二〇二四年三月二十七日水曜日 午後二十一時三十八分
手の中にあるカフェラテを手慰みに回しながら、私は彼女の言葉の続きを促した。
「そうッスね……それでも、そんなオレでもさ、夢に見るんだ。英雄になりたいとか有名人になりたいとか、誰かに誇れるような、そういう大層な夢じゃないけど……いつか、自分にしかできないような、大きなことがしたいって思いはあるんス」
「自分にしかできない、大きなこと?」
「うん。これは占いで何度もやってたことで……多分、オレの夢はこの街の外に出ないと始まらない。オレにとってこの街はすごく大事だけど、ここにいたら一生夢は叶えられないって、もう分かってるから」
瑛ちゃんは寂しそうに言って、海の見える方角に向けて目を細めた。
夢を叶えるために生まれ育った故郷を離れる人は、今の時代そう珍しくはない。しかし、その代償として襲いかかるであろう寂寥感の大きさは、私の想像力の外にある。
故郷を離れるというのは、はたしてどんな気持ちなのだろう。期待感を胸に進むものなのか、孤独感に苛まれながら逃げるものなのか。何かが分かりそうで、しかし結局その正体に思い至る言葉が見つからない。
彼女は、自分の未来をどう進みたいのだろう。
「どんなに時間がかかってもいい。どんなに遅咲きの花でも構わない。オレは、自分が信じると決めた運命を、この手で掴んでみたい」
その言葉は、まるで未来に夢見る子どものような、それでいて地に足のついた力強い決意の現れだった。
夢物語だ、と嗤う人はいるのかもしれない。非合理極まりない、と眉をひそめる人もいるかもしれない。けれど、私は嗤えなかった。いつかきっと、彼女は自分の夢を形にする。名実ともに魔女となった彼女の力は、やがて海を越えて轟くこととなるだろう。夜闇に紛れて、そんな姿が目に浮かんだ。
瑛ちゃんは、手の中のホットカフェラテを弄びながら、続けて言う。
「マーちゃん先輩といれば、自然と掴めるような気がするんス。だから、できれば今後も仲良くできればなーと」
「……そうだね。じゃあ、仲介手数料もらわないと」
「うええっ!? 友情価格ですらないの!? り、利子倍額だけは何卒……せめて出世払いに!」
「いやいや冗談、冗談だから真に受けないで……あれ、電話?」
何の意味もない雑談に花々を咲かせていると、突然裂くようにコール音が鳴り響く。
どうやら、音の発生源は私のスマートフォンらしい。見慣れた文字が映った画面を確認し、応答ボタンをタップした。
「もしも──」
「いつまでほっつき歩いてンだいシンデレラども! 夜遊びなンざ三年早いよ! ほとぼり冷めてンなら戻ってきな!」
「はーい。あ、さっきのLINE見たー?」
「はいはい。内容はとっくに警察に送ったよ。合流は明日だそうだ」
「おっけ。じゃあまた後で」
私たちの寄り道が長すぎて心配をかけてしまったようだ。
業を煮やしたような祖母の声に軽い返事を返してから通話を切り、私は瑛ちゃんに向き直る。
「瑛ちゃん、もう帰ろう」
「ッス。あの……マーちゃん先輩」
「どうかした?」
「……話、聞いてくれてありがとッス。それだけ。そんで、明日もよろしくお願いするッス!」
「……こちらこそ。明日もよろしくね」
私が左手を差し出せば、瑛ちゃんは躊躇いなく右手で掴み、立ち上がる。
帰りも気を抜かず、夜闇の先まで四つの目を光らせながら、私たちは揃って帰路に着いた。




