二〇二四年一月十八日木曜日 午後十九時四十一分
「で、その『魔導公安機関』には茉穂も所属してる」
「嘘でしょ!!? あの人警察官なのに!!? 司法の者なのに!!?」
「そりゃ司法の者だからさ」
またしても知らなかった衝撃の事実がひとつ、明らかにされた。
祖母のカミングアウトにより思い起こされたのは、十も年の離れた私の姉こと、鈴木茉穂。
私とは似ても似つかない凛とした顔立ちでありながら、幼くして文武両道が標準装備の才色兼備、男にも女にもモテる外面と要領の良さ、加えて職業は警察官だ。さぞ私生活も完璧なのだろうと思えばまったくそうでもなく、むしろ私生活は家族の中で一番だらしないまである。警察学校の学生寮に入るまで、お駄賃と引き換えに汚部屋の掃除を一手に引き受けていた実の妹が言うのだから間違いない。隙なしの才女こそ人に誤解されやすいのは世の常だ。
しかし、そんな優秀な姉を知っているからこそ、疑問に思う。なぜ、魔女の後継者が姉ではなく妹の私だったのか。
なぜ、何のために──そこで、私はひとつの可能性に思い至った。
「ま、待って!! 昔夜中に大喧嘩してたのってまさか……」
「ああ、聞こえてたのかい? 知ってンなら話は早い、そのまさかさ。あの日、茉穂は自分に『夢死』の魔法を継承させてくれと頼んできた。当然、その動機は分かりきってたがね。何度早まった真似だけはやめろと言ったか……あの子が正しい意味で聞き入れたかどうか、今となっては自信がないねェ」
苦い顔で思い出すように呟いた後、祖母はまたビール缶を呷った。
──結果として、姉が魔法を手にすることはなかった。努力で何もかもを手に入れてきた姉が、努力ではどうにもならない問題を前に、何を思っただろう。望んだ力は手に入らず、胸中でどれだけ悔しい思いをしたか、その真意は計り知れない。もしかすると、後継者になるかもしれない私を恨んでいた時期もあったのではないだろうか。いくら才女と持て囃されようと、姉だってひとりの人間だ。何でもかんでも合理性と論理で割り切れたら、人間は余計な苦労などしてないだろう。
それでも、事情を知らない私の前では、そんな素振りを一度たりとも見せなかった。それが強がりなのか、姉としての意地だったかは分からない。その事実が、私にほんの少し後ろめたさを感じさせた。
(だから、警察官に……?)
祖母曰く、人々の理性の獲得により、魔法と魔術は犯罪ではなくなった。
しかし、それは裏を返せば、実在する魔女や魔術師は法律で裁けなくなったということでもある。
(それ自体は、正しいことだと思う。でも……)
激情の一端の中で、祖母は口にしていた。両親を殺害したのは、魔女の仕業だと。
なぜ、犯人は魔女だと断言できたのか。犯人が一般人、もしくは魔術師の可能性はなかったか。断言できるとしたら、確信できるだけの証拠が存在したことにならないか。
真の意味で世俗から切り離された者は、裏社会に等しい世界を我が物顔で歩く者は、力さえあれば簡単に一線を飛び越えてしまえる。
その咎を、法の加護なくして誰が裁けるというのだろうか。
(…………)
今なら分かる。
聡明で理性的な姉が、祖母と大声量で喧嘩してでも魔法を得たかった理由。姉が魔法を、力を求めた動機。私が姉の立場だったら、きっと、おそらく──
「……パパとママの、敵討ち」
「その通り。だからこそアタシたちは反対した。いくらあの子が優秀な魔術師でも魔女には勝てないし、たったひとつの私怨で使いこなせるほど、『夢死』の魔法は安くない。それに……残酷だが、あの子は母親の愛莉華以上に魔法の適性がなかった。魔女としての才能はなかったが、魔術師としては優秀だったことが仇になっちまったのかねェ……」
魔術師が王だった時代はとっくの昔に終わった。聖なる家庭を脅かす敵対者だった魔女は、もういない。それなのに、なぜ未だに苦しめられる人がこの世にいるのだろう。
