二〇二四年四月二十五日木曜日 午後二十時十六分
「炎の……やじり? というのは?」
「鏃は矢の先を指す。当時の歴史背景を考慮するのであれば、本来は銃ではなく弓を使用していたことからその名が付いたと推測される」
先生の補足を聞いて、私の想像力がより補われていく。
歴史の教科書を参考にするなら、元寇の際に使用された鉄炮のようなものだろうか。義賊のイメージとは遠ざかるが、否応なしにロビンフッドの姿が目に浮かぶ。
自身も魔女のひとりでありながら、異端を──同志にも等しい存在の敵対者になるとは、はたしてどういうことなのだろう。
「彼女、もとい『爆死』に関する情報は最低限だ。魔導公安機関が遭遇した異端狩りの中では古株であること。前回の戦争に参加した『爆死』の魔女は白人の女性狙撃手だったこと。以上だ」
「え、正体不明なのにそこまで分かってるんですか?」
「裏を返せば、そこまでしか分かってない。前回の戦争でようやく魔法の全容と人物像が確定できたって程度さ。ひとりは言わずもがなだったが、もうひとり──相良が討ち取った魔女からの情報提供と、相良当人の目撃証言だけ。魔導公安機関が設立されてから、『爆死』が表舞台に現れたのは今回で二度目……ってェ考えりゃア、上手く潜伏してる方だと思うがね」
先生が続けて、祖母がさらに付け足した。
ふたりを他所に、顔も知らない『爆死』の魔女に思いを馳せる。彼女、あるいは彼は、どんな理由で私たちに銃を向けているのだろう。他人を傷つけてまで、そこに正義はあると信じていられるだろうか──こう考えると身に詰まされる思いだが、そうでなければ人を撃つことなどできないのではないだろうか。
それでも、先生が撃たれたあの瞬間でさえ、明確な殺意が感じられなかったのはなぜなのだろう。
「──で? なンでこのタイミングで決闘なンかしやがった?」
「……昨日まで敵性存在の周辺調査をしていたので、彼女を試すのであれば邪魔が入らないうちがいいと判断したまでです。当初の予定を前倒しにしたことは彼女を見て分かりました。しかし、『爆死』の存在を感知できなかったことと、『再三偽印』を保有している可能性を失念していたことはこちらの落ち度でした。まさか、彼女が自動機械人形を供物にしてまで徹底抗戦するとは想定外で、痛っ!?」
「使う言葉には気ィつけな。あわよくばって魂胆が見え見えなンだよ大馬鹿野郎。フン、それで負けてンだから『獄死』の面目丸潰れだね。そンで、ヤツらにはなんて説明する気だい? 『正面からの真っ向勝負で負けました』って? 八百長を疑われても文句は言えねェぞ」
「て、手を抜いたつもりはありません。殺さない程度に本気で戦いましたから」
『爆死』が本物の狙撃手ならば、本物の戦争を経験した張本人であるのならば、戦争で人がいかに残酷になれるか、熟知しているはずだ。
戦争。──魔女同士の戦争とは、何だ。
「このタイミングで私が彼らを説得できる証拠が手に入らなければ、今後の事態はミスター相良の二の舞を演じることになるでしょう」
「ハッ、それで今回の件はチャラにしろってか。寝言は寝て言えクソガキ」
「……誰も何も言ってないでしょう。これ以上心配せずとも、あなたが口を挟む必要に駆られることはもうありません。先のことは私と彼女の問題です」
「分かってンならいい。敗者は敗者らしく分を弁えてな」
時折、みんなが口々にする。いよいよ無視することも難しい、穏やかとは程遠い共通のワード。
やはり、気になるのは──
「それはそうとして、茉楠」
「へ?」
「決闘の件だ。コイツの言い分、本気で信じたのかい?」
「ああ、うん。それがどうかした?」
今さら嘘をつく理由もないため肯定すると、祖母はあからさまにため息をついた。
「呆れた子だよ。まったく、誰に似ちまったンだか。全部嘘かもしれねェってのによくも──」
「いや、それはないよ」
祖母の言葉を遮って私は断言する。
「本人じゃないかもしれなくても、『夢死』の魔法が欲しいって言葉に嘘はなかった。だから決闘も受けた。──おばあちゃん。私、売られた喧嘩に勝ったんだよ。ヤマトと、おばあちゃんが大事なことを教えてくれたおかげ」
「…………」
「ヤマトが教えてくれた。時には、命よりも選ばなければいけないものがあるって」
そして、あのときは言えなかった、返すべきだった私の答えを口にする。
「でも、私は間違ってると思う。家族の命も自分の夢も、どっちが上とか下とか関係ないよ。どっちも大事。だけど、私は……今の私は、見ず知らずの他人に夢を譲りたくなかった。あのとき、私は自分の我が儘のために戦う道を捨てかけて、あの子を優先した」
喪失のない敗北よりも、犠牲のある勝利を選んだ。それが、私の罰ならば。
「今なら分かる。その選択が間違いじゃなかったとしても、それだけじゃ駄目だった。だって、どっちもおじいちゃんが私に遺してくれたものだったから」
一生の孤独よりも、一時の安寧を選んでしまった。それが、私の罪ならば。
