二〇二四年一月二十日土曜日 二時限目
二時限目の薬草学が始まるや否や、祖母は私の目の前に厚みのある本を何冊も積み上げた。
「じゃ、ひとまずここに描いてあるハーブと毒草それぞれ百種、覚えな」
「純然たる知識の暴力!!」
「アンタみたいなペーペーに霊薬調合はまだ早い。ンで、前段階のシミュレーションも兼ねて、まずは芳香魔術を習得してもらう」
「……アロマクラフト?」
芳香魔術。
原点である魔女魔術から派生した、調香による魔術へのアプローチを確立した比較的新しい技術らしい。調香による精神作用や服用による鎮痛作用を持つ魔術などもこれに含まれるという。
魔女と植物は歴史的にも縁深い。魔女の大半が農民であった時代は、人に毒を盛るだけではなく、家畜の殺害や農作物に被害をもたらし生命財産を脅かすとされ、集団告発される事例もあったという。
閑話休題。
香りとは、つまるところエッセンスだ。そしてエッセンスとは、素材の厳選と組み合わせで相性が決まると言っていい。
花や葉、根、果物の皮といった原料植物を蒸す、搾るなどの抽出作業を通して初めて、ようやく香りという成分が手に入るのだ。どうしたって正しい知識と持続性のある根気が必要なのは、この時点でうっすらと理解できる。
本来であれば、気が遠くなるような時間と手間をかけて製作するはずなのだが、時は金なりといった概念は当然魔女や魔術師にも当てはまる。そこは時間圧縮鍋という祖父お手製の道具で時間短縮ができるらしい。テクノロジーの壁をあっさり飛び越えてみせる魔術は、ハンドクラフト作家の味方でもあったようだ。ただ、必要とする人に向けて特許が出せないという一点が地味にもどかしく思う。
しかし、肝心のエッセンスの要である精油を一キロ手に入れるだけでも、原料植物によって採取できる量はそれぞれ異なるらしい。聞いたところによると、たとえばラベンダーなら多くても二百キロほど、対してバラは最大で五トンも必要とするそうだ。
大量消費から得られるものは、砂金ほどのわずかな成果。なるほど、魔術の極致とはこのことだろう。
「ってェわけで、ドライハーブとドライフラワーのストック作成から始めつつ、サシェ・精油にアロマオイル・調香レシピを参照した香水・ポプリ・アロマキャンドルの順に攻略してってもらう」
「うおおお隙なしのフローチャート……」
怒涛の勢いで羅列されたフレグランスアイテムと思しき単語を浴びせられながら、それに比例してレシピ本も積み上がっていくのを眺める。
これから始まるフローチャートの一歩目、見据えるゴールははるか彼方だ。遠い、物理的にも道のりが遠すぎる。
圧倒的情報量の嵐に呑まれ、すでに意識を半分手放しかけながらも、私は弱々しく挙手した。
「あのー……」
「ン?」
「これ、マジでやんなきゃ駄目なやつ?」
「あン? アタシは別に鍋爆発させながら体で覚えてもらってもよかったがねェ……そこまで言うなら」
「やりま~す」
私は右手を引っ込めて潔く着席した。
占星術など使わずとも容易な未来予測だった。私の絶叫と、後方で見守る祖母の腹が立つ高笑いが幻聴のように響いてくる。
「……さァて、アタシは久々にガーデンの手入れでもすっかねェ。織姫、手伝いな」
「ハイハーイ! 勉強ガンバってネ、姫様ー!」
「いってらー……」
そう言って、ふたりはエンシェント・ガーデンの『外』に続く扉の先へ消えていった。
「……ふぃー……」
姿が見えなくなったふたりを見送って、私は溜まりに溜まった息を吐いた。
勉強は、どうしても理解できないと放心するまでは嫌いにはなれない。分野の得意不得意は当然ある。加えて私には、姉のような誰もが認める優秀さも、涼しい顔でこなせる要領の良さも、人目を惹くような美しさもない。
それでも──祖父は、祖母は私の才能を認めてくれて、魔女の弟子にしてくれた。ならば、認められた私が信じなくて、他の誰が信じられるというのだろう。
「……よーし、頑張るぞー!」
私は一度伸びをして、机にある本に目を向けた。
それにしても、祖母は私を調香師に転職させたいのだろうか。もし魔女が廃業になる未来があれば、その選択肢もありだと思っているが。
「……あ」
そこで、私は思いついた。
『Ma1-10Ro13a』に、新しく自作のアロマグッズを展開するのも悪くない。──むしろ、すごくいいかもしれない。もちろん魔術的なあれやこれやは抜きの、一般向けの販売物としてだが。
店の新事業展開を思うと俄然燃えてくる。先ほどの途方に暮れて頽れそうになった精神とは打って変わって、ものすごく目が冴えてきた。
(だとしたら、資格とかちゃんと正式に取っておいた方がいいのかな……後で探しとこ)
気を取り直して、私は積み上がった本の一冊を手に取って、栄えある一ページ目を開いた。




