二〇二四年四月二十五日木曜日 午後二十時十分
──月の光で輝く刀身は見る者を魅了するか、あるいは萎縮させるか。
先生曰く、魔法のみならず鋼すら紙のように切り裂く魔法の剣。先月、祖母が魔術を用いて戦ったことは記憶に新しい。ゆえに、相良さんのように武器を所持したとしても何らおかしくはない。
祖母が武器を持っているところなんて見たことないはずなのに、不思議と馴染んで見えてしまうのは、年の功というやつなのだろうか。
「茉楠。無事……ってェわけでもねェか。遅れてすまねェ。よく頑張った、こっちに来な」
「え……い゛っ!?」
御年六十九歳の腕力とは思えないほどの強い力で、祖母は私の腕を取って立ち上がらせた。
握られる力が普通に痛い。力加減もできないほど怒っていることは、火を見るより明らかだった。
「姫様ー! 怪我なさそうだネ! これ、落ちてたバッグ! 姫様のだよネ?」
「織姫……」
「拾っておいたヨ。あ、なんか入ってるっぽいけど、織姫何も見てないからネ! 女の子のバッグの中を覗くなんてエチケット違反、織姫だって知ってるんだカラ。でもでも、何か盗まれてないか、本人確認しないト! だから織姫がずっと持ってタ!」
「ありがとう、織姫。ずっと持っててくれたんだね」
「えへへ、よせやイ! 家族なら助け合って当たり前!」
祖母の態度に戸惑っていると、そばに来た織姫が壊れた私のウエストバッグを持ってきてくれたらしい。
しゃがみながらありがたく受け取り、念のため中を確認する。
(…………あれ?)
バッグの中に欠けたものがあることは、すぐに気づけた。
(糸が、なくなってる)
なぜ──とは思わない。私が敵でも同じことをするだろうから。
おそらく、例の狙撃手は途中で手応えがなくなったことに気づき、何が起こったのか確認しに現場へ来たはずだ。あの糸巻きはそのときに盗まれたのだろう。
(まだ余ってたのになァ……)
かの狙撃手も、あの糸の価値を見抜いたからこそ迷いなく奪ったのだ。その心理が分かるだけに自然と肩が落ちる。
気落ちしながらバッグを閉じる。弾丸で撃ち抜かれて焦げたベルトを眺めていると、織姫が何かを探すように周囲を見回した。
「姫様」
「うん?」
「ヤマト、もういないノ?」
怒りも蔑みも感じられないその一言に、私は一瞬奥歯を噛んだ。
「…………ごめん、私」
「謝らなくていいヨ。魔女同士の争いならそういうこともあるってマシュー言ってたヨ。エリカたちがいなくなったときも言ってたから、多分ソウ」
「…………」
「だから、姫様が無事なことが一番大事。織姫も、クレナイもソウ。ヤマトは残念無念だけど……最後まで姫様を守ったから、褒めてあげテ。謝れるより、きっと喜ぶからサ」
誰もいない弾痕塗れの床、不自然に置き去りにされていたであろう私のウエストバッグ、中に入っていたヤマトの残骸。
祖母はともかく、荒事に慣れていない糸紡ぎの守護妖精である織姫は、さぞ不安に駆られたに違いない。そう思うと少し申し訳なくなる。
いつまでも落ち込んでいたらヤマトにも悪い。気を持ち直して、私は顔を上げた。
「おばあちゃん」
「ン?」
「なんでここだって分かったの? 私たち、さっきまでここにいなかったのに」
「なンでかァ? なンでも糸瓜もありゃしないよ、見たまンまさ。鍵さえありゃ扉は開くし、なくても壊して押し通りゃいい」
(……鍵?)
