二〇二四年一月二十日土曜日 午後十六時四十三分
今日のおやつは趣向を変えて、あんみつである。
中区伊勢佐木町に本店を構える、戦前から続く甘味処のデザートは祖母曰く友人からの貰い物らしい。賞味期限間近のため、一足早く手を出すことにした。
私はコーヒー党であるため、基本的にコーヒーに合う洋菓子を選んで茶請けにすることが多いのだが、コーヒーを飲みたいあまりおやつに和菓子を選ぶこともしばしばある。これは自論だが、きな粉と黒蜜とホットコーヒーのコンボは合う。
個人の趣味嗜好はさておき、糖分を求める私はあんみつの蓋を取った。宝石店のジュエリーのように配置された小倉餡に求肥、みかんなどのフルーツと赤えんどう豆。崩すのは名残惜しく感じるが、それらを雪崩のように寒天と合流させ、お待ちかねの黒蜜の封を切る。
滴るような黒蜜が夜空のごとく透明な寒天を満たしていくのを見るのは、いつだって楽しい。日本人は大豆が好きすぎるのはDNAに縛られた宿命だとして、日本生まれかつ日本育ちの私もまた、餡子の魅力には抗えないのだ。
黒蜜を浴びた餡子と寒天、求肥をまとめてスプーンで掬い、一気に頬張る。
──そのときであった。突き抜ける美味は大気圏を越え、そして月をも越えた。距離にしておよそ三十八万キロの美味しさが稲妻のように駆け抜ける。なるほど、自分で例えておいてわけが分からなくなった。
頭と心を同時に癒す甘味に最後まで舌鼓を打っていると、足音とともに廊下に繋がるドアが開け放たれた。
「し、失礼します」
「あ、おかえりなさい……わ、雰囲気変わりましたねー」
「…………はい。おかげさまで」
リビングに入ってきたのは、どことなくやつれたような相良さんだった。
祖母の手直しにより、ようやった年相応と判断できる容姿になった相良さんは、羞恥と情けなさと申し訳なさで所在なさげにしている。二十代の薄弱そうな若者が七十間近の精悍な老女にいいようにされるのは、孫としていささか心苦しいものを感じた。
小さな罪悪感に蓋をして、私は相良さんの用事を尋ねる。
「それで、結局ご用件は何でしたっけ?」
「えーと……マシューさんの、その……ご冥福を、祈りに」
「え、おじいちゃんに? おばあちゃんでなく?」
どこか自信なさげに切り出された予想外の用件に、私は目を見開いた。
名前の通り、彼はどこからどう見ても日本人だ。この家の住所を知っていたということは、おそらく近所に住んでいるのだろう。にもかかわらず、二週間も経過してから現れたということは、何かしらの理由があるはずだ。たとえば、連絡が入るまでどこかで重要な仕事をしていたとして、当然葬式当日など間に合うはずもない。仕事明けに今日顔を出した、と考えれば納得はできる。
相良紬は、祖父と祖母以外で初めて出会った魔女だ。彼が担当している仕事内容はまるで見当もつかないが、それだけ魔女の仕事とやらはハードなのだろうか。
私は戦々恐々としながら続きを促した。
「ええ。本当に、遅刻してすいません……連絡もらったのに気づいたのが五日で、そこから……いつの間にか二週間も経ってて……これは駄目だと思って、ようやく今朝出れて……」
(……ええ?)
その言葉が事実であれば遅刻も遅刻、大遅刻だった。
類稀なルーズぶりとプランニングの壊滅さに内心引いたが、初対面の相手にあからさまなマイナス感情などご法度もいいところ。顔の筋肉を総動員して懸命に頬の歪みを堪えた。
私は強引に話の軌道を逸らすため、努めて自然に何かを思い出したように口を開く。
「あーっと、おじいちゃんならリビングの!! 仏壇に!! いらっしゃるので!! どうぞご自由に!!」
「あ……はい、ありがとうございます。失礼します」
逸らすこと自体には成功したものの、重苦しく煩わしさの残る空気感は大分怪しい。勢いに流されてくれた相良さんに心の中で感謝した。
視線の先には私の身の丈半分ほどしかない、ステージタイプの小さな手作り仏壇が見える。そこに正座しようとした相良さんは、そこで急に動きを止めた。何かおかしなものでも発見したのだろうか。
なぜか深刻そうな彼の様子を見かねて、私は声をかけた。
「……どうかしました? あ、マッチが必要ならその箱の中に予備が入ってますよ」
「マッチは、はい。お借りします……そうではなくて」
そう言うと、相良さんは私が用意した供え物に指を指した。
「その、プリンがお供えしてあるんですけど、これはいったい……」
「ああ。それ、おじいちゃんの好物なんです。心配せずとも毎週置いてますよ?」
「あ、そうなんですか……えっと」
「はい?」
「その、ごめんなさい」
ここに来て特に悪いことをしたわけでもないのに、相良さんは申し訳なさそうに謝った。




