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二〇二四年二月六日火曜日 午後十七時十六分

 放課後、私と真理愛(まりあ)は狭いカラオケルームで顔を突き合わせていた。

 周囲の壁には大変目に痛々しいほどご機嫌な飾り付け。横長のテーブルにはあらかじめ頼んでおいた飲み放題のドリンクがふたつと、今まで見たこともない一斤の食パンを使ったスイーツ。ここで今さら勝負をせずにターンエンドなんて腰抜け(シャバ)すぎる真似は、到底許されない。

 というより、この部屋から無意味に退出しようとした瞬間、私は力づくで椅子に縛りつけられること間違いなしだろう。さすがにトイレに行けなくなることだけは避けたい。



「アー……テステス。えーそれでは、学校でも言ったけど改めまして……」



 音量を確認しつつ、真理愛は司会者のようにマイクを持ち、大きく息を吸い込んだ。



「運命のマイディア──茉楠!! 誕生日前日オメデト──!! 今日は喉が死ぬまで歌うぜェ──!!」



 前の客の音響設定がリセットされていなかったのか、密室で真理愛の声量に続きエコーがまんべんなく耳朶(じだ)に響き渡る。

 真理愛の大袈裟で派手な宣言通り、今日はふたりきりの誕生日──の前日、もとい前哨戦(ぜんしょうせん)を開こうとしていた。



「ありがとう真理愛。わざわざ用意までしてくれて」


「いやいやお礼言うのはこっちだって! いつも撮影でお世話になっております」


「いえいえこちらこそ、毎度うちの商品をご贔屓(ひいき)にしてくれて」



 お互い律儀に一礼しながら、日頃の感謝を伝え合う。

 持ちうる性質は正反対でありながら、私たちが極めて友好な友人関係を築けているのは「意外と気が合う」だけが理由ではない。

 私は技術と作品を、真理愛は流行とセンスを。それぞれ持ち寄った知識を提供し合い、教え合いながら持ちつ持たれつで成り立っていることも要因だろうと思われる。

 飾る者と作る者。魅せる者と見せる者。それぞれの美意識や価値観は違えど、私も真理愛も互いの愛する美を尊敬し合っている。互いに持たざるものを持っているからこそ、磁石のごとく引き合うのだろう。

 司会者気分は早々に飽きたのか、真理愛はマイクをテーブルに置いてソファに寝転んだ。



「ホントはこのままオールナイトしたいところだけどさーさすがにサボりは嫌っしょ? それにウチが独り占めしたらおばあちゃんに迷惑かけちゃうし。だから今日はウチの奢りだー! 飲め食え歌えー!」


「祝ってくれるだけでも十分だよ。今度は私がお金出すね」


「今日は野暮発言禁止! 二次会は春休みね!」


「オッケー、開けとく」



 入室して早々陽気な調子でマイクを握る友を目の保養にしつつ、私はさっそく目の前のスイーツを口に運ぶため、フォークを手に取った。

 アイスクリームにホイップクリーム、パンから滴るチョコソースの中心には、チョコペンで書かれたバースデープレート。苺をはじめとしたフルーツの色彩が差し込まれ、端々には緑が爽やかなミントが添えられている。とても芸術的で、食べてしまうのがとてももったいなく感じられるほど、映える出来栄えだった。

 真理愛が推してくれた人生初のハニートーストに、私は挑む。ナイフとフォークで切り分けて、いざ実食だ。



「────」



 ──そのとき、世界一平和な爆弾攻撃が舌先へ直撃し、口の中で炸裂した。

 舌どころか神経すら甘やかに痺れるような甘さが、四方八方へとじんわり侵略していく。しかしそれだけでは終わらない。程よく柔らかなパンの触感が新鮮なフルーツの瑞々しさで整い、熱で溶けて染み込んだバターがさらにコクを醸す。そして、食道を通過した後に胃の奥へと突き落とすようなヘビーさが、一口の存在感を物語っていた。カロリーの暴力が五臓六腑という大地を襲う。その後ぺんぺん草も生えない荒野と化すだろう。

