二〇二四年三月二日土曜日 午前十二時五分
祖母と織姫による、とんでもないとっておきをまざまざと見せつけられた私は、興奮冷めやらぬ有り様で頬を紅潮させた。
熱い吐息を内側に溜め込んでいると、不意に背後から右肩を優しく突かれる。
「茉楠さん」
「うわっ。あ、はいっ?」
背後にかけられた声に振り向けば、相良さんはいつの間にか長大な薙刀を手に取り、戦闘の準備をしていたらしい。
いつもの穏やかな声とは裏腹に、真剣な無表情で彼は続きを紡ぐ。
「妖精に限らず、こういった現世にありえざるもの……いわゆる幻生生物には、三種類の特徴があります。ひとつは、対象に対して益をもたらすもの。ひとつは、対象に対して害をもたらすもの。そしてもうひとつは……益と害、その両方を持ちうるもの」
「はい……」
「僕が今から討伐するのは、僕らが悪性妖精と呼んでる害をもたらすもの。世界中にいるんで、それぞれ回ってたらキリがないから……本来なら年に二回、日本のこの土地に、次元裂断層が発生するよう魔術で誘導してるらしいです」
「そう、なんですか」
「妖精郷への出入口とも言われている次元裂断層は、世界各地にランダムで発生するものだそうです。森の奥深く、川のほとり、海の底……だいたい自然と隣合わせなことが多いって言われてます」
相良さんの口から突然流暢に放たれる情報量の厚さに、一瞬混乱する。
しかし、彼がとても重要なことを話していることだけは、よく分かった。後できっちりと情報を整理するとして、今は目の前で起こる光景に集中しよう。
「なので、彼らがこれ以上、人の血の味を求めて人里に出てこないよう──」
話しながら、相良さんが数歩、前に出る。
悪性妖精の悲鳴が未だ森に轟く中、どこか嵐の前の静寂さを思わせる相良さんの凪いだ声は、はっきりと聞き取れた。
彼が悪性妖精に向けて薙刀を構えた瞬間──私でも視認できるほどの膨大な魔力が、蠢動する。
「──ひとつ残らず、消します」
そう言って、相良さんは風のように中央へ駆け出した。
次の瞬間、一方的な暴力による蹂躙が始まった。
目にも止まらぬ敵への接近──からの一閃。数百の数を一の質で一蹴する、圧倒的な力の差。悪性妖精たちは成す術もなく斬り殺されていく。猛毒の泥に蝕まれた黒い体は、瞬きの間に光の粒子となって崩れてなくなっていった。
とても肉眼では捉えきれない移動速度に、私はふと違和感に気づく。
(ない……というか、なんで見えない?)
より正確に言うならば、走ってから倒すまでの挙動が、まるで見えない。気づいたときには、悪性妖精がひとつ、またひとつと光の速さで姿を消していく。
いくら予備動作が速かろうと、人間の体で動く以上残像は見えるはずだ。瞬きはできるかぎりしていないはずなのに、どうあっても彼の移動の瞬間を目視することが叶わないのである。素人の憶測ではあるが、少なくとも時間にして一秒以下でなければ、この異常な速度に説明が付かない。というか、そんな速度で動ける人間はこの世に存在しないだろう。
思い当たる可能性は、ひとつあった。
(……これが、相良さんの魔法?)
どういう原理かまでは理解に及ばずとも、この異常なまでの速さが魔法による恩恵であることは確信できた。
(それにしても……)
どれほど長い研鑽を積めば、これほど美しい太刀筋をその手にできるのだろうか。
祖母と織姫の戦闘が「相手の最期への慈悲を形にした美しさ」だとするのであれば、相良さんの戦闘は「徹底した効率化ゆえの美しさ」といえるだろう。
大河に流れる透き通った水のように流麗で、寸分狂わず稼働する機械のように無駄のない動作。夜を駆ける一条の流れ星と同じくらい、私はあっという間に目を奪われた。
先ほどまで穏やかに会話していた彼と同一人物だとは、にわかに信じがたい。私は戦闘に関しては完全な素人だが、それでも理解できる。相良紬は歴戦の戦士だ。おそらくだが、魔女の中でも一際異彩を放つ才人なのだろう。
最後に残った悪性妖精を切り裂いて、相良さんは薙刀を持ちながら周囲を警戒する。我に返った私も見回す。
開けた森は、十分前とまったく同じ景観を取り戻していた。
「────敵影、沈黙。掃討完了」
時間にして一分か二分ほどしか経過していないにもかかわらず、森には再び静寂が訪れた。