鍵とはバリファルダのことか──私の疑問を他所に、祖母は剣の切っ先を先生に向ける。
「ったく……出禁だけじゃ飽き足らず、夜中に女子高生と援助交際とは。テメェも見下げ果てた玉無し野郎だったってことかね」
獲物を狙うような鋭い眼差しに、いつもとはまるで異なる冷え切った声音に、嫌でも縮こまる。
──あと十秒後に怒涛の嵐が来る。そんな予感を、震える背筋がいち早く察知していた。
「……ミセス、援助交際はごか」
「クソガキ、今回の件はそれなりの覚悟あってのしでかしだろうね。仏の顔も三度とはよく言うが──アタシは仏じゃアないンでね、同じこともう一度言ってやらァ」
そう言って、祖母の体は膝を付いたままの先生に影を差す。
祖母は使い慣れたバットを振るうような剣捌きで、勢いよく先生を殴り飛ばした。
「グッ……!」
「ひいっ……!」
頬の皮膚が裂けて、微量の血が宙を舞う。
見るからに痛そうで目を背けかけるも、祖母がうっかり一線を越えないよう薄目で成り行きを見守る。
「──アタシの!! 愛する孫たちに!! 一度ならず二度までも!! 手を出したな!!」
「……!」
祖母は、まさしく魔女の名にふさわしい剣幕で怒りを露わにした。
今までとは比べものにならない恐怖に身が竦む。おそらく先生も似たような思いをしているだろう。
「テメェより強いヤツの心の隙を突いて弱らせて優位に立つ、その腐った根性だけは一人前だよ。前回の忠告を聞いたからにゃア……当然、指の一本くらい落とす覚悟はできてるンだろうなァ!!? あ゛ァ!!?」
(ヤバいヤバい怖い怖い怖すぎる)
祖母の年季の入ったエンコ詰め発言に、本格的に背筋が震えだす。
よりにもよって母校の屋上で、身内の老婆による勢い余りまくった第二、第三の殺人未遂事件が起こりかねない。
そして、翌日のトップニュースのタイトルは『鳶浦高校の屋上で在校生の祖母(69)、新米AET殺人未遂で逮捕』で決まり──そんな末代まで残る恥のような展開は全力をもって阻止だ。
「いっちょここいらで落とし前──」
「ちょ……ちょ、ちょっと待ったっ!!」
祖母の怒声にどもりながらも、私はささやかな勇気を持って待ったをかける。
「まだ話は終わってない! 先生とは……ちょっとした行き違いがあっただけ! 先生は私を殺そうだなんて思ってなかった! それに……そうだよ! さっき私たち、誰かに襲われて! 先生が助けようとしてくれた! でも、先生の腕を、誰かが遠くから撃ち抜いて……! あ、あと糸巻き持ってたのに盗まれた! これは絶対間違いない!」
「あン? ちょっと待て待て落ち着け、何? 襲われて、盗まれた? アンタたち以外に誰かいたァ?」
「そういえば……念のため聞くが鈴木、犯人の顔を見たか?」
祖母の怒りの軌道が逸れたことに内心安堵しつつ、先生の無茶難題な質問に無言で首を振った。
「第三者の襲撃ィ? 織姫、分析結果!」
「ンーやっぱ状況から考えて、誰かがここに来たっぽいネ。かすかに残留した魔力だってここにいる全員とは該当なし、クレナイだって姫様は嘘ついてないって最初から分かってるでショ? 怒りたい気持ちは分かるけど緊急事態だし、今は頭冷やさナイ?」
「チッ……ヴィル坊、相手に心当たりは」
「これが証拠になるかと」
そう言って、先生は懐から一発の弾丸を取り出した。
ある種の芸術品を彷彿とさせる、月の光を浴びた銀の弾丸。それを見た祖母は思い当たる節があるのか、しばし顎に手を当てて思い出したかのように指を離す。
「正体不明、加えて銀の弾丸とくりゃア……アイツか?」
「…………」
「……知り合い?」
「知り合いどころか因縁の相手さ。なンせ、ヤツは前回の戦争で──」
「いえ、その女とは別人でしょう」
祖母を遮って、先生が断言する。
「根拠は」
「魔法の技術はほとんど遜色なし。狙撃の腕も確か、加えて夜目も利く。少なくとも、狙撃手としてはこの上なく厄介な能力を持っていることは間違いない」
「そンで?」
「──しかし。本当に殺すつもりなら、最初の一発目は私の腕ではなく、こめかみを撃ち抜いていた。今日まで彼女のプロファイリングが正しければ、彼女は遠方からの暗殺のチャンスを逃すような人物ではない。彼女の手にかかった犠牲者の末路は、貴女もよくご存じのはずです」
先生は弾丸をハンカチに包んで仕舞い、推測から仮説を生み出す。
「技術はある。敵意もある。にもかかわらず、こちらへの殺意に欠けた無駄な行動が多すぎる。これは、今までの彼女の行動原理とは矛盾する。つまり、別人の可能性が極めて高い」
「あ──!」
その所感は、私があのとき覚えた違和感と酷似したものだった。
先生の言う通りだ。あのとき、殺そうと思えばいつでも殺せたはず。今にして思うと、隙なんて数えるほどあった。にもかかわらず、かの狙撃手は絶好のチャンスを逃した。迎撃されなくても、一度外せば抵抗されることくらい誰だって容易に想像がつくはずなのに。
──なぜ。
(それにしても……)
「ヤツが記憶喪失っつう可能性は? あれから何年経ったと思ってやがる。十三年だぞ十三年。同盟相手ふたり殺られて、逃げ腰で行方をくらまして、なぜ今さら姿を現した?」
「向こうの事情までは分かりませんが……仮に記憶喪失だとすれば、まず私を狙う理由がありません。実際、最初に撃たれたのが鈴木ではなく私だったので、おそらくは」
「……ああ、そりゃそうか。アンタら親子は特に、他人から見りゃア違いなンて分からンわな。それで撃たれた、と。あるいは──」
ふたりの間でとんとん拍子に進む話の内容は、さすがの私もついていけるレベルではない。
浮かぶばかりで消えない疑問符に辛抱ならず、私は挙手した。
「つまり! 魔女なのは分かったけど……結局あの人、誰なの?」
「便宜上、我々は『彼女』と呼称しているが──」
私が抱えていたもっともな疑問に、先生は答えた。
「──彼女の通り名は『爆死』。一部の妖精族の口伝伝承では『炎の鏃』と呼称され、忌み嫌われている異端狩りだ」




