二〇二四年三月二十九日金曜日 午前〇時
「よし、ふたりとも。何かあればすぐ報告してくれ。──健闘を祈る」
有島さんの言葉で、作戦開始の狼煙を上げた。
まずは魔術によるピッキングで閉ざされたドアを開ける。続いてあるだけ施されたスニーキング用の魔術の鎧を纏い、私たちふたりはドアを開けると同時に廊下を駆けた。
目指すは廃ビルの地下二階、階段から一番遠い奥の小さな部屋である。
「目的地は……ここッスね。こちら醍醐、ならびに鈴木、位置に着いたッス」
予定通り、魔術師たちと会敵することなく目的地の前へ到着した。
こちらの想定以上に光源のない暗闇の中をまっすぐ走ることになり腰が引けたが、ここまでは順調である。次は私が気張る番だ。
「──こちら有島、魔力反応を確認した。姫さん、扉に何か細工されてないか、精査を頼む」
「了解」
有島さんの声に従い、私は視覚を魔力で強化し、魔術の痕跡を確認する。
──魔術が施された形跡は、なし。かなり不用心だと思うが、こちらとしては都合がいい。念のため、私はドアノブに手を掛けて、開けようと試みた。
しかし、そこに手応えはない。
「……駄目だ。やっぱり、鍵がかかってる。さすがにそこまでの馬鹿ではないか……」
「オッケー。ブッ壊すんで、ちょっと離れてて」
小さめの賽子をふたつ手に取り、慣れた手付きで賽子を転がす。
その姿はまるで、壺の中で回る賽子のごとき丁半博打の光景を錯覚させた。
「──賽は投げられた! 調六、出て来!」
瑛ちゃんの短い詠唱とともにふたつの賽子が中空に投げられ、運による死因を司る魔法がドアの前で炸裂する。
次の瞬間、小さな爆発が起こった──気がした。
「……ん?」
気がした、という表現は正確ではない。目の前で爆発が起きたことは疑いようがない。問題なのは、爆発音がまったくしなかったことだ。
──改めて、この現象を考察しよう。瑛ちゃんが先代の魔女から知らずに継承した魔法の能力は、『運の操作』だと予測されている。あらゆる幸運、あるいは不運を意のままに引き寄せ、現実のものにする。
話だけは事前に聞いてはいたものの、実際に目の当たりにするとデタラメすぎる能力だと思う。対象や規模が違えど、デタラメさ加減では『夢死』の魔法といい勝負だ。
こちらとしては非常にありがたいが、あまりに都合のよすぎるサイレントボムである。彼女が私たちの味方で良かったと心からそう思った。同時に、彼女だけは絶対に敵に回してはいけないと確信する。
安全を確認し終えたのか、瑛ちゃんは何事もなかったかのようにこちらを振り返った。
「うっし、もう大丈夫ッス。マーちゃん先輩、準備はいいッスか?」
「あ、ちょ、ちょ……っと待ってね、オッケー。オッケーです」
「いッスね? オレが先に入るんで、先輩はオレの背中をお願いしゃす」
「了解」
勇んだ瑛ちゃんがドアの横に立つと、私も慌てて壁を背後に彼女の横に並ぶ。
有島さんの報告では、この先の部屋に見張り役はいないらしい。しかし、新たに伏兵を配置していないとも限らない。何事も警戒するに越したことはないだろう。
私は、手に持ったスマートフォンと折り鶴を再確認する。照明は正常、不意打ちに対する対抗策も十分。準備は万全。あとは覚悟のみ。
瑛ちゃんが半壊したドアに手を添える。私たちは警戒度を最大限に上げ──ついに、目的地の部屋へと突入した。
「え……」
「……は?」
私たちは、目の前の非現実的な光景に言葉を失ってしまった。
季節はすでに春なのに、真冬のような室温の低さ。狭い部屋を彩る、赤と黒と灰。鼻腔を突き刺すような火薬の匂い。ほのかに漂う血の臭い。かすかに響く鉄の音。胃酸が食道を冒す味。
五感で伝わる恐怖と、焦燥と、疑問が喉元に突きつけられたような錯覚を覚えた。同時に、見張り役がいなくて本当によかったと、どこか他人事のように心から安堵する。
──でなければ、この隙を突かれて致命的な遅れを取っていただろうから。
「──どうした? おい、何があった!? 姫さん、醍醐! 応答してくれ! そこで何を見た!?」
こちらの尋常ではない空気を持ち前の勘で察知したのか、焦りに満ちた有島さんの声が鼓膜に届く。
有島さんの言う通りだ。いつまでも茫然自失になっていてはいけない。時間は有限。動かない時間が長いほど作戦失敗の確率は跳ね上がる。
(動け。伝えろ。何のために蓄えた知識だ。何をするための覚悟だ。動け、この木偶の坊──!!)
私はどうにか頭と舌の筋肉を総動員しながら、現状を報告すべく、衝撃で乾いた喉を震わせた。
「──子……ども?」
私たちの眼前にいたのは──鎖に繋がれ、床に倒れ伏した血塗れの少女だった。




