93 軽い言葉
若干ステラの見方、変わるかもしれませんので注意です。
馬車の中で意外な態度を取ったサリエルは、そのまま屋敷に着くまで無言になってしまった。
契約した悪魔達は独占欲も執着も強い。おまけに性欲も強い。それは人間で言えば恋だの愛だのと呼ばれるのでついそう言ってしまった。だが彼らに……悪魔にそんな感情は、存在するのだろうか?
……まぁ、サリエルくんの事はいい。それよりも夕食だ。お茶会でお菓子を食べる為に昼食を少なめにしていたので、中止となった今、私の腹は煩いくらいに鳴っている。お腹すいた。
食堂にこっそりと足を運べば、中ではレヴィスが夕食を作っている最中だった。調理場に立つ男前とは、どうしてここまで輝いて見えるのだろう。前の世界では「スーツ着たら三割増し」と言うが、私は「エプロンつけたら三割増し」だと思う。
私は鍋の様子を見ている奴の背中に忍び寄り、思いっきり抱きつく。
「レヴィス〜!今日のご飯なぁに〜?」
突然の背中の感触に、レヴィスは最初から気付いていたのか特に驚きもしなかった。だが抱きつかれた事が嬉しいのか、見えない顔から穏やかな笑い声が聞こえる。
「どうした主。今日はビーフシチューだが……味見するか?」
「味見するー!」
「はいはい」
レヴィスは笑いながら、引き出しからスプーンを取りビーフシチューを掬う。腹が減ってやってきたと分かっているのか、スプーンには大きな牛肉がのせられていた。
こちらを振り向いたレヴィスは一瞬目を見開いたが、そんな事よりもビーフシチューだ!
大喜びで差し出されたスプーンを口にふくめば、トマトの酸味と牛肉の旨味がいっぱいに広がっていく。今日もレヴィスの料理は最高だ。
「美味しい!」
「そりゃよかった」
「ねぇねぇ、もう一口食べたいなぁ?」
こんな絶品料理、一口だけでは気が済まない。今度は正面からレヴィスに抱きつき、甘ったるい声でおねだりする。いい歳した女が何してんだと思うが、この悪魔は私に甘えるのも、甘えられるのも大好きだ。言い換えれば自分だけ見てほしい、支配欲の現れなのだろうが。
案の定上を見上げれば、美しい顔を恍惚とさせたレヴィスが、熱を込めたため息を吐いている。甘え作戦は効果抜群の様だ。……ちょっとやり過ぎたかもしれないが。
「可愛いなぁ……そんなに腹が減ったのか?」
腰に手を回したレヴィスは、色気のある声で囁く。
その通りなので、私はうんうんと笑顔で頷いた。
「お腹すいた!」
「じゃあヒナみたく、口移しで食べような」
「すんません!お腹すいてないっす!!」
一刻も早く変態悪魔から離れようとする。しかし腰に回された手が離れないし、力も強くなっていく。
思わず再び奴の顔を見れば、目元だけ笑って口元は歪んでいた。
「遠慮するなよ、ちゃんとヒナでも喰える様に咀嚼してやるから」
「遠慮してない!全力で嫌がってんだよこっちは!!」
可笑しい、つい今までラブラブカップルみたいな雰囲気だったじゃないか。何故急に機嫌が悪くなった!?
レヴィスは顔を近づけてくれば、歪んだ口で私の唇をひと舐めする。ちょっとしょっぱいのは潮の味だろうか?
「主、ここから下品な蛇の匂いがする」
「あっ、あー……」
私の表情で察したのか、レヴィスは目元を取り繕うのをやめた。
すると突然、口に勢いよく指が入った。驚いて抵抗するが効かずに、そのまま指は口をこじ開けてくる。今の私は、親鳥の持ってきた餌を、必死に口を開けて求めるヒナの様だ。
「おごごごご!?」
「俺に嫉妬して欲しくてこんな事したのか?本当に可愛いなぁ主は。お詫びにいっぱい食べさせてやるからな」
「ご、ごごご!?」
「こらこら抵抗するな。ちゃんと口開けないと、ビーフシチュー溢れるぞ?」
くそう、来る前に口元を洗っておけばよかった。
スプーンではなく、レードルでビーフシチュー口に流し込んだレヴィスさんは、そりゃもういい表情で顔を近づけてきた。なんの拷問かな?……まぁ美味しいけども。
《 93 軽い言葉 》
屋敷に帰ってきてから、蛇の坊やの様子が可笑しい。
ご主人様を見ている所は変わらないが、その目線は普段と違い茫然としている。そんな坊やが淹れた紅茶に対して、ご主人様は驚いた表情と共に顔を引き攣らせているので、おそらく不味いのだろう。それでも淹れてもらったのだと、必死に飲んでいるご主人様は可愛らしかった。
皆坊やの可笑しさに気づいているが、面倒な事になりそうなので黙っている。それは私も同じ……だが、少々可哀想だ。
ご主人様が就寝した後、私はフォルとトランプゲームをする約束をしていたので、体を清めすぐに居間へ向かった。今の所五勝五敗、今夜で勝敗が決まる。
トランプを持ちながら居間へ向かえば、そこにはフォルは居なかった。どうやら早く来すぎたらしい。
……だが代わりに、濡れた髪のまま暖炉の前で足を抱えている、蛇の坊やがいた。髪を拭く為のタオルは、その役割をさせてくれずに側に放り投げられている。
ああ、流石に放っておけない。
