二〇二四年一月十八日木曜日 午後十七時
放課後、私は手芸部の部長に欠席の連絡を入れてから校門を飛び出した。駆け足で電車に滑り込み、いつも以上に帰路を急ぐ。
首元に緩く巻かれたラベンダー色のマフラーや、左肩に圧しかかる重苦しいバッグを煩わしく思いつつも、早足だけは止めなかった。
そうして見えてきた、いつもの通学路の帰り道。1Kほどしかない小さな洋館のような店の、見慣れたウッドボードをようやく視界の端に収める。愛しい我が家、魂の故郷、およびマイスイートショップと言っても差し支えない、祖母と私の仕事場だ。
『Ma1-10Ro13a』は、祖父と祖母が創ったハンドメイド雑貨兼アクセサリーショップの名前である。
ちなみに命名者は祖父だ。大まかには『優れた良いところ』という意味らしく、不思議な響きが気に入ったのだという。また、翻訳しきれない日本語のロマンにすっかり魅入られてしまったそうだ。他にもいくつか名前の候補を作ったものの、『Ma1-10Ro13a』以外はすべて祖母に却下されたと悲しげに語っていた表情を、今も覚えている。
ネーミングセンスの奇抜さからも分かる通り、祖父の手で生み出された作品たちは、どれも見る人を一目惚れさせてしまうような魔力を孕んでいた。いつか祖父のような作品を作って、買ってくれた人に愛されるようなものを生み出すプロフェッショナルになることが私の夢だ。
一昨年、スーツ姿での仕事が多い姉の誕生日にはかなり気合を入れた。設計図の完成に約一週間を費やしたあの作品は、今でも鮮明に思い出せる。ガラスボタンパーツと銀のチャームを付けた、青・水色・白の三色を混ぜた結び編みのブレスレット。仰々しく小箱に収めたそれを贈ると、クールな姉にしては珍しく破顔して喜んでくれた。この一件から、確実に力とセンスは身についている──そのはずだと信じ、邁進する他ない。
ともかく、今は祖父お手製の設計図を片手に修業中の身なので、毎日ひとつの作品を作ることに没頭する日々が、私の日常となっている。
「……?」
家の鍵を取り出そうと視線を動かすと、ドア付近の端の方にひとつの小包が置いてあるのを視界に収めた。
私はそれを拾い上げて、送り先の名前と住所を確認する。
(ん、えーとAins……ああ、いつものお得意様か)
何度か見たことのある綴りに、私は安堵して小包を脇に抱えた。
『Ma1-10Ro13a』には、ありがたいことに海外のフォロワーもいる。それを見るたびにこの店のポテンシャルを再認識するのだが、いかんせん面と向かって会ったことがないのであまり実感は湧かない。
いつも手紙や小包を送ってくるエインスワースさんを始め、オーダーメイドの依頼をしてくれるフォロワーも少なくない。もしかすると急ぎの内容なのかもしれない。どうあれ祖母に確認してもらおう。
私はいつものように鍵を回し、いつものようにドアを開き、いつものように文言を口にしようとした。
「ただい──わ゛ぶっ!?」
ドアを開けた瞬間、私は悲鳴を上げかけた。
というのも、白い物体が私の顔面に向かって突っ込んできたからだ。そのため、両足は玄関に辿り着くことなく小刻みにたたらを踏んで後退した。
衝突してきたその衝撃で首ごと頭を持っていかれるかと錯覚したが、物体Yは私の顔面に張り付いたまま微動だにしない。しかし、私はこの物体Yの正体に心当たりがある。
だんだん息がしづらくなってきたので、私は勢いよく体当たりしてきた家族を力づくで引き剝がした。
「た、ただいまヤマト。今日も出迎えありがとね」
「お帰りなさいませ、ご主人様。お食事? 入浴? そ・れ・と・も、完全飲茶時間?」
(どこでそんな言葉を流暢に学習してくるんだろう……)