「どちらかを選んでも、私は絶対に後悔する」
選んで後悔するか。選ばず後悔するか。選ぶことが叶うなら──
「だから、次選ぶなら──私は、全部選ぶ。それなら、選んでも後悔したりしない。どちらかひとつだけなんて、私には無理」
──どちらかしか選べないなんて、どこの誰が決めたことなのだろう。
どちらも大切なら、どちらも選べばいいだけだ。必要なのは、どちらも選んだことに対する責任と、覚悟だけ。
私は、ヤマトの言葉と意志を信じたい。それでも、やっぱり嫌なものは嫌だ。そのために、ヤマトと約束したのだから。
(それでも……もし、どちらかしか選ぶ必要があるなら)
この言葉の続きに音はない。この感情に嘘はない。
けれど、すべてを選べるほど現実が優しいわけではないことを、無理でも無理を通さなければ立ち行かないものがあることを、私はもう知っている。
(もし、この先同じことが起きたら、私はきっと目の前の命を優先しちゃうだろうけど)
不意に悟ったように、そう独りごちた。
「……ハァ~」
耳が痛いと言わんばかりに複雑そうな顔をした祖母は、頭を掻いて重そうな息を吐き出した。
「茉楠、アンタの言い分は分かった。ヤマトのこともアタシがとやかく言える立場じゃねェ。好きにやりゃアいい。……とはいえ、だ」
「?」
「『夢死』の後継者の座をかけて、一対一で決闘だァ? 確かにコイツは紛れもなく若造だ。それでもれっきとした魔女で、由緒もある魔術師で、『夢死』の魔女が認めた同盟者でもある。魔法だけが目的で決闘なンかするわけがねェ」
「え……どういうこと?」
「……君には今日まで伝えていなかったが、私が来日した目的は三つある」
祖母の言葉に困惑していると、一度咳払いをして先生が続ける。
「ひとつは……最も優先順位の低い、私的な理由なのでこの場での詳細は控える。一番優先度が高いことから話そう。二〇二四年度の予言──こちらが最も重要、君も知っているはずだ」
「なん……え? 何の話ですか?」
初耳にも程がある単語に戸惑いを隠せない。
私の反応が嘘ではないと理解したのか、先生の目尻が一瞬だけ震えたのが見えた。
「その様子、まさか……ミセス紅、なぜ話していないんですか!? 彼女にも関わる予言でしょう!?」
「予言なンて話したところでピンとくるもンでもねェだろ。それとも何だ? 性根の優しいコイツに、周り全員目の敵にして一年過ごせって? そうならないためにアンタが来たンだろうが、ン?」
「それは……それとこれとは話が違う。彼女の身に何かあってからでは遅すぎる。知らないのであれば、なおさら教えないわけにもいかない。これは魔導公安機関に所属する者の義務でもあります」
「あ゛~はいはい分かったよ。せめてこの一年は穏やかにってのは、アタシのいらン気遣いだったかねェ……」
先生に叱られてぼやく祖母に、私は慌てて口を挟む。
「そ、そんなことないよ。というか……そんなに教えたくない予言なの? も、もしかして不吉な感じだったりする? 知ったらむしろヤバいやつ?」
「不吉、か。確かに違ェねェ。ジジイの予言は当たると同時に必ず誰かが死ぬからね」
「……なんて?」
「アタシも最初は半信半疑だったがね、嫌なことほど無駄に当たるからアイツの予言にはほとほと苦労させられたよ。だからこそ、アレのせいでアンタが振り回されたり余計な気苦労せにゃならン理由がねェって判断しただけさね。読んで字のごとく老婆心ってヤツさ。黙ってて悪かったよ。そンなに知りたきゃ教えてやるから」
「いや、ちょ……」
真剣な表情で語る事実の強烈さに、祖母を一ミリほど責める気持ちさえ跡形もなく消し飛ぶ。
ジジイの予言──ということは祖父の予言に間違いない。つまり、祖父は予言ができたから未来で何が起こるか理解していた。これは、有島さんが喫茶店で語ってくれた内容とも一致する。
そして、私がエンシェント・ガーデンで拾った謎のメモ。これだけ証拠が揃って納得するなという方が無理な話だ。
視線が足元の暗闇へ落ちる。足先の感覚がなくなっていく。心臓が軋む。細い呼吸が、乱れる。
(あの人は、多分全部分かってたんだ。自分が死んだ後、何が起こるか)
私が遺言の意味を解読することから、今日起こったことも、これから起こるであろう出来事も、何もかも。
(知っていたなら、どうして)
事実が確定したからこそ、次に湧き上がるのは謎と疑問。
『夢死』の魔法を誰よりも熟知していながら。永遠を錯覚するほど永く生きていたのならば。魔法を明け渡せば自分は死ぬと知っていながら。一年先の未来が視えていたはずならば。
すべてを理解していながら──なぜ。
(どうして、一緒にいられないの?)
そんなヒトがなぜ、自分の死を回避しようとしなかったのだろうか。
「いいか? 耳かっぽじってよォく聞きな──」
「え、あ」
私が思考の沼に嵌ったせいで覚悟も半端なまま、祖母はあっけらかんと言い放つ。
「──『次の年、場所は日本、鈴木茉楠の周りに六人の魔女が現れる』」
「…………ん?」




