二〇二四年一月十八日木曜日 午前八時三十分
JR根岸線の電車に揺られて、目的の駅から下車して徒歩で約十五分。
駅まで辿り着く頃には、同じ鳶浦高校の制服を着た生徒たちが距離を保ちながら、まばらに登校する風景が嫌でも視界に入るようになる。
「おはよう」
「おはよ~!」
「ねー昨日のさ……」
「ダリ―帰りてー」
今日も今日とて、学校の廊下から響き渡る少年少女たちの喧噪、果ては朝のSHRですらまるで耳に入らない。
それというのも、すべての元凶は祖父が私に宛てた例の遺言、その内容である。
──『信濃柿だけは死んでも食べちゃダメだし、じゃがいもにだけはなってはいけない』
私が遺言書を発見したのは祖父が死んだ翌日、つまり元旦の朝だ。私はその日から祖母にも隠れてこの内容の意味の解読に時間を費やしている。最近の授業中では眠気覚ましのいいお供だ。
なぜ、信濃柿を食べてはいけないのか。なぜ、じゃがいもになってはいけないのか。理由が何ひとつ、皆目理解できない。比喩が難解すぎるあまり、この一文だけで何度チープな頭を抱えてしまったことか。
現時点で判明している共通点は、指定された固有名詞がどちらも植物であるということ。
そもそも、順当に考えれば普通は逆ではないだろうか。じゃがいもは生で食べてはいけないものだが、成るとはどういうことだろう。私の辞書にそんな意味は載っていないので、私の知らない何かの暗喩かと思われる。
現地人と見紛うほど流暢な日本語を話していたが、私の祖父は生粋のイギリス人だ。ということは、はるか海の向こうではポピュラーな例え話や慣用句だった、という可能性も十分に考えられる。ただ、意味の候補が多すぎて未だ縛り込めていないのが真下の悩みでもあるのだが。
祖父が亡くなって──もっと言えば解読開始から、今日で十八日目。これといって何の糸口も見つかっていなければ、何の意図も汲み取れていない。
祖父は冗談を口にするのも憚らない人だったけれど、家族に対して嘘はつかない人だった。無意味なことはしない人であるはずだ。遺言書まで遺した以上、そこには絶対に何か意味があるはずなのだ。漠然とした直感と家族に対する責任感が、今日も明日も変わらず私を突き動かす。
この遺言書を通して、祖父は私に『何か』を訴えている。誰にも、直接伝えられなかった『何か』を、他でもない私に伝えようとしていた。だから、祖父に名指しされた私だけは、絶対に放り出すわけにはいかない。たとえ、私だけが真実を知らされず、仲間外れにされていたとしても、絶対にだ。
私は、顔を上げて窓の向こうの空を盗み見る。
(それにしても……おばあちゃんでもお姉ちゃんでも駄目なら、なんで私だったんだろ……)
──その疑問に答えてくれる人は、もういない。