89 本物
年の瀬も、日々も、永遠を生きる僕達にとっては変わりない。
帰宅は朝方であろう娘の為に茶葉を選んでいると、玄関のドアノックが鳴った。……フォルとステラは薪の補充をしているし、ケリスは娘がいない間に部屋の掃除をしている。それに玄関に一番近いのは僕だ。
「……こんな夜更けに、一体誰だ」
まさか、悪魔もどきへ嫌気がさして娘が帰ってきたのか?そう思えば足取りは早くなるものだから、自分でも滑稽だと笑ってしまいそうだ。
三十年……否、明日で三十一年か。まさか、ここまでたった一人の人間に執着するとは。
だが早歩きで玄関の前に来た所で、扉の外から感じ取れる気配によってその希望は打ち砕かれた。
客人の正体が分かり、玄関の扉を開けようとした手が止まる。それを分かっている様に、扉の向こうでは再びドアノックが強くたたかれた。
「サマエル。早く開けてくれないか?流石に寒い」
扉の向こうから、腹立たしい天使の声が聞こえる。扉から手を出して、首でも閉めてやりたいがそれをなけなしの理性で押さえ込む。
「申し訳ございませんが、只今ご主人様は留守にしております。お帰りください」
「ああ、そうなの?もしかして王室主催の年越しパーティー?」
「主人の個人的な予定は、お伝えできません」
「お前がそう言うって事は、もしかしてあの悪魔もどきといるのか?」
抑えろ、ここで天使と争ってもいい事なんて一つもない。
「お伝えできません」
「あはは!当たりか!……それにしても、年越しにねぇ」
「……何か?」
「いや、ちょっと聞きたいんだけどさ……あの二人って番なの?」
気づいたら扉ごと、クソ天使を蹴り飛ばしていた。扉と一緒に正面門の柵まで奴は軽く飛び、最後には柵に体を打ち付ける悲惨な音が聞こえる。
柵に掛かっていた雪が奴に降り掛かる。それを忌々しそうに手で払いながら、奴は吐き捨てる様に叫んだ。
「ほんっっとうに害虫共は!口より先に手が出る!!」
「汚い声で鳴くな。さっさと出ていけ」
「せめて話を聞けよ!せっかく優しい天使様が、害虫へ忠告しに来たのに!」
「必要ない。それにお前、いつ迄成り済ましているんだ?ウリエルの件は終わっただろう、早く天界で神の足でも舐めてろ」
調子のいい天使も、崇拝する神の冒涜には目を鋭くさせた。
やがて雪を払い終われば、奴は僕へ向けて鼻で笑う。
「僕の忠告が、君達の可愛い契約者に関する事でも?」
「あ?」
瞬時にクソ天使の元へ向かい、頭を強く掴む。奴の頭蓋骨の悲鳴が聞こえた。
「いだだだだだだ!!??」
「今すぐ言え」
「は、離せ!!今すぐ離せ分かったから!!」
言う通りに手を離せば、奴は僕と間合いを取り離れる。
余程痛かったのだろう、目には滑稽に涙が浮かんでいる。奴の痛み嫌いは、昔から変わっていない様だ。
ガブリエルは涙を服の裾で拭うと、大きく深呼吸をした。
「王太子が、イヴリンを「聖女」として教会に認定させようとしている。その為に、彼女の治癒の力を教会本部へ伝えた様だ」
聖女、その言葉に全身に鳥肌が立った。肌を労わる様に首を撫でながら、小さく舌打ちをする。
「クソ王子が」
三十年前。今の国王を癒した娘は、先代の国王から功績を公表し、英雄として歴史に名を残す提案を断った。そしてこの屋敷の管理権と、治癒方法が自分の体液の摂取する行為、その真実を伏せる事を願った。
権力を持つ支援者を手に入れる為とはいえ、娘の力は知れ渡れば面倒になる。その所為で王室の人間以外には、娘が国王や王子を治癒した方法が黒魔術だと囁かれる事になったのだ。
「稀に人間が、多少の聖力を持って生まれる事はあるし、その人間が聖女や聖人と呼ばれた時もある。聖女聖人の真実を知る僕達にとっては偽物だが、それを知らない人間達にとっては本物だ」
「……この国では、聖女の称号を得た者は王族と同等の地位になる」
「その通り……どうやら王太子殿は、本格的に彼女を王妃に迎えようとしているらしい。……全く、あのお子様を一体誰が焚き付けたのやら」
「…………」
聖女聖人、それは存在する。だが本物は他と変わらないし、ただの人間のまま生涯を終える者も多い。
聖人達が他の人間と違う、決定的な部分。それは生まれ方だ。
