二〇二四年一月二十日土曜日 午後十七時十四分
気を取り直して、私は意気揚々と次の質問を口にした。
「それじゃあ……相良さんは、どういった経緯で魔女になったんですか?」
魔女の起源は諸説紛々とされる。
たとえば、世界四大文明の興りを魔女のルーツと仮定して順当に考えるのであれば、やはり紀元前三千年を超えるエジプト神話の神々──女神イシスこそが、その源流といえるのだろうか。はたまた、ユダヤ神話に名高き女性悪魔にして「世界最初の男女」で有名なアダムの最初の妻、リリスはどうだろう。
しかし、やはり魔女という単語で圧倒的知名度を持つ最古の記録といえば、古代ギリシャでお馴染みの『イリアス』や『オデュッセイア』が挙げられるのではないだろうか。どちらも紀元前八世紀頃に作成され、作者とされるホメロスによって紡がれた長編叙事詩だ。ちなみに、旧約聖書にも魔女は登場するそうだが、こちらの成立年は紀元前四世紀から五世紀とされている。そもそもの話、「二十一世紀を生きる私たちがイメージする魔女」と「叙事詩および旧約聖書成立時点における魔女」では、本質的に意味合いがまったく異なるのだが、長くなりそうなので今回は割愛する。
要は、日本で真っ当に生きていれば、おそらく無宗教者であろう相良さんと外来宗教における異端なりし魔女との間では、因果関係が成立しない。言い換えれば、それこそ人生が一変するほどの出逢いがなければ、私や祖母のように魔女になることはないはずである。
つまり、現時点での私の推測はこうだ。
(本質的に魔女概念が発生しない土地に生まれた日本人が魔女になるためには、海外出身の魔女と接触しなければ因果関係が成立しないのでは?)
もちろん、推測材料であるサンプルケースがたったのふたりしかいないので、状況証拠とそれらを受けた予測によるこの憶測は、成り立たないものかもしれない。
しかし、当事者となってしまった私は半ば確信を得ている。──相良紬もまた、私や祖母と同じく海外で生まれた魔女と接触したことで、魔女になったのではないか、と。
「────きっかけは、僕が四歳のときでした」
すると、今にも降り出しそうな鈍色の雲より重苦しそうに、相良さんは口を開いた。
「いつもみたいに外で遊んでいたら……真っ黒な肌をした大きな男の人が、たくさん血を流して倒れていたのを、見てしまったんです」
「……」
「僕が見つけたら、『彼』に見つけられてしまって……幼いながらに尋常じゃない事態だったことはぼんやり理解はしてたので、『彼』の手を握って、言ったんです。僕にできることはあるか、と。そしたら『彼』は息も絶え絶えで、死の間際だったから少ししか聞き取れなかったけど──『契約をしてくれ。魔女の秘密を守ってくれ。誰が相手でも、隠し通してくれ』って、僕の親指に文字の書かれた指輪を嵌めて……その瞬間、『彼』の体が光の砂のように崩れて、風に吹かれて消えてしまった」
相良さんは、不意に空を見上げて、目を細めた。
「白昼夢を見てるような、不思議な出来事だった。僕以外誰も『彼』を見ていなかった。両親に伝えても信じてくれなかった。……けれど、僕は片時も『彼』の言葉を忘れることはなかった。表情も、声も、手の温かさも、僕は全部覚えてる」
「……」
「魔女の寿命のひとつは、『彼』が死んでずっと後に知ったんです。数百年以上生きる魔女は、他者に魔法を譲渡すると世界の恩恵を失って死んでしまうって。僕は、『彼』にとっての大事なものは託されたけど、『彼』自身を救うことができなかった。あの場所には僕しかいなくて、僕だけが目の前にいたのに、ただ約束することしかできなくて。崩れて砂になった『彼』を、見ていることしかできなかった」
一呼吸おいて、彼は言葉を続ける。
「──なのに、誰ひとり、僕を責めなかった。それどころか、『彼』の部下だった人に『孤独だった彼の意志を継いでくれてありがとう。何も分からないのに手を差し伸べてくれてありがとう』って、泣いて頭を下げられて……それが、なんだかすごく苦しくて……すごく、悔しかった」
「…………」
「そして、思った。あの場所にいるべきは、僕じゃなかったんだって。『彼』が生きて、あの場所に立つべきだったって。いろんな人が『彼』の死を悼んだ。仲間の死を悲しんでいた。僕は……今も慕われてる『彼』を殺した相手を、絶対に見つけ出すって決めたんです。そして──『枯死』の魔女は、絶対に僕の代で終わらせるって、決めました」
悔恨と罪の意識が、相良紬を魔女にするよう決意させたのだろうか。
砂塵と散った先代の無念を、生来の正義感と責任感の強さをもって受け継ごうとした。彼はただ、目の前で困っている人を見捨てなかっただけだ。当時の彼にとっては、ただ当たり前のように手を差し伸べただけで、おそらく大した理由なんてなかっただろう。
──少年の胸に灯った、ひとつの感情を除いては。
(それは……それは、誰にもできることじゃない)
何も見えない闇の中を歩き続ける途方もない使命を、ただ個人的な感情で果たそうとする彼の志は、とても美しいと思った。心を揺さぶられるほどの決意の光を秘めていた。同時に、あまりに馬鹿げていると思う。この、馬鹿が付くほどの馬鹿みたいな善良さは、もはや大馬鹿と言ってもいい。
彼だけではない。──夢のような死を受け入れた祖父も、夢のような死を知りながら認めた祖母も、大馬鹿野郎だと思った。
(……痛い)
そこで、知らず知らずのうちに、私は痛覚が正常に働かないほど自分の拳を握り締めていたことに気づく。それが、なぜかすごく恥ずかしくなった。
私は隣を歩く相良さんに知られてしまわないよう、そっと両手の力を抜いて、もうひとつ彼に尋ねる。
「相良さん」
「はい」
「相良さんは……自分が『彼』の手を取ったこと、後悔してるんですか?」
──私は、他でもないこの人に聞くべきだと信じた。
私が魔女となることで、これからどんな運命を歩むに至るのか。その片鱗を、ほんの少しでも掴むために。




