? 姐さんだって一肌脱いでくれたのに……」
床から顔を上げた瑛ちゃんの言葉に、祖母は肩をそびやかせながら口角を上げた。
「瑛、アンタも女ならこれを機に覚えときな。──イイ女に二言はないンだよ」
「~~あ、姐さァん! あざッス! このご恩は一生忘れません!」
「恩を着せるならアタシじゃなくて茉楠にしな」
朝から続く善意の押し問答がようやく収束すると、向かい側に座っている有島さんが軽く手を挙げる。
「あ~……醍醐。勢いのまま招かれたが、俺も相伴に与るのはいいのか? 一応金は出せるが……」
「どうぞどうぞ! っていうか有島さんが今回の一番の功労者なんスから、変に遠慮しないでください! 今日は夜飯も食えないぐらい食って飲んじゃってもらっていいんで!」
「そうか。そんじゃま、今日は遠慮なく馳走になるか」
瑛ちゃんの返答を聞くと、有島さんは朗らかな表情で座り方を正した。
日本発祥の回転テーブルに北京ダックやふかひれが並ぶのを座して待つ間、私は改めてこれまでの経緯を振り返る。
今回の「賽子の捜索依頼」もとい「魔女の誘拐・監禁事件」は、いくつもの疑問を残したまま決着がついた。
例の少女──身元不明の魔女、タシはあれから一度も目を覚ますことはなかった。
祖母と有島さんの調査曰く、厳密には眠っているのではなく体内の機能を一時停止しているせいで、外側だと眠っているように見えるらしい。この状態で意識不明のまま私たちの家で匿っているよりも、魔導公安機関の本部にタシを移送して、昏睡状態の原因を精査した方がいいのだそうだ。
ちなみに、瑛ちゃんが魔眼で昏倒させた魔術師三名は、匿名の通報により全員が摘発されたらしい。スマートフォンで調べたニュース一覧の一枠に、それらしき事件の概要が載っていたのを確認できた。取り調べ──というより、魔術による記憶の摘出・解読は 近いうちに詳細な報告結果がまとめられるだろう。
「そういや醍醐、あんたのとこの家族はあれから大丈夫だったのか? 怒鳴ってるような声が聞こえたから無事だとは思ったが……」
「あ~。実家の方は五体満足だったんで問題はなかったっぽいッス。ただ、連絡入れるの忘れて数週間帰らずに店を留守にしてたから、怒られたのはそのせいッスね。気遣ってもらって感謝ッス」
「礼を言われることじゃねェさ。俺が気にしいなだけだ」
自分をタシと称し、以来眠り続ける謎の少女の身元。チンピラ同然の魔術師たちに魔女を売ったという者の正体。有島さんはすでに東南アジア支部にも報告と再調査を要請したらしく、現在捜索任務に当たらせているそうだ。
もしも、タシを誘拐して魔術師たちに売却した犯人がただの一般人であったなら、未だ日本に滞在している可能性は──ある、のだろうか。
今回の事件には計画性がある。幼い少女とはいえ、仮にも魔女を拘束し続けられるほどの腕を持っているであろう人物が、取り引き後の逃走経路を想定していなかったとは考えにくい。現時点で可能性が高いのは、犯人が取り引きを完了させたその日に日本を発っている場合だ。こうなると日本側での捕縛行為は不可能になる。調査範囲を世界にまで拡大してたったひとりを捜索するという行為は、広大な砂漠の中で数ミリメートル以下の砂金を見つけろと無茶難題を要求しているようなものだ。証拠でもないかぎり、まず無理ゲーである。
このような話もあってか、有島さんは本部に出張しているらしい異対所属のメンバーのひとりを早急に呼び戻して、捜索範囲を拡大させつつ犯人の痕跡を探すそうだ。徒労に終わるかもしれなくとも、第二第三の新たな事件が起こらないとも限らない。計り知れない力を持っていた祖父亡き今、監視の目は多いに越したことはないそうだ。
「わーすっごイ! 今日はクリスマスぐらい豪勢だネ!」
「わあっ!?」
一際明るい声に気が引っ張られて見回してみると、いつの間にやら熱々の料理の大群が運び込まれていたらしい。香ばしい匂いが辺り一面に立ち込める。
店員が完全に立ち去ったのを見計らったのか、織姫が身を乗り出して出てきていた。
「あれ、織姫も参加ッスか?」
「なんだヨー。織姫だって仕事したしお祝いしたいヨー。仲間外れにすんなヨー。やだやだ織姫もご馳走食べたァーイ!」
織姫が子どものような駄々をこね出すと、瑛ちゃんは困惑しながら首を振った。
「や、そういうわけじゃなくて……え、姐さん。妖精って人間と同じ食べ物食って大丈夫なんスか? 腹下したりとか、そういうの」
「しないヨ! だから出てきたんだヨ! もー織姫たちのこと何だと思ってるのサ!」
「食い物の好みは妖精それぞれさね。確かハベトロットは特にNGなもンはなかったはずだが……」
「妖精はその辺人間以上に気を遣わないと怒らせることが多いからな。醍醐も妖精の扱いには十分注意してくれ」
「ウッス。勉強になります」
それぞれ妖精の食生活に口を挟みながらも、食事時だからか雰囲気はとても和やかである。
祖母の膝の上に乗った織姫も、回転テーブルに敷き詰められた広東料理に興味津々のようだ。どんな種族でも、視界いっぱいの食事に目を輝かせることは共通事項らしい。幼子を見るような微笑ましい気持ちにさせる。
徐々に全員が芳しい旨味の匂いに前のめりになっていると、祖母は徐にグラスを手に取った。先陣切って音頭を取るらしい。
「さて……予断は許さないが、全員よく頑張った。──これ以上の御託はもう結構。今は英気を養うときだ! 乾杯!」
「乾杯──!」
五つのグラスが掲げられ、揃って飲み下した後のことは言うまでもないだろう。
「いただきます!」
私は手を合わせると、さっそく箸を取って前菜から手を付けた。




