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二〇二四年一月二十日土曜日 午後十七時三十分

「……そう、ですね。後悔というのは僕自身のことも……そもそも、僕が相手じゃなければ上手くいってたんじゃないかとか、もっと、他にふさわしい方法があったんじゃないかとか、あのとき、まだ何かできたんじゃないかって、何度も……考えました。眠れない夜を数えられないぐらいに、何度も」



 相良さんは、他でもない自分に言い聞かせるかように、かつての行動に対する後悔の言葉を深く刻み込んだ。

 後悔だけではない。ある日を境に、葛藤、呵責、重責──あらゆるプレッシャーが彼の肩に圧し掛かったことは想像に難くない。であれば、彼はこうなった運命を恨んでいるのだろうか。それともかつての自分の選択を呪っているのだろうか。初めて目にしただろう誰かの死を引き換えに繋いでしまった、切っても切れない縁を、他でもない自分が編み出してしまったのだから。

 しかし、彼は人を助けること自体に後悔はしていなかったという。むしろ、自分でさえなければもっと上手くいっていたかもしれないなどと、馬鹿みたいに頓珍漢なことまで言い出す始末だ。



人助け(いいこと)したんだから、少しくらい誇っても驕ってもいいはずなのに)



 ならば、相良紬が魔女であることをやめない理由は──魔女として戦う理由は、何なのだろうか。

 私は、勢いを止めずにさらに踏み込む。



「じゃあ、魔女になったことに対してはどうですか? 後悔……してますか?」



 その行為が善であれ悪であれ、相良紬は数少ない自分の価値観に従って行動した。人知れず、朽ちるように死にゆくひとりの人間に何の思惑も打算もなく、小さすぎる手を差し伸べた。

 ──それは、死を目前にした『彼』にとって、魔法のような奇跡だったのではないだろうか。

 面識もなければ縁さえもない、異国の地で出くわしただけの四歳の少年を前にして、その最期の瞬間に『彼』は何を目にしたのか。見えたもの、その光景は本人にしか分からない。けれど、けして悪いものではなかったはずだと私は思う。

 それは、まるで。



「後悔……は、そう、ですね。みなさんには申し訳ないとは、思ってます。純然たる事実として、僕では力不足だった。正直、魔女の仕事がこれほどキツいなんて想像すらしてなかったというか、この仕事以上にしんどいと思ったことは、今までなかったです。暗くて、悲しくて、目を背けたくなるような残酷な事件が多すぎて……いっそ、死にたいと思ったこともあります。でも、それだけはできなかった。たかがこの程度で死んじゃいけないって、思いました」



 幼いながらに正義感と責任感に溢れ、善行を成したがゆえに降りかかった魔女の試練を、人知れず彼は四歳から始めていた。

 今まで、血を吐くような挫折と泣きたくなるほどの苦難に満ちた道を歩いてきたのだろう。何度自分の力不足をもどかしく思ったのだろう。何度、気が狂いそうになったのだろう。体中を締めつけるような重責を背負い続けて、幼い頃の自分の行いを振り返り続けて、隣り合わせの死に苛まれ続けて、何度も何度も選択を後悔し続けて。

 それでも──



「それは、どうして?」


「僕が自殺すれば、『彼』が今までやってきたことへの侮辱になってしまうから。救いを求めてた『彼』の手を握って、命懸けの約束をしてしまったのは、僕だから。だから、僕が無責任に放り出すことだけは、できないんです」



 ──それでもなお、彼が足を止めることはなかった。

 それはまるで、尊い輝きを放ちながらなお燃え続けることをやめない、よだかの星のようだった。



「相良さん」


「はい」


「私は現場を見たわけじゃないから、『彼』がそのときどう思ったか分からないけど……それでもきっと、相良さんとの約束が、そのときの『彼』にとっての救いになったはずです。相良さんなら次に繋いでくれるって信じた。それは目の前にいる相良さんじゃなければできなかった」



 私は立ち止まって、相良さんの顔を見上げた。



「そうでなければ……『彼』が死に際に笑うことなんて、できないと思います」


「────っ」



 相良さんの息を吞むような音が、かすかに聞こえた気がした。



(そうだ。『彼』は泣いてても怒ってても、()()()()()()()()()はずだ)



 星になった彼の決意を、私は覚悟するとき思い出すだろう。

 心が竦んだとき、星を見上げるように思い込むだろう。一滴の、決意の光を思い返すだろう。

 ──きっとそれは、死に際の『彼』も同じように思ったのではないだろうか。すれ違うように出会ったばかりの子どもに、あろうことか死ぬより過酷な運命を背負わせた。死の時間が迫る中で、葛藤も呵責もあったかもしれない。それこそ、一切合切上手くいく保障など、どこにもなかっただろう。

 それでも、『彼』は信じて目の前の子どもに託すしかなかった。隠れるほど小さな一握の可能性に、すべてを懸けたに違いない。



「……そう、だと、いいんですけど」


「そうですよ、きっと。相良さんは正しいことをしたんです。そもそも人助けしたんですから、もっと胸を張っていいと思います」


「…………」



 私は『枯死』の魔女が相良さんでよかったと、心から感謝する。

 彼がどれほど自分の選択を後悔していようと、彼の行動によって救われた人が存在するのは動かしようのない事実だ。

 人を助ける動機が子どもの気まぐれでも、持ち前の正義感でも、無謀でも無様でも構わないだろう。

 死にゆく人の手を取った。それだけで運命がより良き方向へ向かうなら、その一瞬は誇るべき勲章になるのだから。



「そう、だと、いいですね……」



 鼻詰まりを直すような音が聞こえたと同時に、相良さんは雲を見上げてそう呟いた。

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