二〇二四年三月二十八日木曜日 午前十一時二分
警視庁公安部特殊諜報課異端犯罪対策室──通称『異対』。
しかし、その実態は魔導公安機関の東アジア支部に該当する秘匿部署である。その歴史は今年で百五十年目を迎えた。
始まりは一八七四年一月十五日に遡る。明治新政府が東京警視庁を設置する最中、文明開化における目まぐるしい変化──および混乱のどさくさに紛れて、当時の魔導公安機関に所属する日本人に扮した三名の魔術師が発足したのが起源と伝えられている。
以上の経緯で成立した背景のせいか、東アジア支部では調査員が極めて少ない。そして、なんやかんやで死亡率が高いため、事実上存在しない秘密組織として扱われているらしい──のだが。
「ッババア!! 人前で犬扱いすんのはやめろって何度言えば分かりやがる!! 人に姉貴面すんならちったァ年下の言うことも聞きやがれってんだ!!」
「あーあー、図体の小せェポメラニアンがキャンキャン鳴こうが遠すぎて何も聞こえないねェ。遠吠えなンざしたところで月どころか山にすら届かンさ。言いたいことがあンならもっと腹から声出しな」
「っざけんなババア!! テメェいっぺん表出ろ!! ここいらで白黒付けてやらァ!!」
「ハッ、犬は犬らしくせいぜい吠え面かく準備でもしときな」
今どきの小学生でもやらないし、いっそひと昔前のヤンキーのメンチ切りのような罵り合いを大の大人たちが繰り広げているのを目の当たりにすると、とても肩書き以上の大物には見えないのである。
有島さんはともかく、祖母の方は完全に分かった上でわざと彼を煽って愉しんでいるのが声音を聞くだけで理解できた。ただならぬ関係性ではあるようだが、この様子を見るかぎり祖母の方が一枚上手なようである。この時点で有島さんの印象が「祖母の言動に振り回される不憫な強面警官」になってしまった。
しかし、長年の幼馴染みというものは、得てしてこういうものなのだろうか。そう思案していると、ヤマトが急に有島さんの頭にゆっくりと羽を降ろしていくのが見える。
「ケンジロウ、さてケンジロウ、ケンジロウ。いつまで性懲りもなく囀ることしかできない犬でいるのか?」
「うるっせェな田原坊か! ってうおおっ、テメ、鳥公か!? おいやめろ近づくな、俺が鴉嫌いなの知ってるだろ!? ああクソ、嫌な野郎の面ァ思い出すだろうが!」
「……ちょうどいいか。お喋り、タイマーセットしときな。ケンを三分で料理する」
「Yes, ma'am」
「おいやめろ分かった、分かった俺が悪かったからそいつを近づけるのだけは勘弁してくれ……」
──確かに、幼馴染みと呼べる存在がひとりでもいれば、こうなるのは必然だったかと思い直した。
傍観する我々が視界に映っていないのか、はたまた頭に血が上って本来を目的を数秒で忘却したか、早くも厄介な老害と化した二名は外へと消えていく。
周囲の近所迷惑を考慮すると切実にやめてほしいのだが、私程度では止められないので一秒でも早く切り上げてほしいと祈るばかりだ。
「ま……マーちゃん先輩……」
「よしよし、どうどう」
「いやなんでそんな冷静なんすか? あのふたりめちゃくちゃ怒ってたッスよね……?」
「いや、だっておばあちゃん楽しんでるの分かるし、わざと怒らせて煽ってるし……有島さんには悪いけど、ちょっと待ってよっか」
肝心のふたりがこうなってしまっては、ほとぼりが冷めるまで待つしかないだろう。
顔を合わせて開幕三秒で始まったふたりの剣幕に過剰に怯える瑛ちゃんを宥めながら、私はソファで寛ぐことにした。
(……あれ?)
ふと、有島さんのしかめ面をした横顔を思い出すと、私はなぜかそこで既視感を覚えた。
(やっぱりあの人……初めて会った気がしない? むしろ最近、どこかで会ったような……)
会いに行く頻度の高い祖母の知り合いだったか、はたまた行きつけのスナックの常連客だったか。どんなに朧気な記憶を掘り起こそうと、実態は定かではない。
祖母に答えを聞く前に、もっと有島賢次郎という人間を知る必要があるのは明白だった。




