二〇二四年一月二十日土曜日 午後十六時五十五分
当然、私が相良さんに謝られるような事例に心当たりはない。
謝る必要があるとすれば、出会い頭で迷惑をかけた私と、出迎えて早々服をひん剥いた祖母にあるはずだ。
確かに、仮にも同僚の葬式に理由もなく単純に遅刻するのは、一社会人としての基準で考えるなら少しだけどうかとは思う。しかし、個人的な印象を思い返してみると、一般的な罪悪感を持つ相良さんがわざと遅刻したようにも思えなかった。本質的にどちらかといえば「時間にルーズでのらりくらりとした、真面目で優しくて影の薄い人」というよりも、「自分の見た目に頓着せず他人に関しては病的なまでに気にしいな、真面目で優しくて影の薄い人」であるような気がする。
純粋に疑問を抱いた私は、しょげる相良さんに尋ねてみる。
「……謝るようなことしました? むしろ謝るべきはこっちでは? 落ちてたところを相良さんに助けてもらいましたし」
「いえ、そういう意味ではなくて……その。もっとましなお供え物を持って来ればよかった、と思って」
「ん~? 別にそこまで気にしないと思いますよ? わざわざ来てくれたお客様に目くじら立てるような人じゃないですし」
「でも……」
相良さんは少し考え込んだ後、やがて納得したのかおずおずと首肯した。
「……茉楠さんが、そう言うなら。お言葉に甘えて」
言うや否や、相良さんは紙袋からアレンジメントされた花を取り出し、プリンの横に寄り添うようにそっと置いた。
そして、彼は改めて仏前に正座して一礼する。わざわざ購入したと思われる高そうな線香を一本取り出し、プリンの隣に供えてあったマッチ棒で着火した。
マッチ棒の燃える火の匂いと、線香の煙とともに独特の芳香が、室内を満たしていく。りん棒を摘まむように持っておりんを鳴らし、相良さんは小さな仏壇にいる祖父に向けて手を合わせた。
灰色の静寂の中、おりんの優しく凛とした音が波を打つ。
「…………」
音の波紋を受けて、私は思い出す。祖父の葬式の日。あの人に対する、最初で最後の心残り。
祖父が亡くなったとき。葬式のとき。火葬された瞬間を見たとき。私は──泣かなかった。
長い命ではないことは、あらかじめ祖母から説明されていた。祖父も黙って肯定した。いつ死んでもおかしくはなかったという。だから、その日まで心置きなく祖父と向き合うようにした。そのときがくる覚悟は、事前にできていた。
覚悟──と例えはしたが、やはり少し違うかもしれない。当時の気持ちとしては「物語の終盤を事細かくネタバレされた上に、絶対に驚くなと強く念押しされた」ような、そんな感覚に近かった。
人は、生きていればいつかは死ぬ。実感はなくとも、高校生にもなれば理屈も感情もある程度は呑み込めた。深く吞み込みすぎた結果、泣くこともできなかった可能性ももちろんあるが、そこは自分でも未だに明確な答えを持っていない。
しかし、不思議と祖母も泣いていなかった。笑いも泣きもせず、むしろ誇らしげに──まっすぐ、毅然と立っていた。
結局、祖父と祖母の関係性はずっと謎のままだった。魔女の師弟と夫婦という間柄は、一見釣り合っているようには見えない。おしどり夫婦というよりも、背中合わせで切り抜けた長年の戦友のような、他人から見ても摩訶不思議な愛の形であるように思う。
変わったことといえば、葬式の日は不思議と鳥が多く飛んでいて、いつも聞こえる以上に多く鳴いていたような気もする。私たちの与り知らない遠くから、一連の流れをこぞって見守っているような──そんな気がした。
(私は、泣けなかった)
大好きな家族が死ぬのはもちろん悲しい。悲しいが──しかし、突き詰めればそれだけだった。
祖父と過ごした日々に後悔はなく、偉大な先達への技術的な未練もない。だからこそ、より一層いつもの私であろうと振る舞った。
なぜかと問われても──泣いて暮れるだけの日々なんて、あまりにもったいないから。それに、そんな非生産的なことを、祖父は絶対に望まなかっただろうから。
それでも、悔いは残った。これからの人生で多くのことを覚え、忘れていくとしても、これだけは死ぬまで忘れないだろう。
そう断言できるほどに深く、私の心に突き刺さって抜けない杭のような事実だった。
(──私は、泣いてあげられなかった)
それだけが、私の人生の指針だった祖父に対する、唯一の後悔だった。




