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二〇二四年一月二十日土曜日 午後十六時十一分

 一瞬で声の人物が男性だと判断できたのは、優しげで頼りなさげなのにどこか芯の強さを感じられる、その音と性質からだった。

 馴染み深い煙の匂いにおそるおそる目を開けると、男性──若い青年の顔が見えた。しかし、見えたのは顔の右半分だけで、見ているこちらが鬱陶しく感じるほどの灰色の長い前髪が、私の視界の大部分を占めている。意味ありげに隠されていたその素顔は、道先ですれ違っても記憶に残りにくいほど、あまりに普通だった。


 全体的に普通すぎて、あまりに遊びがなさすぎて、むしろ不自然だと思った。


 恰好からしてもそうだった。無難な黒のダッフルコートとわずかに見える白いワイシャツ、インディゴのジーンズとシンプルな黒のスニーカー。言い方はよくないと理解しているが、どことなく若い浮浪者めいた飾り気のなさが全身から窺える。

 探せばどこにでもいそうな、しかし結局はどこにもいないような、蜃気楼のような人だった。



「……」


「……?」



 忙しなく上下に動く私の目は、青年の黒い瞳と視線が合ってようやく停止する。

 しっかりと状況分析をしたところで、私は我に返った。兎にも角にも、彼のおかげで私の命は助かったらしい。

 私は目の前の青年に感謝の意を述べるため、恐怖と渇きで閉じた喉を無理矢理開いた。



「あっはい……ありがとうございます……大丈夫、です」


「よかった。……あ、立てますか?」


「た、立てます。立ちます。ありがとうございます」



 自分でもか細いと思った声は、優しい青年の意に介さなかったらしい。しかも、青年はわざわざしゃがみ込んで、ゆっくりと私を降ろしてくれた。私は心の中で言葉にできない感謝の正拳突きをしておいた。


 しかし、私の命が助かろうと青年に礼を述べようと、最悪の事態が変わるはずもなかった。


 まず、この状況はかなりよくない。修行を開始してたったの半日でもう暗黙の了解を破ってしまったことに、私は脳内で頭を抱えた。神秘とは魔力と秘匿性と親和性が云々、と般若の顔で包丁を持った祖母のイマジナリー激怒が徐々にフェードインしてきており、さらに焦燥感を煽る。

 誰か、どうか切実に教えてほしい。なぜ私は空から落下してきたのか、なぜ箒に跨りながらだったのか──見ず知らずの赤の他人に、論理的な指摘と拒否できない疑問を呈された場合、どう答えるのが正解だというのか。

 そもそも、万が一目撃された場合の言い訳をまるで考えていなかったことに気づいた頃には、後の祭り。今さら冷静になってポーカーフェイスを努めようと、水面下ではわっしょいわっしょい──ではなく、かなりのパニック状態であることがお分かりいただけただろうか。

 とにかく落ち着こう。自分の対策不足を後悔しようが、こうなれば私から話を切り出さないことには話が進展しない。ここはどんなに弁明が苦しかろうが、この場しのぎでも切り抜けるべきだろう。そう、たとえそれがどんなに怪しい大嘘だとしても、何もせず現状を放置するよりましなはずだ。

 そう思い直し、私は言い訳がましくもどうにか誤魔化そうと口を動かした。



「あーっと、これは、えーと……れ、練習、そう練習! いやーお恥ずかしいんですが、実は祖母の教えで! 魔女を体感せざるを得なくって! そう、だからこれは体を張ったリアリティの追求で──」


「はい、見てました。すごかったです。僕なんてろくに飛べもしないので、少し羨ましいです。高いところとか、怖くないんですね」


「……は?」



 青年のどこか的外れな返答に、私は胸を突かれた。

 ──青年の発言を脳内で反芻してみても、やはりおかしい。空から降ってきた人間にかける第一声もおかしいが、一番は青年の冷静かつ主観的なこの態度だ。見たところ、彼は人が箒で空を飛ぶことに疑問を抱いておらず、それどころか当たり前の事実であるかのように受け入れてすらいる。

 私は、仕事のしすぎでくたびれたサラリーマンのような印象が拭いきれない青年を、まじまじと観察した。



「……」


「……?」



 この、強烈な違和感の正体に心当たりがあった。

 同じ話題を話し合っているにもかかわらず、いまいち話が噛み合わないこの感覚にも、不思議と身に覚えがあるような気もする。

 黙り込んだまま私が目を白黒させていると、青年は思い出したかのように訥々と口を開いた。



「あ……初めまして、ですよね。僕は相良紬、です。男ですけど、紅さんと同じ……魔女、やってます」


「あっはい、初めまして。……三代目の鈴木茉楠、です」



 私を助けてくれた青年──相良紬の口から祖母の名前が飛び出した瞬間、私の中のすべてにおいて得心がいったのだった。

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