二〇二四年一月十八日木曜日 午後十七時五十二分
「────酔生夢死?」
その言葉を音にした瞬間、何かが切り替わるような撃鉄が落ちる音が聞こえた。
取っ手のない扉に煉瓦のような整然とした亀裂が入り、それらは折り畳むように壁の中に収納されていく。
川の流れのように言葉を挟む間もなく、目の前には人ひとりが通れそうな、先の見えない暗闇の空洞が開かれた。
「あ、開いた……」
扉は開いた。つまり、パスワードは先ほどの四字熟語で合っていたということだろう。
調査がようやく報われて嬉しいような、推測がまんまと当たって空恐ろしいような、複雑な気持ちになった。今までの疲労は癒されたが、新たに現れた謎を前にまたしても選択を迫られている。
つまりは進むか、一度退いて出直すか、なかったことにしてすべてを忘れるか。
「さあ、参りましょうご主人様。冒険の時間です。継承の時間です」
「え、何? 冒険? あ、ちょっとヤマト!」
思索に耽る私を挑発するかのように、ヤマトは私の顔を見上げた。
「ご主人様の疑問が解決するかもしれないのに、入り口で立ち止まるのですか?」
「──」
虚を突いたヤマトの発言に、私は言葉を失った。
ヤマトの指摘通り、確かに疑問はいくつもある。私以外誰にも見えない、聞こえない『何か』の正体。十三年前、両親を襲った不幸な事故。五年前の姉と祖母の言い争い。一年前の祖父の余命宣告。そして、祖父の葬式が終わってもなお、姿を現さない姉のこと。
知りたくないのか、と問われれば当然知りたいに決まっている。しかし、それがもし家族を危険な目に遭わせることだったとしたら、私はきっと躊躇う。自分の身勝手な選択で家族を傷つけるなどもっての外だ。責任を取れと言われたら、快諾できる自信も持ちうる代償もない。
──なぜなら、私は何の力も持たない、ただの子どもだから。
「なぜ、祖父は祖母と結婚したのか。なぜ、鈴木家の両親は死んでしまったのか。なぜ、祖父の余命が宣告されたのか。なぜ、祖母と姉は喧嘩したのか。なぜ、姉は祖父の葬式に来なかったのか。そしてなぜ、ヤマトは喋るのか」
頭の中で、ヤマトの声が反響するような錯覚を覚える。
「ご主人様は、知らなければいけません。──なぜ、自分が選ばれたのか」
まるで、道行く人を惑わす悪魔の甘言だ。その言葉の羅列に抗いがたい効力を感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。
「この部屋の奥に、すべての式を解き明かすための鍵があるのです」
導くような声でヤマトはそう告げると、純白の硬い翼を忙しなくはためかせて、颯爽と扉の先を飛んでいってしまった。
「……」
私は一度騒ぎ立てた心を落ち着かせるために、深く息を吸って、吐いた。
今からやろうとしている蛮行が正しいことなのかどうか、今は断言できない。この行為は本当に祖父が望んでいたことなのか、未だに確信を持てない。けれど、はっきりと理解していることはある。
行動の是非がなんであれ、ここで決断しなければ、私は二度とこの部屋へ立ち入ることはない。であれば、逃避などもっての外。もうこれ以上、私を取り巻く謎を棚上げにするのはまっぴらごめんだ。
今まで祖父と秘密にしていたこと、祖母に聞けなかったこと、姉に相談したかったこと、そのすべてが今日、明らかにされるというのならば──
「……」
私は気を引き締めて、目の前を扉の先を捉える。
「……行くか!」
白い体が暗闇の先へ消える前に、私はかすかに見えた階段へと足を踏み出した。