二〇二四年一月十八日木曜日 午前十二時四十分
気づいた頃には、すでに昼休みになってしまっていた。
最近少し味気なく感じる学食のチャーハンを口に運んでもなお、私は未だ思考を切り替えられずにいる。非常によくない兆候だった。考えすぎて日常生活に支障をきたし始めているのが自分でも分かる。
「……お~い、茉楠~? マナスズキ~?」
今日も誰にも相談できるわけもなく、祖父の遺言書の意味を理解できないまま、ただ時間ばかりが虚しく過ぎ去っていくばかりである。
そんな自分が情けなくて、死んだ祖父に合わせる顔もない。
「ちょっと~大丈夫? ウチのこと見えてる? っていうか話聞いてる?」
「……」
「もしも~し!」
「いって!」
昼食中に意識を分散させる私に気が立ったのか、目の前で市販のフルーツサンドを頬張る美少女に指で額を弾かれた。
付け爪をした細い指による小さな衝撃によって、私はようやく我に返った。どうやら、先ほどからチャーハンをほとんど口にしていないことに気づかれたらしい。いつもとは違う、友人の不自然な振る舞いに怪しんでしまうのも無理からぬことだろう。これは上手いこと誤魔化す必要がある。
こちらを睨んでいる友人に応えるため、私は落ち着き払いながら表情を取り繕った。
「……ん? んん、うん、大丈夫だよ。どうかした真理愛? 何の話だっけ?」
「いや、どうって……本当にどうしちゃったわけ? なんか、最近心ここにあらずっていうか……何か、あったの? たとえば、お家に不幸があったーとか? 違うならいいんだけど、いやよくもないけど! ……あ~だからさ、言ってみなよ。気持ちだけでもさ、何か変わるかもだし? 嫌なら無理しなくていいわけだし?」
気落ちする私の様子を察して、まくし立てるように優しい言葉をかけてくれた美少女を見やる。
「あ~もうっ! 結局! 何かあったのなかったの!? 心配だから教えて! くださいっ!」
彼女の名前は井口真理愛。私のクラスメイトにして、高校でできた最初の友人。身も心も学年一の美少女の名をほしいままにする、現役の読者モデルだ。
彼女とは二年次の学園祭準備をきっかけに知り合った仲である。手芸部所属の私が常日頃から製作している衣装やアクセサリーをいたく気に入ってくれただけでなく、祖父と祖母が経営している店のフォロワーにもなってくれた。私にとっては、世界で一番大切なお客様でもある。
真理愛の気遣いに多少申し訳なさを感じつつ、私はなるべく緩やかにかつ簡潔に言葉を選びながら口を開いた。
「不幸かー……いや実はさ、正月早々おじいちゃんの葬式してて」
「え、葬式!!? おじいちゃんってあのおじいちゃん!!? ……あっ、ごめん」
「ううん、いいよ」
綺麗な黒い目を開いて声を荒げた真理愛に頷くと、彼女は一転して私以上に落ち込んでしまった。
善良かつ義に厚い親友に余計な気を遣わせまいと、あえて黙っていた。しかし、悲しむ真理愛の表情を見た途端、気遣いは逆効果だったかもしれないとすぐに後悔した。
「マジか~……ホントにマジ? 超ショック、本当に惜しい人亡くしてる、あ~……っていうか、なんで当日言ってくんなかったの!? 知らない仲じゃないんだし、ウチもお線香上げに行きたかった! っていうか放課後すぐ行く! 行きたい!」
「それは本当にごめん、いろいろショックで言うの遅くなって。今日は……ん? あれ、今日って確か雑誌の撮影日だって言ってなかったっけ?」
「げ」
突然の祖父の訃報ですっかり忘れていたのか、真理愛は露骨に嫌そうな顔をして形のいい唇を歪めた。
真理愛はポケットからスマートフォンを取り出したかと思えば、舌打ちしてすぐに仕舞い込んだ。どうやら今の一瞬で今日の予定を確認したらしい。
「ジーザス……マジタイミング悪」
「今すぐじゃなくていいって、おじいちゃんはどこにもいかないしさ。予定なくて、暇な日においでよ。いつも空けて待ってるから」
「分かった……そんときは連絡するから、絶対見てよね。鬼電鬼LINEスタンプ爆撃すっからね」
「……ん」
こちらを睨むように目を細めた真理愛を見て、私は神妙な顔を崩さず頷いた。
美人ほど怒らせたら恐ろしいものはない。特に、一度こうと決めれば曲げることなど容易にできない真理愛の意志の固さは、半年足らずの濃密な時間を過ごしてきたため、よく理解している。こちらが嫌と言っても、彼女は力づくで無理矢理押しかけてくること間違いなしだ。
今回の場合、休日あたりには訪問してくるだろう。帰宅したらまっさきに祖母に真理愛のことを伝えなければならない。
私が今後の予定に思考を巡らせていると、真理愛は何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そーだ。茉楠、今『Ma1-10Ro13a』って誰が店番してんの?」
「うん、今? おばあちゃんだけど」
「マ? 嘘でしょ、まさか今ワンオペ!? 大丈夫なの?」
真理愛の若干引いた態度と顔を見て、私は慌てて弁明する。
「まあ、あの、あれだよあれ。うちは知る人ぞ知る名店だし、特にうちの店はお得意様がいっぱいお金継ぎ込んでくれるから、それでなんとかなってるんだよ。多分」
「なる。でもさー、おばあちゃんだっていつまでも店番できる歳でもないっしょ? 今日は早めに帰って代わってあげたら? おばあちゃんの方はよく知らないけど、顔は元気にしてたって、心もそうとは限らないんだしさ」
親友の的確かつ真っ当すぎる助言に、私は無言で肯定した。