二〇二四年一月十八日木曜日 午後二十時二十六分
諸々の事情を把握したところで、祖母は私に言い放った。
「結論から言うよ。アンタが今のまま『夢死』の魔法を使えば、相手は死ぬ」
いきなり人のやる気を挫く、あまりに夢のない結論を顔面に食らってしまった。
この期に及んで嘘をつかれているとも思えず、私は恐怖半分疑惑半分で尋ねてみる。
「……マジで言ってる?」
「アタシがマジじゃないときがあったって?」
「……」
いろいろと抗議したい気持ちはあったものの、真剣なときの祖母の圧もまともに食らい、閉口せざるを得なかった。
祖母がわざわざ口に出して言うということは、それは曲げようのない事実なのだろう。
「さっきも言ったかもだが、魔法と魔術じゃあ格が違うし、用途も違けりゃ規模も違う。要は殺さないための調整を覚えンのさ」
「調整……どうやって? どこから手を付ければ?」
「これさ」
そう言うと、祖母は右手で魔力を操作して、素早く何かを引き寄せる。
右手に引き寄せた物体を見せつけるように、瞠目した私の前に突きつけた。
「……紙?」
「紙を媒体にした魔術でね。アンタには、アタシがジジイに教わった魔術を会得してもらう。魔法に手を出すのはそれからさ」
「じゃあ、これから魔術で力の調整をするってこと?」
「……今話すのはフライングになるが、それこそ今さらか。だったら耳かっぽじってよく聞きな。少し、講義をしてやろう」
そう言って、祖母は剽軽な声音で話し出した。
──とある魔術師曰く。魔術とは、知識であり、学問であり、文化であり、文明であり──それらすべての土台となった神秘を真の意味で解明するための、選ばれた者が使用できる神聖な道具である。
その道具の力は地上に、天空に、さらにははるか彼方の天体にまで及んだ。過去に失われた古代魔術では、偉大な神々の権能を借りて、彼らが司る力そのものを操ろうとしたという。その当時の科学的な発想と斬新な不敬さを考えると驚きを禁じ得ない。
しかし、時の流れは神秘に対しても残酷だった。かつて賢者と呼ばれた者は魔女になり、魔法使いと呼ばれた者は魔術師になった。
本来、魔法使いと魔術師に明確な違いがなかったように、魔法や魔術にも差異はなかった。力のすべてが魔法だった。それが後世になって区別されて呼ばれるようになったのは、科学技術の飛躍的な発達により、多くの魔法が魔術に格下げされたことが一因として挙げられる。
神秘を取り巻く世界では特段珍しいことではないらしい。それは、神だったものが外来宗教の影響で悪魔や妖精とみなされるようになったのと理屈は同じだ。一層特別だったものが特別になっただけ。事情を知らない者が見れば大した差はないように感じられるだろうが、実際の力量差はまさに月とスッポンだ。
「魔法であれ魔術であれ、神秘の業を成立させる条件は──ずばり、魔力と秘匿性と親和性。根源的な力があればあるほど、秘密の力が強ければ強いほど、完成度が高ければ高いほど……強い。これが戦闘に転用されるとどうなるかってェと、最終的には自分らが扱う能力の押し付け合いになる。より相性の優れたものが勝ち、より洗練された式が生き残ることを許される」
この現象を真に理解しているであろう人々は、たった数世紀で変わっていく世界を前にして、神秘という一点ものの価値の下落をどれほど嘆き悲しんだことだろう。それは、この世で最も輝いていた宝石が、次第に何の価値もない石ころになっていくのを見続けるようなものではないか。宝物がごみに成り果てていくのを受け入れるのは、自分が死ぬことより絶望した人もいたのではないだろうか。
しかし、だからこそ私はこうも思う。
幾多の神秘が葬られようと、何千回名称が変わろうと、気が遠くなるほど長い年月が経とうと──そこに込められた本質は、絶対に無くならない。
きっと、根源的には人の命も同じようなものであるような気がする。
たとえ魔術が使えなくとも、私たちは火を起こす方法を知っている。多少遠回りになろうと、原理さえ把握してしまえば、魔術の代替手段はいつだって私たちのそばにある。
その核には、神秘性も秘匿性も失われてはいないだろう。
(それでも……)
それを知っていながら魔術に魅了されてしまうのは、未だ科学では手の届かない領域に、直に触れられるからではないだろうか。
模倣だけでは得られない。代替ではとても満足できない。渦巻いた欲望は、時に人を混沌へ導く。
魔術師の中には、時代に逆らってでも過去の輝きに耽溺したいと願う人が、抗いがたい魔力に身をやつしたいと思う人が、少なからずいるのではないだろうか。もしそうであるなら、その気持ちは痛いほどよく分かる。
「マ、細かい話だの知識だのは後で覚えりゃいい。大事なのは実践、だろ?」
「出た、いつもの叩き上げ」
「ハッハッハッ、そンな不敬な弟子に朗報だ。魔術は叩くだけじゃ使いモンにならねェ。ある程度慣れたら抜き打ちテストしてやるから覚悟しな」
「うえええ嫌な響き……」
──誰だって、一度でいいから魔法使いになりたいと夢想するものだから。
気づけば時刻は二十二時をとっくに過ぎている。いつもであれば夜更かしタイム突入──なのだが、今日ばかりはそういうわけにもいかない状態だった。
祖母との軽い話し合いにより、本格的な魔術の勉強は二日後の土曜日までお預け、ということで本日は閉店と相成った。
(…………)
あらゆるものからようやく解放されたため、ただひたすら呆然とするのも致し方ないことだろう。
(……どっと疲れた……)
我ながら無理もないと思うが、とてつもなく頭が痛い。
かつて完食した家系ラーメンより濃い情報の重さに、精神が泥のように溶けて沈みかかっている。一日で摂取していい情報量ではなかったようで、力を抜いた途端に強烈な睡魔が襲いかかってきた。
もはや夜更かしする気力も体力も残ってないので、今日は大人しく寝て明日に備えた方がいいだろう。
「……ヤマト、おやすみー」
「おやすみなさい、また明日」
ヤマトがスリープモードに入ったのを確認した後、私は部屋の電気とエアコンを消し、いそいそと羽毛布団に潜り込んだ。
(…………)
眠気と疲労が強いはずなのに、考えなければいけないことが山のように多い。
良かったこと、悪かったこと。整理する事柄が次から次へと煉瓦のように積み上がっていく。
祖父のこと。祖母のこと。ヤマトのこと。姉のこと。両親のこと。魔女、魔術師、魔法、魔術──
(…………)
──大切なことを、覚えていなければならないようなことを、いつも忘れている気がする。
しかし、今となってはそれが何のことだったかさえ、私はまともに思い出せた試しがないけれど。
(…………ま、どうにかなるか)
今夜のレム睡眠を覚悟して、私は目を閉じて意識を手放すことにした。