不平等だ。不公平だ。姉が本当に両親の仇を討つために魔術師に、警察官になったのだとしたら、その生はあまりにも苦しすぎる。
復讐なんてやめろと頭ごなしに説教する資格は私にはない。ただ、この世でたったひとりの姉が心配なだけだ。家事以外何でもできてしまうような人だから、今頃ひとりで突っ走っていないだろうか。ひとりで泣いていたり、心細い思いをしていないだろうか。
せめて、そばに仲間と呼べる人がいると分かれば、多少は安心できるのだが。
「じゃあ、最近連絡が取れなくなったのって……」
「ざっくり言っちまえば潜入捜査だね。『魔導公安機関』にはそういう専門的な部署もある。今頃何してンのか、アタシですら把握してないからそれ以上は聞かないどくれよ」
「そっか。……ちゃんとご飯食べれてるといいけど」
祖母から与えられた情報を噛み砕きながら、私は空になりつつある皿に視線を落とす。
姉と最後に会ったのは二年前。それ以来、一向に音沙汰はない。あちらの捜査が終わっていない以上、こちらから何ひとつアクションが取れないのであれば、無力でも姉を信じるしかあるまい。
同時に姉の不摂生ぶりに思いを馳せつつ、私は泡のように浮かんできた疑問を口にした。
「あのさ」
「ン?」
「『魔導公安機関』って、お姉ちゃんみたいな人が結構いたりする? 魔術師と兼業っていうか、普通成り立つようなもの?」
「当然いるし、成り立つ。能力の向き不向きはあるとして、魔術師一本で生きてるやつもいれば、茉穂みたく警察と兼業して仕事してるヤツも多い。ただ、警察組織との公的な連携は、あくまでこっち側の情報規制と裏工作の一環。初めからこっちの事情に精通した関係者がいれば、魔女や魔術師が関わった──いわゆる例外犯罪ってヤツをいち早く察知できるし、不測の事態が起こっても一般人相手ならカバー可能ってわけさ。マ、魔術師は存在自体がマイノリティの極みだから、年中人手不足だがねェ」
「なるほど、それもそうか……」
それに、と空になったビール缶を置いて言う。
「上のアタシらがボンクラしてても下が優秀な粒揃いだからねェ。元より上が不在で困るような連中の集まりじゃない。大抵のことはソイツらがどうにかするし、ソイツらでもどうにもできなきゃこっちにお鉢が回ってくるだけの話さ。その話を上手いこと丸く収めるのが、アタシらの本分さね」
「……ねえ、それホントに私にできるやつ? そういう組織的なあれって私よりお姉ちゃんの方が向いてる気がするんだけど」
「できるできる。魔女絡みの仕事はひとりで解決するわけじゃない。当然、ひとりで解決できる範囲ならそれが望ましいがね。そもそも『夢死』の魔法を使いこなすにしても、茉穂じゃ荷が勝ちすぎる。こういうのはね、適当にできて気負わないヤツの方が向いてるのさ。アンタみたいなのがね」
「ええ……?」
姉ですら荷が勝つという魔女の責務に、魔術のいろはも知らない私が適当に対応してできることなのだろうか。不安だけで先が見えなくなりそうだ。
適当としか思えない祖母の言い分にいまいち納得できず、私は眉をひそめる。
祖母は二缶目のビールを呷ると、続けて言った。
「特に、アンタやアタシは店を──『Ma1-10Ro13a』を守るのが一番の仕事だ。魔女の仕事はついでに考えてくれればいいのさ」
「……魔女って結構適当なの?」
「適当だろうが厳格だろうが、手ェ抜いて切り抜けられるようなもンじゃないのは確実さ。──いいかい茉楠、誰がやっても同じ結果になる仕事はあっても、誰がやっても楽な仕事なンざ、どこの世界にもありゃしないンだ。どんな仕事であれ依頼であれ、心してかかりな。ナメてかかったら足元掬われるよ」
「それは確かに……ごちそうさまでした」
話が一段落した気配を察知し、私は後片付けをするために席を立つ。
気づけば、食卓を満たしていた皿の上は、いつの間にか空になっていた。




