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二〇二四年三月二十七日水曜日 午後二十時二十六分

 三月下旬にもなると、上旬に多かった肌寒さは鳴りを潜め、少しずつ暖かい日も多くなってきた。

 今年は昨年と比べて桜の開花が遅くなるかもしれない。満開が見られるとしたら新学期が始まってからだろう。

 ──時刻は二十時二十六分。JR石川町駅で降車し山下町付近まで移動するため、私たちは横断歩道を渡る。



「では、作戦を確認します。フェーズその一、例の賭博場での聞き込みと調査による犯人の正体と拠点の特定。フェーズその二、賽子の回収と──」


「関係者の記憶の改竄、スね! ……でも、改竄って言っても具体的にどうするつもりなんスかね?」


「ん~……それは一旦置いときましょう。ひとまず賽子の所在が分かるまでは保留にして、どうするかは後でおばあちゃんに聞いときます。警察との連携も必須ですから、今夜はあくまで様子見、慎重第一で行動しましょう!」


「ウッス!」



 私の言葉に、気合十分と言わんばかりにやる気に溢れた、あ──ではなく醍醐さんはこちらを見上げたと思えば、複雑そうに苦笑いをした。



「……それにしても」


「?」


「何回見ても慣れないッス、その見た目。いい意味でイメージとかけ離れすぎてて」


「はは……それに関しては私も同感です」



 ハロウィンのコスプレをはるかに超える祖母のメイクアップ技術により、私は厳つい男性の姿に、醍醐さんは姉の姿に変装させられた。

 三十分前から何度も手鏡で容姿を確認しても見飽きないほど、祖母が得意とする変身術のレベルの高さには手放しで称賛せざるを得ない。髪型や眉間の皺、黒子の数、ネクタイの柄、スーツの細部に至るまで謎のこだわりようが見て取れる。姉と同様、私が変装したこの男性は祖母の知人を参考にしているのだろう。でなければここまで特定の人物の再現性を高めることは難しい。

 持っていた手鏡を仕舞い、私は前を歩く醍醐さんの背中についていく。



「ただの男装じゃなくて、魔術で男に変身できるとは思いませんよね。私も初めて見ましたし……あ、お姉ちゃん。車が来てるからこっちに──」


「……え?」


「──あ」



 こちらを振り向いた醍醐さんの顔を見て、自分がようやく失言したことに気がつく。



「あ゛あ゛〰〰すみませんっ! 今のは咄嗟(とっさ)のやつで、忘れてください!」



 いつもなら絶対にしない言い間違いから生まれる羞恥心に、全身の血液が沸騰する。

 いつかはやるだろうと警戒はしていたが、ついに図に当たった。気をつけていても、一瞬気を抜くとすぐこうなる。いわゆる、学校の先生を自分の母と呼び間違える生徒あるあるをよもやこの年で、しかも今日初めて名前を知った相手にやるとは思わなかった。

 醍醐さんへの罪悪感と申し訳なさで私が所在なさげにしていると、突然両肩を掴まれる。



「いや、謝るべきなのはこっちッス」


「……え」


「オレが無茶言ってこの姿にしてもらったのは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()かな? と思って、ただそれだけだったんス」



 姉の顔をした目の前の誰かは、まっすぐな視線と声で取り乱した私を諭す。

 目の前の誰かは、姉と同じ顔で不安そうに眉を下げた。私の知る姉の顔とはまるで異なる、距離の近い親しみやすさが手に取るように分かる。考え方、纏う雰囲気、振る舞い、言葉遣いに至るまで、何ひとつ私の中の姉とは程遠い。私の記憶の中にいる姉は、はたしてこんな表情をしたこともあったのか、まるで自信が持てなかった。姉はもっと強くて、もっと手の届かない人であるイメージが、今も強く心に残っている。



「ごめんなさい、他に他意はなかったんス。それでも……そのせいで、もしキミを傷つけてたなら……」


「いえ、いえ全然! まったく、そんなことはないです! むしろこっちが頼りなくてごめんなさい! 私が魔術の先輩なんだから、もっとしっかり構えてないといけないのに……」



 けれど、今は──



「でも、もう不安にさせません! 今夜は、私が全身全霊で醍醐さんを護ります! 背中は任せて安心して調査してください!」


「……!」



 私も背に伝うようなプレッシャーに負けじと言い返すと、醍醐さんは面食らったように目を見張った。

 彼もまた、初めてであろう試みに不安を抱えているのだ。ひとりならまだしも、今回は私がいる。もしかしたら、ひとりのとき以上に余分なプレッシャーを背負わせていたのかもしれない。余計な気苦労を負っているのかもしれない。



(──もし、あのとき)



 家を離れる前の姉に同じ思いを伝えられたのなら、させたくもなかった険しい顔を少しでも和らげることができただろうか。

 そうやって、できもしなかったあの日の後悔を、夢想した。



「……離れて暮らす姉妹を思う気持ちは、オレも分かってる……つもりだった」


「?」


「けど、やっぱ駄目ッスね。オレなんかじゃ、キミのお姉さんの代わりにはならないし、なれもしない。余計な気遣いだったし、とんだ思い上がりだった。キミは、オレが思ってるよりもっとずっと強い女の子ッス」


「あ……」


「頼りない年上でスンマセン。けど……今はキミに背中、預けてもいいッスか?」



 私の言葉に気が抜けたのか、ようやく肩の荷が下りたのか、醍醐さんは柔らかく微笑んでそう言った。

 ──前提として、醍醐瑛は私の初めての依頼人である。今夜の目的はあくまで情報収集、その中でも相手の尻尾が掴めれば上々の結果だ。つまり、周囲に私たちの正体が暴かれてはいけないし、諍いや揉め事は一番に回避すべきタスクである。

 それはきっと、どんな仕事内容でも関係ない。チームワークの高さが結果に比例するのであれば、なおさらだ。



「もちろんです。──私も、今夜はあなたに背中を預けます」



 相手から信頼されるには、まず自分が相手を信頼しなくてはならないことが肝要なのだから。

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