二〇二四年三月二日土曜日 午前十二時八分
この十分間で得た情報を、一度整理してみよう。
『魔導公安機関』の業務のひとつに、悪性妖精化した妖精たちの大掃討が含まれる。五月一日と十月三十一日、つまり年に二回行われる。しかし、年々悪性妖精の数が増加したため、年に二回だけの大掃討では足りないのが現状らしい。
というのも、その最たる原因は第三者による魔力汚染の拡大である。そのせいで二〇〇〇年代に入ってから悪性妖精化が世界各地で急激に増加した。第三者の正体は目下捜索中、原因解決の究明が急がれている。
魔力汚染は遅効性の猛毒であり、妖精はもちろん人間にも害をきたす。人里離れた場所であればまだしも、これが大都会の中心部で化学テロと同レベルの災害によって巻き起こされる惨事だと仮定すると、かなり分かりやすい地獄絵図だろう。その恐ろしさと悪辣さに、かえって想像もしたくない。
そのため、ハザート的発生源を極端に限定する必要性がある。そこで、利用されたのが妖精郷への出入口──もとい次元裂断層を、何らかの魔術により誘導させることで悪性妖精を一ヶ所に集め、日本のこの森で二回の討伐任務を行う。その討伐任務を現在単独で背負っているのが、相良紬その人である。
(……あれ。相良さん、実はとんでもねーハイパーエリートサラリーマンなのでは?)
相良さんの手により秒で消し炭と化した悪性妖精たちの悲しい末路を思うと、改めて彼の魔女としての異常性が浮き彫りになって見えてくる。
『夢死』が物作りに特化した魔女とするなら、『枯死』は──数分間のみ目撃した範囲の情報だけでは、一概には何とも言えない。
『枯死』は速度に関連した魔法かと推測したが、それが本当に正しいのかも判断できない。本人や関係者に聞けばすぐ解決する話ではあるのだが──かつての相良さんとの会話を思い出すと、少し躊躇してしまう。安易に踏み込むべきではない気がするし、今すぐ問いただすべきだという気もする。
──『彼』の遺言を額面通りに受け取っているであろう相良さんの気持ちを、蔑ろにすることだけはしたくない。それだけは確かだ。
「ったく、新米のうら若き乙女が見てるってェのに、相変わらず遊びの欠片もない戦い方だねェ。血が躍るだけの無骨な戦いなンざ、おっかなびっくりして客も逃げちまうじゃないか。速さは何をもにも勝る武器だが、それだけにアンタの体にも負担がかかるだろう?」
「あ……す、すいません。いつものくせで、つい」
「で、体の方は」
「……大丈夫、です。今日は紅さんたちが露払いをしてくださったので、かなり楽をしました。ありがとうございます」
「はいはい。異常があればすぐケンのジジイに報告しな。今は若いのが全員出払ってるからねェ」
私がひとり考えあぐねている間、祖母と相良さんの会話が右から左にすり抜けていく。
相良さんに正直に根掘り葉掘り聞くか、それとももう少し親密になってから機を窺うか。正面から聞けば答えてはくれるだろうが、私の心証は良くなくなってしまうだろう。これからの長い付き合いを考えていくと、今は様子見した方が安牌だと思われる。具体的に言えば、あと二、三ヶ月の時間が欲しい。
しばしの間だけ不自然な沈黙を貫いていると、突然私の顔に新品の煙草が突き出される。私は弾かれるように顔を上げた。
「茉楠」
「ん」
「火ィ」
「はいよ」
私はポケットから常備していたライターを取り出し、流れ作業よろしく煙草の先に火をつけた。
鈴木家ではよくある日常の光景に何か物申したいところがあるのか、一連の流れを見た相良さんは露骨に目を白黒とさせて狼狽えている。
戦闘が終了して安穏とした空気の中、もうひとりの喫煙者に声をかけようと口を開く。
「フー……一仕事終えた一本は格別だねェ」
「……? ……!?」
「あ、相良さんも一服します? 確か吸いましたよね?」
「え? なんで知って……あ、いえ。今日は、遠慮しておきます……」
相良さんも一服して落ち着きたいだろうという私の予想は大いに外れ、私は名残惜しくもライターの火を消して、ポケットに仕舞い込んだ。
挙動不審になって周囲を見回す相良さんを、私は改めて見つめ直す。何事も焦りは禁物だ。相良さんの境遇やここにいる理由、覚悟はもう知っている。彼に関する情報は、軽率に踏み込んでいいことではないのだ。
──しかし、それでも気になるものは気になるので、できればあと二、三ヶ月以内には聞き出すのが理想だろう。