僕達悪魔は、一種を除いで人間との間に子を残す事が出来ない。それは人間を創造した神が、自分に背く悪魔と、自分が創造した愛する人間が番えなくする為に、神がご丁寧に「定めた」のだ。
だが天使は違う。神に愛されし天使は、堕落した悪魔の前では虫ケラの様に弱い。だが人間との間に子を残す事が出来る。
その子供は「聖女」又は「聖人」であり、親の天使より強く、悪魔に対抗する力を持つ。その者だけでなく、その者への信仰心でさえ悪魔の毒になる為、悪魔にとっては天敵の存在だ。……だが、自尊心が高い天使が人間を番にするなど、滅多にないのだが。
その聖女聖人の子孫が、稀に先祖返りで天使と同じ聖力を持つ者が生まれる事があり、人間の世界ではその者が聖女聖人として崇められている事がある。だが悪魔にとっては、ただの人間と変わらない。
ガブリエルは、黙った僕へ小さくため息を吐きながら再び口を開いた。
「王太子が……というか、誰であれ彼女と番になるのは絶対に阻止しなくてはならない。それはお前達悪魔も同じだろう?だからわざわざ忠告に来てやったんだ」
「王子から、娘への情を消せばいい」
「お前も知ってるだろ?人間の記憶は消せるが、感情は消せない。例え王太子の記憶を消したとしても、彼女に会えば再び強烈に惹かれる」
「……王子を、殺せばいい」
「よく言うよ。それでイヴリンに嫌われるのが怖くて出来ない癖に」
鼻で笑われるが、言い返す最適な言葉を考える事が出来ない。
ガブリエルの言う通り、僕はイヴリンに嫌われ、触れられなくなるのが恐ろしい。三十年掛けて漸く、娘の体に深く触れる事が出来る様になった。
あの体は麻薬だ。触れれば触れる程、快感で脳が溶ける。あれに触れるなと命令されるなんて、拷問でしかない。
その時、ふとある疑問が浮かんだ。
答えを知る為にも、僕は目の前の天使へ顔を向ける。
「どうしてお前が、娘が番をつくる事を阻止するんだ?」
天使は、神の望みだけに動く。天使は神に創造された際、そう「定め」を受けているからだ。
……ならば娘が番をつくる事の阻止、それを神が望んだ事になる。
僕の質問へ、ガブリエルは笑った。
だが笑った口元から、出された声はやけに冷たかった。
「サマエル、お前は今まで聞いた事があるか?「悪魔を癒す人間」なんて」
向けられた指は、僕の右手をさしている。……勲章式の舞踏会で、悪魔もどきの力を天使の術で封印した際に崩れた手だ。今では娘の体液によって完治している。
僕は手に触れながら、目を鋭くさせて首を振った。
「だが、今まで聖力で治癒能力を持った人間は居ただろう」
「ああいる。だがその人間達は皆人間しか治癒出来ない。主が創造した人間が、主に見放された悪魔を治癒が出来るなんて、僕は聞いた事がないし、あり得ないと思っている。もしそんな事が出来る者がいるとすれば、主だけだ」
触れていた右手が、気づいたら拳を作っていた。
それを見たガブリエルは、笑顔を削ぎ落とす。
「主が望んだのは、ウリエルの解放。でもそれだけじゃないんだ」
削ぎ落とされた真実の表情は、御伽話の天使とは程遠い。
僕達と何も変わらない、欲に塗れた表情だった。
「サマエル、僕も教えて欲しいんだ。……天使と人間の子は聖人だけど。……じゃあ神と人間の子は、何になると思う?」
◆◆◆
会場中央では、懐中時計を持つ学生が嬉しそうにカウントダウンを始めている。
私とパトリックはその光景を眺めていると、やがて学生達は沸き、皆建国王への感謝を述べている。どうやら年を越した様だ。結局ローガンは会場へは戻って来ないので、姉の説教で年を越したのだろう。……今度、何か菓子でも差し入れてやるか。
私は隣のパトリックへ目線を向け、持っていたグラスを差し出した。
「パトリック様、今年もよろしお願いします」
「………ああ」
まだ顔が赤い童貞パトリックは、自分の持っていたグラスを私のグラスと当てる。いやぁ、去年はこの男の初心な心を弄んでしまった。既に面倒な所まで来てしまったが、これ以上にならない様に離れて行こう。この童貞さえ離れれば、後は容易いだろう。
さぁやってきた、この世界で過ごす三十一回目の新年だ。
今年は去年の様に、面倒な事も有りませんように。
次回から新章になります。




