二〇二四年三月二日土曜日 午前十一時五十九分
その音は、聞く者に深い傷跡を残すような慟哭だった。
その姿は、暗闇から生まれた泥を形にしたようだった。
「────!!!!」
聞く者の心を揺らし、鼓膜を切り裂くような甲高い咆哮が重なる。
知性を失い、心を喪い、鳴き声と思しき悲痛な金切り声たちが木霊して、森中に響き渡った。
「────!!」
「────!!!!」
「──……!!」
それらの姿を見て、私は言葉を失った。そう錯覚してしまうほど、体中の筋肉が萎縮しているのが分かる。
あるものは激痛に藻掻くように地に伏せ、あるものは苦痛に悲鳴を漏らす。現世と幽世の境界を彷徨う、肉体を得た亡霊の群れのようだった。かつての輝きは過去の遺産に成り果て、夢も自由も奪われ尽くして泣き叫ぶその形は、目視だけでも百を上回る数である。周囲への敵意と殺意に満ちた眼差しが、私の肌を焼くように見つめていた。
話を聞くかぎり、あの子たちも妖精だったのだろう。その原形がなんとなく理解できてしまうのが、握り締めた手の痛みを訴えるほど、もどかしかった。
この世のものとは思えないその様相は、口が裂けても妖精とは言えない。あえて呼称するのであれば、魔物と呼ぶのが最も適しているだろう。
──なんて恐ろしく、痛ましく、それ以上に悲しい姿だろうか。
私は恐怖と悲嘆、原因への怒りに震えを抑えることもできず、隣に立つ祖母に尋ねた。
「おばあちゃん……あの子たちも妖精、だよね?」
「ああ、そうさ。可哀想に……今じゃ体も魂も侵されて、まともな自我なンざありゃしないね」
「助けてあげられないの?」
「できるならとうの昔にやってるさ。アイツらを蝕ンでるのは、ひとえに汚染された魔力が原因だ。これの浄化、あるいは除去できる方法は何十年も前から研究されてるが、未だに確立できてない」
苦痛に歪んだ彼らを救う手立てはないのか、と私は祖母に方法を尋ねる。
しかし、予想以上に祖母にすげなく切り返され、それ以上何も言えず私は押し黙る他なかった。押し寄せる無力感に歯噛みしていると、突然頭に手を置かれ、私の短い髪を梳かれた。
「そうシケた面しなさンな」
「え」
「短気は損気、下手に手を打てば治療する側の人間も死ンじまうからね。しかもアイツらの体はエーテルでできてるから、魔力汚染は体を蝕む遅効性の猛毒と同義、死ねば体が物質としてこの世に残ることがないのさ。それを知ってか知らずか、どこぞの大馬鹿野郎のせいで魔力汚染が拡大して、二〇〇〇年代に入って急激に悪性妖精化が増えやがったンだ。これをわざとやってンなら……悪趣味にも程があるがね」
視線を強く彼らに向けた目で、これ以上になく現状への嫌悪に歪めた顔で、舌を打ってから祖母は続けた。
現時点において苦悶に悲鳴を上げ続ける彼らを救うには、彼らを縛る泥の澱ごと肉体を破壊し、自由だった魂を解放するしかないらしい。
──いつか、織姫だけではなく家族も被害に遭うかもしれないと思うと、この光景はけして他人事ではない。魔力汚染が原因であるなら、魔力の解析をさらに推し進めていけばさらなる原因究明に繋がるだろう。
私はいつも以上に気を引き締めて、これから起こるであろう行為をまっすぐ見据える。
「さて、アタシも久々に腕を揮うとするかねェ」
「え、紅さんも戦うんですか? さすがにやめた方が……」
「口の利き方には気をつけな、小僧!! 少なくともアンタより戦歴長ェンだよこっちは!!」
「す、すいません。分かりました、お気をつけて」
律儀にも引き留めようとした相良さんを一喝し、祖母はしっかりとした足取りで前に躍り出る。
祖母が何をするのか、これから何が起こるのか。どちらにしても、私が目を逸らすことは許されない。
「──行くぞ織姫!! 最新の優れた紡ぎ手を三代目に魅せてやれ!!」
「おうさクレナイ!! やったラァ!!」
祖母と織姫の吼えるような掛け声とともに、戦闘の火蓋が切って落とされた。