「サリエル、風邪ひいちゃうよー?」
普段通り、可愛らしく声をかけてみるが、坊やは暖炉に目線を向けたまま無言だ。
おや、これは相当重症の様だ。普段の偉そうな態度は何処へやら、まるで幼い子供だ。
私は暖炉の側、坊やの隣に座る。そして顔を覗き込めば、ようやく此方に気づいたのか、不機嫌そうに眉を顰めた。
「……何か用でも?」
「ひどーい、心配してるのにー」
「……別に、気にしなくていい」
「でもご主人さま、心配してるよー?」
ご主人様の事を言えば、体を一回震わせて明らかに動揺している。そんな坊やに笑いながら、私は暖炉へ目線を移した。
そのまま声を掛けずに、隣で暖炉を眺めている。……暫くすると、ため息が聞こえた。
「ご主人様に……僕の態度はまるで、自分を好きみたいだと言われたんだ」
「ふーん……それで?」
「…………最初は、ご主人様に言われて驚いた」
「じゃあ今はー?」
そこで言葉を渋らせた坊やの代わりに、坊やの髪から水が落ちる。このままでは折角の美しい髪が軋んでしまう。
私は横から後ろへ移動して、放り投げられていたタオルを取る。そのまま髪に被せて拭いてやる。
それに何の抵抗もせずに、坊やはされるままに髪を拭かれている。
けれど、口が小さく動いた。
「……そんな軽い言葉で、僕の気持ちを表さないで欲しいと思っていたのに、気づいたんだ」
予想外の言葉に、私は拭く手を止めてしまう。
だが坊やはそれを皮切りに、小声で饒舌に語り始めた。それはもう早口で。
「僕が最初に見つけた最高の人間だ、本当は僕以外に触れて欲しくない。イヴリンの最初は全て僕が貰う」
「……う、うんー?」
「契約後、彼女が興奮した顔が怖いと逃げたから、無表情になった。紅茶が好きだと言ったから、気に入られる為に練習した。やっと深く触れれる様になっても、拒絶されない様に顔色を見て、時には必死に耐えた」
「へ、へー……」
「色恋に興味がないと思っていたイヴリンが、クソ国王に……僕に見せた事もない表情をするのも、嫌われたくないから必死に殺すのを耐えた!悪魔もどきの時だって、殺すのを耐えて封印したんだ!」
「…………封印?」
「三十年、僕はイヴリンしか見ていない!イヴリンが僕以外に目を向けるなんて、腑が煮えくり返る!!」
「…………」
「だからっ!この気持ちと努力をそんな軽い言葉で!!…………人間達が考えた軽い言葉で、表さないで欲しいと思ったんだ。……この気持ちは、そんな軽いものじゃない。……僕は……」
やや荒れた声を出した坊やは、満足に言い切ったのだろう。更に足をキツく抱えて無言になる。
正直此方は衝撃的な発言で固まってしまったが……そうか、成程?
最初に見つけた、最高の人間。
繋ぎ止める為に契約をして、気に入られる為に悪魔が努力して。
自分以外を見られれば不貞腐れて、それでも嫌われない為に耐えて。
その想いと努力を、人間が考えた軽い言葉で言ってくれるなと……。
「……ねぇ、それ人間の言葉で言う……恋だって、分かってる?」
「…………」
無言、これは理解している。
成程、この暖炉の側で考えて、ようやく辿り着いてしまったという訳か……やはり面倒な事になった。まさかサマエルの坊やが人間に恋をするとは。思わず口ぶりも素に戻ってしまう。
……否、悪魔が人間に恋をするのは珍しくない。人間は悪魔の食糧とはいえ、言葉が通じるし性の対象にもなる。独占欲も支配欲も高い悪魔が、気に入った人間を堕落させて地獄へ故意に堕とす事もある。
だから良いのだが……まさか……嗚呼まさか……
……あのレヴィアタンと、想い人が被るとは。
「戦争になるかもしれない……」
「何でそうなる」
「サリエルは知らなくて良い……」
サマエルは、ご主人様と契約する前のレヴィアタン……レヴィスと関わっていなかったから、今の彼しか分からないのだろう。
レヴィス坊やは毎日の様にご主人様を口説いて、甘い言葉を囁いている。ご主人様へ「可愛い」だの「俺のもの」だの……それがあの悪魔から発せられる事が、どれ程あり得ないのか知らないのだ。
そもそも海の支配者たるあの悪魔が、人間と契約をするのがあり得ない。……何が言いたいかって?あの悪魔は本気で、ご主人様を番にしようとしているのだ。
特上の上級悪魔が二人、同じ人間に恋して、番にしようとしているのだ。
これが下級と上級なら、上級に譲られて終わる話だが……絶対にこの二人は引かない。色々巻き込んで戦争になるし、何ならケリスも参加しそうだ。多分「あの方」は面白がって止めない。最悪だ。
「お互い、気づかないようにさせないと」
「何をだ」
「坊やは知らなくていい……」
「ステンノー、何をしようとしているんだ?」
「坊やは黙ってな……」
「…………」
今はまだ、悪魔特有の支配欲や執着だとお互い思っていてほしい。
そこに「感情」があるのを、気づかないで欲しい。
ご主人様め、余計な事をしてくれたものだ。
聡い人間は好きだが、これはやりすぎだ。