秋葉原で働くメイドさんよろしく、器用な猫撫で声で颯爽と出迎えてくれた親友に苦笑を漏らす。
私の肩に留まった小さな親友──ヤマトを初めて『作った』のは、私が四歳の頃だった。
十年以上前の記憶というものは、当人の意思とは無関係に残酷なほど朧気だ。当時の自分が何をどう思ったのかさえ、思い出すことは叶わない。
しかし、深い霧を彷徨うような思い出の中でも、大切なものを照らしてくれる記憶はある。自分の与り知らないところで両親が事故で亡くなったことを知らされたとき、ひとりだけ何も理解できていない私の境遇を哀れに思ったのか、祖父が私だけに秘密を共有してくれたことだ。
忘れもしない。祖父と祖母がふたりで作った『Ma1-10Ro13a 』の、部屋の片隅に残った小さくて日差しの暖かな作業スペース。祖父は私を膝に乗せて、私に小さなパーツを渡しながら白い鴉の絡繰り人形を組み立てていった。主な作業場だった大きな机と何時間にらめっこしていたかは、正直よく覚えていない。
印象的な記憶はひとつ。最後に祖父が仕上げに何か細工を施すと、机に鎮座していた白い鴉はピンクがかった赤い双眸を開く。宝石のような瞳を煌めかせ、汚れひとつとない純白の翼を伸ばすように大きく広げるその姿は、小さな天使のようだった。
そして、祖父が何か話しかけた瞬間──まるでインコのようにこちらの言葉を反芻するようになったのだ。
最初の頃は、祖父と自分が作った鳥が喋るようになったんだ、と純粋に大はしゃぎした。学校から帰ってきたら今日の出来事を日記に記すように熱弁したり、複雑な単語や意味を学習させたりもした。
ヤマトの誕生から今年で十三年目。今ではどこで誰から覚えてきたのか疑問に思うほど言語能力が達者になってしまった。未だにパチモンの翻訳サイトのような喋り方は直せていないが、語彙力や抑揚の付け方など、人間とほとんど遜色ないレベルにまで上達したこの成長具合は、制作者のひとりとしてこれ以上嬉しいことはない。
出迎えてくれた親友が離れていったと同時に玄関でコートとブレザーを脱いだ私は、再度小包を持ち直してリビングへ直行した。
「おばあちゃん、ただいまー。これ、いつもの人から荷物届いてるんだけど、とりま床に置いといていい?」
「おかえり! ああ、そこに置く前に新聞紙新聞紙……そうだ茉楠、クランペット作ったけど今食べるかい?」
「ホントに!? やった! お言葉に甘えていただきまーす!」
帰宅早々テンションが上がった私は、祖母が作ったクランペットを温めるため電子レンジに入れる。マーガリンとメープルシロップを用意しながら、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かした。
温めた後、絶妙な薄焼きのクランペットを齧る。──いつも通り、美味しい。ドライイーストの発酵力が遺憾なく発揮されたこのモチモチ具合は止まるところを知らない。白みがかった生地に溶けたマーガリンが染み渡り、メープルシロップの甘さをより際立たせる。浅草の喫茶店で鍛えられた祖母の料理の腕には、衰えの兆しなど一切見られなかった。
「ランタン」
「ンジャメナ」
「な……ナン」
「ンドレ」
「れ……れ……レントゲン!」
水が沸騰するまで五分、コーヒーが完成するまでおよそ二分。クランペットを口に運びつつ、ヤマトと終わらせる気のないしりとりをして遊ぶ。
「茉楠! 分かってると思うが、七時前にはこっち来て手伝いな!」
私たちが移動する気配を察知したのか、祖母がそんな言葉を投げかけてきた。
「オッケー! 行くよヤマト」
「Aye aye」
祖母の声に適当に返事をすると、私はクランペットを齧りながら、ホットコーヒーを持って祖父の書斎へと向かった。