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二〇二四年三月二十九日金曜日 午前〇時八分

(……取り乱してる場合じゃない、今は生存確認!)



 私はすぐさま少女のそばまで駆け寄り、彼女の脈拍を確認した。

 少女の右腕を優しく取って、脈拍を計る。──脈は弱々しいが、少女は生きていた。冷静になって観察してみると、小さな体はわずかに上下して呼吸を繰り返している。

 次に、少女の顔色を窺う。──良くはなさそうだが悪くはない。よく観察してみれば、顔立ちはどちらかといえばアジア系に見える。日本人ではないことだけは確かだ。

 さらに、体に致命的な損傷はないか確認する。──体のいたるところに打撲痕と見られる傷が十ヶ所以上あるが、素人目で観察するかぎり、命に別状はなさそうだ。最初に見た流血は時間経過により渇いており、赤黒い墨の跡のようになっている。

 少女の周辺を注視すると、彼女の手元付近に件の賽子らしき物体が置いてあった。私は手の中にある折り鶴を動かして、賽子を回収しようと試みる。



(回収完了。だけど、これは……人体実験か人身売買。いや、そのどっちもかな)



 やっと本来の目的を達成したというのに、私は何ひとつ喜べなかった。

 先ほどから、よほどこの光景がショックだったのか瑛ちゃんが微動だにせず呆然としている。その気持ちは痛いほどよく分かるし、何か言葉をかけてやりたい。しかし、今は他に優先すべきことがある。

 後ろ髪を引くような感傷を力づくで振り払い、私はインカムに手を当てて口を開く。



「もしもし、こちら鈴木! 緊急事態なので応答をお願いします!」


「っこちら有島、どうした姫さん!?」


「生物兵器の正体が女の子だった! しかも重体! かろうじて息はしてるけど、脱出した後はどうしたらいいですか!?」


「──なンだって!?」


「マジか、なんてこった……了解。作戦はそのまま続行する。姫さんは一度俺たちと合流して、すぐ離脱してくれ。今はその子の命が優先だ」



 私は有島さんの指示を聞きながら、少女に繋がれた鎖を断ち切るために、腰に帯びていた黒曜石の短剣を振り下ろす。

 ──しかし、突き立てた黒い刃は強固な鎖に弾かれてしまった。魔術による強化を施してもなお、この剣では歯が立たないらしい。つまり、この鎖も魔術による特殊な効果で守られているのだろう。悲しい事実だが、私の攻撃手段には破壊に特化したものがない。ここは大人しく、瑛ちゃんの魔法の力を借りるべきだ。

 瑛ちゃんに鎖を壊してもらうため、私は彼女に声をかけようとした──



「瑛ちゃん、もう一回賽子を──っ」


「有島さん、すいません。ちょっといいッスか」


「おう醍醐……さっきから黙ってたが大丈夫か?」


「作戦を変更してください。ここはオレひとりでやりたいです」



 ──しかし、瑛ちゃんの表情を見た途端、私の喉は恐怖で硬直した。

 地上にいる彼らには、こちらがどんな顔でこの状況に相対しているか、その実態の三割も伝わっていない。だから、この部屋に入ってから瑛ちゃんの様子がおかしいことにまだ気づいていない。

 暗澹(あんたん)とした狭い部屋に響く彼女の声は──今まで聴いたことがないくらい、ひどく冷たかった。



「はァ!? おま……人を納得させたいなら、せめて理由を言え」


「有島さんがいると確実に巻き込んじまいます」


「……ハァ〰〰」



 この道何十年の警察官、および魔術師のベテランを相手に、瑛ちゃんは恥も外聞もなく堂々と断言した。

 これは言外に、有島さんを足手まといだと言っているようなものである。普段の彼女であれば、これほど傲慢な物言いはしなかっただろう。自覚があるのかないのか──賭けてもいいが、おそらくそのどちらでもない。むしろ、そこまで考えが及んですらいないと思われる。

 なぜなら、彼女の今の表情は、あまりにも──



醍醐(だいご)


「はい」


「しくじったらブッ飛ばすぞ」


「あざッス。元より、誰ひとりここから逃がす気ないんで」



 しかし、有島さんの返答はこちらを予想を裏切った。

 こちらの状況が何も見えていないにもかかわらず、短いため息をついた有島さんは無言の了承をしたのである。

 祖母もここでの説得は無駄と判断したのか、反対の声を上げない。これ以上話し合いの時間を設けられないのであれば、私は三人の決断を信じる他ないだろう。

 しかし、そうは言っても多少の不安や心配は残っている。一応、今はまだ冷めきっている怒りを止めることはできないか、往生際の悪い私は顔を上げた。



「マーちゃん先輩」


「あ、瑛ちゃん」


「この子をすぐに手当てしてあげて。後のことはオレが全部引き受けるッス。大丈夫、すぐに終わらせるから」


「……でも、それはさすがにきけ──」



 ──その先の言葉を紡ぐには、すでに私の覚悟が負けていた。

 今まで見たこともない彼女の鬼気迫る鬼の形相を見て、私はかつて怒り狂った般若の顔をした祖母を思い出す。人に有無を言わせないような凄まじい怒気に、私はまんまと気圧された。



「──気をつけて。その代わり、この鎖壊すの手伝って」


「了解ッス」



 私は理性で折れるよりも早く、本能で頷いていた。

 タイムリミットが刻一刻と迫っている中、こんなところでいつまでも食い下がっているわけにはいかない。今の優先事項は人命だ。これ以上余計なことを考えるのはリスクに相当する。

 私が鎖を見せびらかしながら目的だった賽子を手渡すと、したり顔をした瑛ちゃんは滑らかな手つきで賽子を踊らせた。



「賽は投げられた! 調六、出て来!」



 賽子が投げられた瞬間、少女を捕らえていた鎖と首輪は十秒と経たずに錆びつき、炭のように朽ちていった。



「さあ行って!」


「っまた後で!」



 解放された少女を横抱きに抱えた私は踵を三回叩き、弾丸のようにこの部屋を飛び出した。

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