二〇二四年三月二日土曜日 午前十一時五十四分
時刻は十二時を回ろうとしていた。
現在、私たちは横浜市最高峰の山、大丸山周辺のとある森を目指している。まともな交通手段を使えば一時間は優に過ぎるため、私は『ドロシーの銀の靴』を使用して人目のつかない場所に降り立った。祖母たちも大丸山までは空中飛行で移動し、合流して森に入ってからは徒歩でとある場所──当然のように立ち入り禁止区域の森の中へと向かっている。私たちの代わりにヤマトが周囲を警戒してくれているとはいえ、白昼堂々人里を離れて犯罪に手を染める不審者のような気持ちになった。
ちなみに、大丸山が具体的にどこかというと、横浜自然観察の森と金沢市民の森の境界上にある。周辺は五つの森に囲われており、登山やハイキングコースでも四季折々の散策を目的とした利用者が多いらしい。こうした機会でもなければ、登山にまるで縁のないインドア派の私は来ようとも思わなかっただろう。
都会より澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、足元に注意して目的地を目指す。
「で、どうだい? 歩いて少しは気が落ち着いたかい?」
「ああ……はい、ええ。どうにか」
「じゃ、いい加減本題だ。前回の報告には目を通したんだろうね?」
祖母は時折舗装されてない道に足を取られつつも、いつもの調子で相良さんに話しかけた。
空中飛行のせいか、ほんの十分前まで青褪めた顔で歩いていた相良さんは、少し猫背を正して思い出すように口を動かす。
「事前にもらった報告は、確認しました。年々、悪性妖精の数が増えてるって……年に二回だけの大掃討じゃ、手が回らないぐらいだって」
「するってェと、今回も自主的な見回りってワケかい? 報告書は提出してンだろうね?」
「ええ。月に一度だけですけど、なんとか……」
この一件についてほぼ蚊帳の外の私が、無駄に口を挟んでもよいものか少し考えあぐねて、結局黙って話の続きに耳を傾ける。
悪性妖精、年に二回の大掃討、月に一度の見回り。気になるワードを脳内で整理して、疑問点を炙り出す作業に集中しつつ、歩行のスピードは落とさない。
しばらく歩いていると目的の場所に到着したのか、私の前を歩くふたりが足を止めた。それを見て私も歩を止める。
「茉楠、今の話は聞いてたね?」
「ああ、うん。だいたいは」
「結構。かいついまんで説明すると、アタシら『魔導公安機関』の業務のひとつに、悪性妖精化──自我を失って暴走してる妖精を一挙にまとめてブチ殺さないとヤバい日があってね。それがさっき言った五月一日と十月三十一日の二日さ」
「……なんて?」
浮かび上がったワードの不穏さから常々嫌な予感を察知していたが、祖母の口から肯定されるとにわかには信じがたい。
インパクトが強すぎるので祖母の言い方には一枚でもいいから絹を着せてほしかったが、今から行うことを乱暴に例えるならば、蜂の巣駆除のようなものだろうか。理由は判然としないが、妖精が自我を失い暴走していることが真実だとすれば、対話による解決はまず不可能という認識で間違いないだろう。
ゆえに、解決手段は駆除一択。一切迷いのない選択だが、だからこそあまりに残酷だ。彼らには知性があり、心がある。それは織姫が証明しているというのに。
しかし、そうなると妖精が自我を失うほどの原因とは何なのだろうか。地球環境の激変による自然の精としての怒りの発露か。妖精にしか発症しない病の類か。
あるいは、妖精を滅ぼさんとする第三者の謀略か。
「……っ!!?」
突然、背筋に悪寒が走り渡った。
そう錯覚してしまうほどの、膨大な魔力の揺らぎだった。悪寒の正体に目を向ければ、数キロメートル先の空間に、亀裂が入ったかような一筋の断層がはっきりと見えた。
「そうら、ヤツらのお出ましだ。茉楠、目ェカッ開いてよく見てな!」
祖母が吼えるように声を上げる。
同時に、空間を裂くようにして出現した闇が、やおらその口を開けたのだった。