 恐るべしハニートースト爆弾。このサイズをひとりで食べ切る人間が実在するとは、とても正気とは思えない。



「美味い?」


「や、ヤバウマ……一瞬意識飛んでた……」


「でっしょ~? ジーザスっしょ~? 絶対好きだと思った!」


「美味しい、んだけどひとりじゃ食べきれないこれ……真理愛も一緒に食べていいよ。好きなんでしょ、これ」


「え、マジ? いいの!? いやー参りましたねー別にそんな物欲しそうにしてたつもりじゃなかったんだけどありたがく頂戴します」



 シェアをする許可を出して数秒で飛びついた正直な友に、二口目のパンを咀嚼し続ける私は手で促した。

 そこから、真理愛がひたすら食べては歌いを繰り返す間、私はひたすら耳を澄ませながら口を動かすことに忙しかった。

 そういえば、カラオケ店でカラオケをするのも久しぶりな気がする。私の中のカラオケといえば、祖母の友人が経営している中年老年入り混じった夜のスナックで、タンバリンでの賑やかしと決まった合いの手がメインだった。そのため、実質貸し切りのような状態で歌う機会は三割しかない。

 祖母の影響もあり歌うのは好きだし、人が歌うのを聞くのも好きだ。特に、今日は歌唱力の高さに定評のある真理愛の歌を独占できることは、彼女に心奪われた少年少女にはあまりに贅沢だった。



「ねー他にリクエストあるー? バースデーソングはまた後でやるからさ……最初の一曲は、マイディアに捧げるぜ」


「り、リクエスト? えーと、リクエスト……あ、そういえば、昔小耳に挟んだんだけど」


「うん?」



 突然真理愛からリクエストをするよう謎の要求をされ、困惑しながらも考える。

 そこで、ふと数年前に学校で聞いた噂への疑問が自然と口を突いて出ていた。



「おばさん? の影響でゴスペルが得意って話、本当? 私、ちゃんと聞いたことなくてさ。おすすめの曲があるなら聞いてみたいんだけど」


「……」


「……」


「……」



 不意打ちにより発生した十数秒の沈黙に、私は居たたまれなくなってたじろいだ。



「…………なんで知ってんの?」


「こ、小耳に挟んで……もしかして地雷だった?」


「いや、そうじゃないけど」



 静寂を破った真理愛の眼差しと声音は、想像をはるかに超えて張り詰めていた。

 真理愛が予想外にも真面目くさった反応をしたため、眉唾としか思えなかった噂は真実だったことを確信する。

 両腕を組んで天井を仰いだ真理愛は、突然割り切ったような顔つきで私に詰め寄った。



「……この話する?」


「したいなら聞く」


「じゃあ聞かす。とりまながらでいいからウチの美声を聞いて、ゴスペルの何たるかを耳に叩き込んだるから」


(あ、これは本気(マジ)だ……)



 そう言って、いつになく真剣にスマートフォンで曲をリストアップする美しい親友を眺めながら、私はハニートーストに舌鼓を打った。

 学校一の美少女を眺めながらスイーツを食べられるなんて、一年前の私が聞いたところで接点に思い至らず信じようとしないだろう。今ですらこの時間が夢ではないかと疑ってしまうのだから。

 すると、歌う曲がようやく決まったのか、真理愛は迅速に立ち上がってマイクを手に取った。



「そんじゃあ最初はゴスペルらしさのある代表曲から! 明日アルバム持ってくるから聞いてね!」


「ありがと……こっちもいくつか予習してくる……」


「ヘイ! 明日という賛美と祝福を、一足早くマイディアに捧ぐぜ──」



 その後、三時間にわたる親友の熱血指導の結果、曲に対してリズミカルにレスポンスできるようになるまでゴスペルを身に刻み込まれることになった。

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